新型コロナウイルスで変化する福祉・世界と逆行する日本

まさか新型コロナウイルスが一年以上も世界中に蔓延した状態が続くとは、2019年までは誰も想像すらしていなかったでしょう。これが歴史の教科書や映画の世界に出てくるパンデミックかと実感しましたね。

この新型コロナウイルスの影響で世界的に社会構造が変化し、日本でもかなり社会の仕組みが変わったように感じます。日本社会全体で見るとプラスの変化もあればマイナスの変化もあるようですが、重度障害者の私から見ると、福祉の世界ではマイナスの変化が多すぎてプラスの変化にはまだまだ至っていない気がするので、そのことについて書こうと思います。

新型コロナウイルスの影響で、入院している人に面会に行けなかったという方や、特別養護老人ホームのおじいちゃんおばあちゃんに中々会いに行けないという方が多いと思います。この人と人との接触で感染していく新型コロナウイルスは、福祉を破壊していきます。特に大規模施設や病院などでは、クラスターの発生の恐れから重病人のごとく面会謝絶や外出禁止といった対応が一年以上続いています。
入院患者さんが、面会も出来ないから訪問看護やホームヘルパーを使って在宅で家族と暮らそうと考えてるという話もよく聞きますね。

重度障害者の場合、私のように在宅生活をしていると、ヘルパーさんと巣篭り生活をしたり、大規模な通所施設には通わずに小規模な通所施設に通ったりと時代や環境の変化には対応しやすいですが、大規模施設に入所してしまった重度障害者だとそうもいかず、健康なのに重病人のように外部と遮断されてしまいます。にもかかわらず、大規模施設ではクラスターの発生が多く、在宅生活をしている重度障害者より新型コロナウイルスに感染する恐れが高いというどうしようもない結果になっており、安心・安全を求めて入所した重度障害者も多い中で、逆に大規模施設が危険で暮らしにくい状況になってしまいました。

人が生きるという事は、ただ食べて飲んで病気にならないために温度管理の中で隔離されることでしょうか?これで生きている実感があるでしょうか?

人は誰かに会って怒ったり喜んだり笑ったり泣いたり、暑さ寒さを感じ、愛したりふられたり、色んな感情や感覚に触れないと生きられないと私は思います。

国の福祉政策でも在宅や生まれ育った地域で暮らすという地域移行が言われるようになり、障害者権利条約も批准したのに、在宅での支援が乏しいために施設に入所せざるを得なかった重度障害者は、暮らしは改善せず今は新型コロナウイルスの影響で家族にも会えない生活を強いられています。自らの力では何ともならなくて、新型コロナウイルスの終息を願う事しかできず、本当は社会や行政の力が必要なのに忘れ去られてしまっているようです。

感染症から命を守る、というと、弱い人を施設や病院へ隔離という発想が昔から日本では強いのではないかと感じます。患者を隔離する事と感染予防のために隔離する事との違いはあれ、ハンセン病患者も歴史が似ているので少し紹介します。

ハンセン病の歴史から書くと、1873年にノルウェーのハンセン医師が「らい菌」を発見。 1943年には米国で「プロミン」がハンセン病治療に有効である事が確認されたのを契機に、治療薬の開発が進み、1981年にWHOが多剤併用療法(MDT)をハンセン病の最善の治療法として勧告するに至り ハンセン病は完全に治る病気になっています。

日本では1907年にらい予防法が施行され ハンセン病に罹患した人びとは遠く離れた島や、隔離された施設へ追いやられ、自由を奪われ「leper」という差別的な呼ばれ方で、社会から疎外された状態で子孫を残す事さえ許されずに生涯を過ごす事を余儀なくされました。
ハンセン病はもはや完治する病気であり、ハンセン病回復者や治療中の患者さえからも感染する可能性は皆無です。

1996年にらい予防法は廃止されます。 なぜ、ここまで廃止が遅れたのでしょうか? それは、隔離政策が、患者を隔離すると同時に、ハンセン病治療自体を隔離してしまっていたからなのです。離島に病床を作り社会から隔離したため完治しても社会復帰が難しく、らい予防法の廃止が遅すぎて色んな差別も出てきた歴史があり、またこれは長期間の施設入所者にも言えますが、一度社会から離れると簡単には戻れない事もあって今も療養所で暮らす人が多数います。

日本は健常者の人権の制限はなく緊急事態宣言が出てもあまり制限はないですが、社会的な弱者・弱い立場の人には命を守るという理由で簡単に社会から隔離するのでしょうか?

もし地域移行が進んでいたなら施設でクラスターは発生したでしょうか?

新型コロナウイルスが流行する前から、先進国では大規模施設や精神病院の長期入院病棟は閉鎖の流れでした。しかし日本では新型コロナウイルスで施設隔離の方向に舵を切ってしまい、地域移行には全く向かっていません。コロナで社会が変わっている中で、私たちのような立場の者にとってはマイナスの変化が大きいこの現状を知ってほしいです。

「夢を叶える145」ライター宮村孝博
1974年10月22日 誕生
1980年 城山養護学校小学部(現在城山特別支援学校)に入学(丁度その前年に、障害者の義務教育が開始)
1992年 城山養護学校高等部商業科卒業。と同時に、父が運営する関金型に就職。母の手を借りながら、部品加工のプログラムを作成。
2003年 父が亡くなり失業。母も足の難病に罹り、障害者二人暮らしが始まる。
2006年 「伝の心」と出会う。
2017年 「夢を叶える145」ライターデビュー 「チャレンジド145」プロデュース
趣味、囲碁、高校野球観戦
春と夏の甲子園の時期はテレビ観戦のため部屋に引き篭もる
1974年10月22日 誕生
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