脳科学者のアントニオ・ダマシオは、意識を「原意識」「中核意識」「拡大意識」に分けている。「原意識」は、原始的反応を主とするものであり、単細胞生物で見られる刺激に対する反応(近づく、逃げるなど)が主体だ。「中核意識」は、自分の周囲の環境からの刺激に対して情動が起こり、その結果反応が起こるものだ。脊椎動物はすべて「中核意識」によって生きている。これに対して、進化による脳の発達により、人間は他の生物と異なり、「拡大意識」を持つようになった。「拡大意識」は、記憶の助けを借りて、現在の自分及び自分の周辺の環境情報(中核意識)に加え、過去を記憶し、その記憶に基づいて未来を予想できる能力である。その結果、人間は大きな力を獲得する。自分という存在を意識できるようになる。同時に、人間は多くの人の「死」に直面し、それが記憶され、論理的に「死」が避けられないことだと理解し、「死」を自分自身のこととして考えるようになった。死に関する恐怖は、自分が消滅することと、世界がそれにも関わらず存続していることの断層にある。死ぬ前に何かを残すことは出来るが、その結果を知ることは出来ない。例えば、死後の葬儀で自分の好きな曲を流すことを希望しても、自分はそれを聞くことが出来ないことにある。自分が死ぬと世界が終わるわけではないのだ。
人間はこの様な死の問題に対して二通りの解決法を考えた。第一は魂を想定すること、第二は問題に悩む「自我」をなくすることだ。「魂」の問題は、現代でも昔と同じ様に重要である。ニコラス・ハンフリーは次のように述べている。「意識は、個人に対して人生に目的を与えることに成功した見返りに、人間を死という牢獄に閉じ込めるはず(死から逃れられない)であったが、間一髪、(人間は)刑務所釈放カードを手に入れたようだ。」つまり、刑務所釈放カードは「魂」の存在を認めることであり、死後の生を信じる気持ちは、この世で使命を全うしようとする個人にとって必要不可欠になる。しかし、数千年続いていたこの信念を揺るがしかねないのが科学である。科学的に魂の存在が否定され、それを人間が承認したら、自分の魂は肉体の死後も生き続け、天に上ると言う考えを「放棄」しなくてはならなくなる。
日本人は、実質的に無宗教だと思われるが、魂については態度を変える。「科学的」な考えを無視し、魂が存在すると思う人が圧倒的に多いのだ。「草葉の陰で見守ってくれる」「死んだ親も天国で喜んでくれるだろう」などは、いずれも死後、魂の存在を前提としている。進化論的な考えを教育され、科学的説明に弱い日本人が、なぜ、科学に反する魂の存在を是認するのか? その答えは、ニコラス・ハンフリーが述べているように、絶対無となるような死に対する恐怖からだろう。高齢化社会が、従来の社会秩序を侵食している今日、我々は、中途半端な状態から脱し、力強い生を得るために、死に対する認識を明確にする必要がある。それは、魂の存在をあやふやに是認し、恐怖から逃避するのでなく、実存的な考えを持ち、死を日常的に語ることである。
第二の「死」に対処する方法は、自我をなくする方法だ。ブッダは、全てのものが「無常」である世界では、自我も当然無い「無我」であることを明らかにした。「無我」を前提とする世界では、死はなんら重みを持つことはない。しかし、「無我」を想定することは、「自我」を否定することであり、実際には非常に困難だ。たしかに「無常」の考えは、エントロピー理論との整合性があり、考えやすいが、「無我」に至ることは難しい。
そこで、「自我」についてもっと広い視野から見るとどうだろう。個人の消滅が絶対無となることについては、次の様に考えても良い。生物は何もないところから発生するのでなく、有機物あるいは無機物の違いはあれ、あるものから発生し、その生物が死亡すると、別の物へ移転するのである。例えば、人間の死に伴って、人間の体や意識は消失するが、その構成要素である有機物あるいは無機物は、形を変えて地球上に存在する。人間の体をハゲワシが食したとしても、それはハゲワシの一部となる。地中の微生物が人間の体を分解したとしても、その構成要素は微生物の体の一部となるのだ。地球上で万物は、その形態を変化させるが、その要素は形を変え、他の生物の役に立っているのである。すべてのものは一定の形に留まらず、常に変化している。そう考える自分も長い地球の年月の中で一瞬の存在であることを考えると、自分自身に(魂も含め)過度の執着をすべきではないだろう。つまり現在の生は、地球の営みの一部であり、個人に対しては、長い地球の年月のうち、極めて短い時間が与えられているのだ。そして、人間全体としても1年間には1.5億人が生まれてほぼ同数が死んでゆく、地球の大きな生のサイクルの一部に過ぎない。個人の生は極めて軽く小さな存在だ。
しかし、人間の存在を軽くすることは、自分自身のみでなく、人の生を軽んじることに繋がらないのか? かつて日本の首相は「人間の命は地球よりも思い」と言ったそうだが、そうではなく、実は人間の命は吹けば飛ぶような軽さなのだ。
そうは言っても、小さな自我から見ると、生と死には大きな矛盾(どう考えれば良いのかわからないこと)がある。「拡大意識」を持った人間にとって、死の問題は、魂の存在や無我の考えで解決出来ないとすれば、矛盾を抱えたままに、死に向き合う必要があるように感じる。つまり、死を生に絡めることなく、死は本来の矛盾のままに耐えるしか無いと宣言することだ。死についての矛盾のために、生を否定することは、論理によって実態を変えようとすることに等しい。同時に、自己の軽さを認識することも必要である。これは事実を認識することであり大切だ。
人間の命は地球よりもずっと軽い。その場合、問題となるのは生でなく、人権となる。生の軽重は、当人が決定すべきことである。即ち、人間の命に関する命題は人権に置き換えられるべきである。個人が所有している命を第三者が問題にすることは出来ないが、人権は普遍的なものであり、第三者が当人の命は左右できないが人権に対しては干渉することが出来る。命と人権は別次元のものである。
人権とは、命を含む生活上、あるいは活動上の事柄について、自分自身で自己を左右できることを保証する仕組みである。従って、命は、当人が守りたいと思えば(他者との関係もあるが)、それを容認するか、あるいは、積極的に保護すべきである。しかし、当人が必要性を認めない場合は、公的な義務として命を永らえることはない。守るべきは人権なのである。
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