1992年にカナダのMargaret Somervilleは「苦悩からの解放は医療と人権の共通のゴールであり、終末期患者の痛みと苦悩からの解放は人権上の大きな課題である」と述べました。欧米では、緩和医療を受けることは人の生まれながらにして持っている権利であり、受けさせないことは人権の侵害にあたるという考え方が広く受け入れられています。例えばカナダのアルバータ州では、がん患者の98%が死亡までに何らかの形で緩和ケアを受けていると報告されており、本邦の実情を考えると彼我の感があります。
TemelらはNEJMの論文で、末期の肺がん患者に対して診断早期から緩和ケアを行うとQOLが向上し、気分の落ち込みが少なく、治療に対する満足度が高いことを報告しました(1)。さらに、生命予後も2.7ヶ月改善したことがわかったのです。大きな期待を持って開発された抗がん剤であっても予後が2.7ヶ月延長したことは未だかつてなく、この報告は多くの驚きを持って迎えられました。緩和ケアのほうが抗がん剤よりも「がんによく効く」のです。その後も同様の大規模臨床試験が行われ、診断早期からの緩和ケアの有用性は終末期肺がんだけでなく、全ての病期の肺がん、消化器がんを含む固形がんにおいても示されました。その効果は終末期よりも早い病期で著明なことが示唆されています。診断早期からの緩和ケア介入は全世界の潮流となっています。
緩和ケアといえば、緩和ケア専門医による精緻な症状コントロールやホスピスなどの専門施設での医療のことを指すと考えがちです。しかし効果が証明された緩和ケアは、専門医師のケアではなく、主治医、看護師、SWなどの緩和ケアチームによるケアなのです。緩和ケアを専門にしている医師が行う緩和ケアのほうが、緩和ケアチームが行う緩和ケアより優れているというデータは得られていません。それよりも、必要な緩和ケアをタイミングよく提供することのほうが重要であるということが示されているわけです。
2012年アメリカ臨床腫瘍学会(American Society of Clinical Oncology ; ASCO)はがん患者とその家族に対し、がん治療の過程で診断早期からの緩和ケアが行われるべきだとするガイドラインを策定しました。2017年にはそれを改定し、行うべき緩和ケアとしてその内容を示しています。
1)患者と家族に対して信頼関係を結ぶこと
2)症状および苦悩、生活機能のコントロールをおこなうこと(痛み、呼吸困難、疲労、不眠、気分の落ち込み、吐き気、便秘などの治療)
3)疾病の理解度をたしかめその予後について話し合い教育すること
4)治療のゴールを明らかにすること
5)苦悩にうまく対応することを支援すること(ディグニティセラピなど)
6)医療処置に関する意思決定の支援をすること
7)ケア提供者間の調整をすること
8)必要に応じて他のケア提供者に紹介すること
さらに、治癒がのぞめないがん患者では診断の8週以内に緩和ケアが介入することを推奨しています。
緩和ケア専門職の絶対数は未だ少ないことから、がん治療医が緩和医療の知識を習得し、継続的な患者のアセスメントを行いながら上記の緩和ケアを提供し、状況に応じて専門職に紹介することが奨励されています。主治医が緩和ケアチームの一員として参加することは、患者が緩和ケアを持続的に受け中断することが少ないことも報告されています。このような形で主治医が治療を続けることが「見はなされた感」や「治療を諦めた感」をなくし、緩和ケアへのアクセスを高める良い方法ではないでしょうか。
今までの研究から、緩和ケアは医療の基本的な姿勢を保つことに他ならないと結論づけられます。換言すれば、緩和ケアはコミュニケーションを大切にした医療の原点であると言えると思います。緩和ケアががんだけではなく、様々な慢性疾患においても行われるようになったことがそれを示しています。
我が国の拠点病院での遺族調査では、入院中に適切に苦痛が緩和された率は約半数に過ぎず、半数の患者さんは苦痛を持ったまま亡くなっていたことが報告されています。その割合はこの20年間で改善を見ていません。症状コントロールが重要であることは言を俟ちませんが、それは専門医の独擅場ではなく、知識を持った主治医を中心とする多職種で行うことが現実的であり、また理想的であるのです。症状コントロールだけではなく、ASCOのガイドラインにあるような様々な支援を多職種で提供できるような仕組みを作ることこそが、緩和ケアではないかと思います。
緩和ケアを受けることは全ての人に与えられた権利であるということの理解が、医療を提供する人と受ける人の間で深まれば良いと思います。
(1)Early Palliative Care for Patients with Metastatic Non–Small-Cell Lung Cancer
Jennifer S. Temel et al., N Engl J Med, 363;8 , 2010
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