ワクチン接種の混乱で見えてきたもの

2019年の12月から発生した新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)については、これまでにもいくつかの意見を述べてきました。世界的な流行であるパンデミックという事態をリアルタイムに経験することになったのは、医療人として勉強になったと言っていて良いものかと迷いはしますが、感染症を軽んじてきた現代医学へのしっぺ返しであることだけは間違いがないようです。

さて、コロナ登場当時はただただ見えない相手に怯えつつ、単純に「感染しない」「感染させない」ということしかできなかったわけですが、いくつかの治療薬と予防としてのワクチンが登場し、日本でもやっとワクチン接種ができるようになりました。しかし、ワクチンは外国から輸入しなければ手に入らないことから、ワクチン接種の最前線では、政府が発表し、それをメディアが報道しているようには上手く事は進んでおらず、「絵に描いた餅」を実感することになっています。

私の病院がある地域でも、まだ正月気分も抜けきらない1月15日の夜(といっても、今年の正月はただ単にカレンダーを新調しただけのことでした)、緊急に医師会での会議が招集されました。

その会議では、「もうすぐワクチンが入るので、1月22日までに(もう1週間しかない!)、各施設でのワクチン接種希望者のリストを作成して提出せよ」という指示がありました。翌日、早速関係部署に連絡してリストを作成してもらい、1バイアル5名の計算(これも二転三転しましたね)での枠組みや日程調整も行うことになりました。そして、次の指示を待っていましたが、なかなかワクチンが届くという連絡はありません。とは言え、飛行場に降り立つジェット機の映像が恭しく流され、第一便のワクチンが降ろされる画が映されたのは(調べて確認したところでは)1月12日だったようで、「成程、それで緊急会議だったのか」と思ったことでした。

しかし、そこには万単位で届いていると報道されてはいるものの、同時に示される国内の接種対象者数と三桁もの違いがあることへの違和感はありました。昨年末に、「人口の倍以上の数を打てる契約をした」と声高に政府からの発表があったものの、徐々に、それは「すぐに必要数が届くという保証ではない」ということであり、政治が得意とするパフォーマンスであったと知らされることになります(案外、彼らは本気でそう信じていたのかもしれません)。そのうえで、「金持ち日本の足元を見られたのではないか」、「契約だけで実際にいつ届くかまでは決められていないのではないか」といった憶測が飛び交うことになりました。いずれにしても「とにかく少な過ぎる!」と言うのが実感で、「これで届いたと喜んでいて良いのか?」「一体どういう配分にするのか?」といった疑問が沸いてきたのでした(と皆さんも思われたのではないでしょうか)。

案の定、私のいる地域には、3月に入っても届く当てはなく、繰り返される会議でもマニュアルや予定ばかりが示されるだけで(何度バージョンアップしたことか。すでに印刷することは止めています)、県の担当者(先行の医療従事者への接種担当は県です)や市の担当者(高齢者以降の接種担当は地元自治体です)は、最後には「いつ届くかは後日わかります(今はわかっていませんと同義語)」を繰り返すばかりでした。

このことは、おそらく日本国中で起こっていることと想像しますが、建国以来初めという国家規模での集団接種と言うことで容認して良いものかどうか、もう一度検証してみる必要がありそうです。

(※1)当地では3月に入ってから、コロナ患者さんを入院させている施設の医療従事者からワクチン接種が始まったようでした。発熱外来を行い、コロナ陽性の方は専門施設へ送っている当院では、コロナを扱う施設に対するような医療補助もなく、ワクチン接種も遅れて4月19日からやっと接種が始まりました。もっとも、まだまだ遅れている地域もあるようで、ましな方かもしれません。

さて、話の切り口を少し変えてみましょう。

そもそも、何故ワクチンを多額の税金をつぎ込んで外国から購入しなければならないのでしょうか。この答えは明らかで、日本の「国家」としての感染対策、さらにはワクチン対策が長年に亘って放棄されており、さらには歴代の政府の無為無策が招いたということになります。要は、「すぐに役に立たないものは無駄である」といった軽薄な流行学問の甘言に、金の使い方を知らない似非政治家たちが同調した結果であったということであり、そのことを真摯に反省し、将来に禍根を残さない政策転換が求められるのではないでしょうか。いつぞやの一次的な政権では、「二番ではいけませんか」などと言って、経費削減を声高に言った議員もいましたっけ。

こうした日本のワクチン行政の失態の裏では(というより寄り添うようにして)、ワクチンでの副作用を声高に言い募って世論をミスリードしたメディアの責任も(本当はこちらの方が)大きいと思っていますが、国家百年の計とまでは言わないまでも、何が本当に正しい事で、そのためには今何をしなければならないかを論ずるだけの真の政治家やメディア人、論客はわが国にはいないということの証左のように思えてなりません。

(※2)4月20日の時点で、コロナ対策のトップは依然として経済再生大臣のようで、厚生労働大臣の出番は少なくなっており、やはり経済優先なのでしょうか。それに加えてワクチンの報道担当となった行政改革大臣が、それまでの県や市からの(ということは国の)指導とは異なった言いたい放題ということで、さらに現場の混乱を招いているように思えています。さらに、4月20日には、今度は自民党の政調会長が記者会見で「自治体によっては医療関係者の協力が十分でなく、ワクチン接種を65歳以上に限定しても、今年いっぱいか、場合によっては来年までかかるのではないか」と発言されています。ワクチン自体の供給が不十分なことは棚に上げてといったことで、とくに最初のくだりには医療従事者の一人として明確に異議を表明したいと思いますが、政府と与党の連携はどうなっているのかと今更ながら心配になると同時に呆れています。


ウイルスはおそらく人類より古い地球の住民で、ウイルスのお陰で人類の生物学的進歩があったとも言われています。今回のような、人類にとって都合が悪い種類のウイルスが出てきた時だけ騒ぐというのでは、ウイルスに笑われているのではないでしょうか。個人的には「人類こそが地球に巣くう癌」になっているのではないかと考えていますが、今回のウイルス感染症は、神様の人類への厳しい警告ではないかと思っています。

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
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