重り付きの藁

インターネットの時代です。欲しいものがあるとネットショッピングで探し、ポチッとすれば、大抵の物は翌日には手に入ります。いちいち本屋や電気屋、スポーツ用品店に出向かなくても、欲しいものが早くしかも安く手に入る時代になりました。また何かを調べたいと思った時には、検索画面にその文言を入れると、たちまち多くのサイトが提示され、辞書を引かなくても、識者に訊かなくても、大体の情報を得る事はできます。便利になったものです。

私は今まで多くの乳がん患者さんに告知をして来ました。今でも月に10人以上の患者さんに、がん告知をしています。私はなるべく安心できるように言葉を慎重に選んで、ゆっくり時間をかけて伝えるように心掛けています。
しかし多くの患者さんは「がん」という言葉を聞いただけで、かなりの衝撃を受けます。冷静に聴かれ理解していただけたと思っていても、『目の前が真っ黒に、頭が真っ白になり、何も考えられなくなりました』とその後の診察時に話される患者さんが数多くおられます。

自宅に戻った患者さんが「がんだった」と家族に話すと、家族もどうしたらよいか分からず途方にくれるでしょう。
そうすると本人や家族、親族や友人までもがインターネットや様々な書籍を駆使して情報を集めるでしょう。そして患者さんに役立ててもらおうと伝えるのです。

これが落とし穴です。

実際に、Yahoo検索画面で『乳がん治療』と打ち込んでみます。ちなみに今日の日付は2017年8月1日です。一番最初に、日本乳癌学会の作成したサイト『乳がん診療を正しく受けていただくために』が出て来ました。これは最近始まったのでしょうか。大変いいことだと思います。その下には色々な実証に基づく情報サイトが続いています。しかし最下段に広告が出てきます。私の住む県の隣の県の免疫療法クリニック、東京の形成外科クリニック、ワクチン療法、食事療法の広告が出てきました。

ネット上の医療情報は、実証に基づいたものからほとんど詐欺行為と目されるものまで、まさに玉石混交です。実証に基づかない情報は、それを発信する人の願望と推察に満ちたものです。時には悪意を含むものもあります。がん治療は「こうあって欲しい、こうあるべきだ、こうすりゃ儲かるぜ!」という気持ちが昂じて発信されていると思います。

概ね実証に基づいた情報よりもそれ以外の情報の方が、がん患者さんにとって優しい治療、素晴らしい医療、を提供しているような書き方をしています。それは本屋さんのがん治療コーナーに並んでいる『がん医療本』でも同じことが言えます。費用さえ出せば、本など誰でも出版できる時代です。

ある首都圏のクリニックのホームページを、先日見る機会がありました。その冒頭には『当院は、がん術後の再発防止にほぼ成功しています』と書かれています。これにはちょっと驚きました。これほどまでにすごい文言は、これまで見たことがありませんでした。院長の年齢は70代半ばのようですが、その専門の自律神経免疫治療がそんなにすごいものなら、なんで日本中に広まらないのでしょうか。

 

実証に基づく治療のサイトには、乳がん治療であれば当然10年生存率、再発した場合においても生存曲線が示されています。当然根治手術後の再発率は0ではなく、再発治療では5年以上生存する確率はかなり低い数値になっています。当然、前述の首都圏のクリニックの成績とは比べようがありません。全ての乳がん患者さんがそのクリニックのことを信用するとは思いませんが、中にはそのクリニックに魅力を感じる乳がん患者さんがいても不思議ではありません。

 実証に基づく治療は『標準治療』と呼ばれます。ここに一般の方が誤解する一因があるのかもしれません。標準=スタンダードなら、もっといい治療=デラックスがあるのではないか?と思う方がいると思います。あるいは標準治療=竹であれば松竹梅の松の治療を私は受けたい、家族に受けさせたいと思う方がきっといるでしょう。

 

『標準治療』とは現時点では最も有効と考えられている治療です。最高治療と名称変更してもいいかもしれませんが、その名称ではちょっとおこがましいかもしれません。実際『標準治療』はガイドラインが改定されるその都度変更されます。最高治療が度々変更されては信頼されません。そこで『正規治療』という名称に変更するのはどうでしょうか。正規治療に対する非正規治療という名称でインチキ治療を位置付ければ、インチキ治療の被害者はかなり減ることでしょう。

 
がん患者さんがネットを駆使してたどり着いた先がインチキ治療であった。その場合ネットの落とし穴はまさに底なし沼です。藁をも掴む気持ちで色々情報を得ようとしたところ、たどり着いたところは大船でないばかりか、小舟でもない。藁でもいいかと思いきや、その藁には『重り』がついているではないですか!

 

 保険診療には、細かな規制をこれでもか!と、かけてくる厚労省ではありますが、一方いざ自由診療になるとほとんど野放し状態で、インチキ治療やり放題、宣伝し放題の現状は憂慮すべき事態と思います。公的な機関が今すぐにでも規制するべきでしょう。公正取引委員会ならぬ公正医療委員会なるものを、有識者と公的機関とで作り、インチキな医療情報を発する医療機関を監視し、違反者は駆逐されるべきであります。がん患者さんがたとえ大船ではなくても、きちんと水先案内人のついた沈みにくい船で航海できるように願うばかりであります。

 


乳がんは、酵素風呂に入ったり食事療法なんかでは、当然治りませんよ!

ペンネーム池井戸 高志
還暦過ぎの外科医 出身は瀬戸内地方、地元の高校を卒業後、北杜夫に憧れの北国の医学部に進学。 大学卒業後は、6年間臨床研修、その後3年間の大学医局で研究生活し地元に帰る。 今でも年間300例の手術を執刀する現役外科医 現在も国内外の学会で発表、論文執筆を続けている。 今のところ、趣味は愛犬との散歩、ゴルフ。 また根っからのタイガースファン、学生駅伝の観戦に最近ハマっている。 特技としてはピアノの弾き語りであるも、楽譜は読めない。 好きな小説家は北杜夫、ヘルマンヘッセ、池井戸潤。 好きな歌手、松任谷由実 ビートルズ。 尊敬する人、野茂英雄、初期研修時代のオーベン。
還暦過ぎの外科医 出身は瀬戸内地方、地元の高校を卒業後、北杜夫に憧れの北国の医学部に進学。 大学卒業後は、6年間臨床研修、その後3年間の大学医局で研究生活し地元に帰る。 今でも年間300例の手術を執刀する現役外科医 現在も国内外の学会で発表、論文執筆を続けている。 今のところ、趣味は愛犬との散歩、ゴルフ。 また根っからのタイガースファン、学生駅伝の観戦に最近ハマっている。 特技としてはピアノの弾き語りであるも、楽譜は読めない。 好きな小説家は北杜夫、ヘルマンヘッセ、池井戸潤。 好きな歌手、松任谷由実 ビートルズ。 尊敬する人、野茂英雄、初期研修時代のオーベン。
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