死と無常観を考える

仏教の基本的な考えである無常観について考えてみよう。動物の中で、人間だけが死を恐れることが、無常観を生む原因と言っても良い。進化とともに、原意識⇒中核意識⇒拡大意識(※1)と意識範囲が拡大するに従って、人間には自我が生まれた。それから数十万年を経て、人間個人の価値が向上すること(昔のように事故や病気で簡単に死ななくなったために)、科学が一般化することに比例して、集団より個人の比重が高くなるとともに、死に対する恐怖は高まる。人間は確実に死に至ること、出来ることは、それを少しだけ遅らせることだけ、と考える実存的な無に帰する生は、多くの人には受け入れられないだろう。一方で、客観的事実として、地球上では過去に700億人以上が生きて死んでいった。現在でも年間1億3000万人が新たに生まれ、そして死んでゆく。

エフゲニー・エフトゥシェンコ(※2)は次のように述べている。「意識は、個人に対して人生に目的を与えることに成功した見返りに、人間を死という牢獄に閉じ込めるはずであったが、間一髪、刑務所釈放カード(死後の世界の存在、あるいは魂の存在)を手に入れた。それが進化の物語であった。死後の生を信じる気持ちが、この世で使命を全うしようとする個人の意欲にとって必要不可欠である。この信念を揺らがしかねないのが、科学である」と。

また、発達心理学者のポール・ブルーム(※3)は、あなたが抱いている危険思想は何かと言う問に対して、次のように答えている。「私が抱いている不穏な思想は・・・魂と言う言葉が非物質的で不滅のもの、脳から独立して存在するものを意味するのなら、魂は存在しないと言う考えだ。・・・魂の存在が広く否定されたら、人々が死後はどうなるかを考え直し、自分の魂は肉体の死後も生き続け天に上ると言う考え(アメリカ人の9割が信じている)を放棄しなくてはならなくなる。これ以上の危険な考えはないだろう」。

世界のほとんどすべての宗教(アニミズムを含む)は死後の世界を想定している。死後の世界の存在を前提として、生きるための方法を説いているのだ。インドでは、バラモン教(ヒンズー教)も、転生(何度も生き返ること)を建前として死後の世界を説明した。このような、宗教で必要な永遠のものと、無常観とはある意味で相反する。神の存在も当然ながら死後の世界を前提としている。これに対して、死後の世界はなく、世界は常に変化していることを前提とする無常観は受け入れること自体が難しい。

しかし、次のように説明されると「無常」感はある程度理解できるのではないか。地球上の生物はすべて変化して死に至る、人間だけが特別ではない。これは自然が定めた法則だ。それに不変と考えられる山や川も長い間には変化している。すべてのものは常に変化する「無常(一定ではない)」の考えは、当然のことであると考えられる。一方で、無常を理解しても、自分が変わること、自分も変化していることは想像を超え認めることは出来ない。そして、自分の究極の変化は死に至ることであるとすれば、変化する世界を発見するために、変わらない自分を置いている場合、ものを見る視点を変えることは難しい。つまり、変わらない自分から見て全てのものが変化することを理解してもそれは解決にはつながらない。自分自身が変化することを真に理解することによって、初めて、無常・苦・無我の考えが理解できるのだ。変化するものの中に自我も入り、意識がなくなっても(意識は手段としてたまたま発生したものだ)地球の中には自分の物質は存在する。これは、天動説から地動説への転換と同じようなことである。無常を発見しても、それを考える自分は固定していると考えるとすべてが失敗する。天動説から地動説への変化、つまり、自分も動いていることを知ることが必要なのだ。自分自身が無常、つまり、我は変化すること、無我であると考えることが出来ればよい。この考えでは、自我は相対的に役割を低くする。

精神学的には、人間の負うべき死に至る宿命(苦)を解消できない状態が精神病、あるいは神経症的な行動となる。多くの人は、宿命的な「苦」自体を圧縮し、適当に対処している。しかし、「苦」は常に表面に現れようとする。結局は、「苦」に対して、自分自身で向き合い、その解決を行わなければならない。

(※1)アントニオ・R・ダマシオによると、原意識;単細胞生物などが持っている自動反応を起こす程度の意識、中核意識;哺乳類などが持っている現在の状況を理解する意識、拡大意識;人間が持つ記憶を伴った意識。

(※2)エフゲニー・エフトゥシェンコ;ソ連、1955年以後、自由への欲求を大胆に表現した抒情詩で圧倒的な人気を得る。反体制活動家、作曲家。2017年4月1日、米国オクラホマ州タルサの病院で心不全により死去。

(※3)ポール・ブルーム;カナダ系アメリカ人心理学者。イェール大学の心理学と認知科学の教授。彼の研究は、言語、道徳、宗教、フィクション、芸術に特に焦点を当てて、子供と大人が物理的および社会的世界をどのように理解しているかを探っている。

公益財団法人橋本財団 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
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