「情動」の自動化について

好き嫌いなどは、感情である。感情は極めて人間的であり、「自動化」するなどは出来ないか、すべきではないと大部分の人は思っている。しかし、感情の源泉は「情動」だ。「情動」は人間や他の生物が生きていくために不可欠なものである。例えば、生きるためには、エネルギーが必要であり、エネルギーを補充するために感じる空腹感は「情動」である。空腹感を感じる理由は、体液の状態などから、エネルギー補充の必要性を体に知らせるためだ。必ずしも脳を介する必要はない。哺乳類が体温を保つために行う行動も、「情動」によって左右される。「情動」は人間にとって必須のものだ。そして、極めて物理的である。「情動」は生物以外の物体と同じように、一定の物理法則によって動くものであると理解されつつある。「情動」に基づき、感情が発生する。

「情動」と感情との関係は以下のようである。

「情動」は基本的欲求であるが、他の動物と違って人間の場合、幼児を除きそのままでは現れない。何らかの「情動」が出現すると、脳で過去の記憶や周囲の状態が加わり、感情となって現れる。それには理性も参加している。例えば、肥満の人は、空腹という「情動」が強く現れたとき、過去の食事の記憶、肥満の予防などの知識(理性と呼べるかもしれない)などが相まって、食欲という理性を含む感情を表現する。あるいは、嫌悪感から食欲を抑制する。

感情の発生は、進化の過程で、「情動」を持つ人間あるいは生物に有益だった。「情動」を表現する場合、感情が加わると、「情動」のみの自動運動よりも、行動がより強化される。エネルギーを補充しなければならない「情動」が、食事を取りたい、あるいは、甘いものを食べたい感情に代わると、エネルギー補充に対する実現性が増加する。この様な感情に基づく行動を、他からのコントロールに委ねようとする企てがある。それは静かに人間社会を変えている。

もともと「情動」は、自動化された行動のプログラムであり、進化によって作り上げられた。その点で、「情動」はアルゴリズム化されている。生物的に人間が自分の生存に最適な方法を探す場合、「情動」は感情なしに自動化されている。つまり、眠っていても「情動」を発現させることが出来る。感情は、覚醒時においては、「情動」が働いている時の身体が行うことの知覚と、同時期における、覚醒している精神状態の知覚を併せ持っている。心的プロセスが貧弱な生物の場合、「情動」があっても、感情が伴うとは限らない。

アルゴリズムが進化し、膨大な情報量が機械的に処理されるようになると、思考は人間が行い、思考した結果の行動を機械に行わせていた状態から、思考自体が機械で代替えされる可能性もある。従来の、人間が行う動作の代替から、思考の代替に変化する可能性があるのだ。それは「情動」の機械化(アルゴリズム化)である。

その手始めは、個人によって少しずつ異なる「情動」の平均化である。「情動」から感情が誘発され、理性が加わり行動に至るが、平均化を行う場合は、自分自身の感情を信用しないことが前提となる。寒い暑い、喉が渇く、なにか食べたい、眠りたいなどの「情動」は、一部感情を伴っているが、自然に沸き起こる感情を信用しないで、機械のデータに任せるのである。個人の感情を信用せず、客観的な「情動」データに重きを置く動きは、社会的に有用であり、生産性を高めると言われる。これらは、社会的規律にまで高められる。あるいは、望ましい方法として推奨される。これらの中には、人間の幸福を高めるものも多いが、その反対に人間の生物的機能を低下させるものもある。自然の感情を伴った行動を行わないと、行動を起こした結果を見ることが出来ないので、判断能力が低下する。

「情動」の他律的自動化は、最初に、感情をコントロールできないと思われる人たちに対して行われる。高齢者や子供、そして障害者である。そして、次には一般の人に対して、自身の感情に基づく行動を危険なこととして、自動化に委ねるほうが安全だと薦める。そうすると、「情動」から感情を生み出し、行動を行っていた習慣はなくなり、「情動」からの行動を機械に委ねるようになる。例えば、高齢者は一定時間が来ると自分の感情(のどが渇いた)に関係なく水を飲むように促され、一定時間後には排泄を促される。高齢者も生物である以上、「情動」を伴う感情がないはずはないが、感情があるにも関わらず、それが実現されなければ、もはや自然の感情を失い、他からの自動的な介入によって行動を促されるのみとなる。これは、高齢者や障害者から自律性を奪うと同時に、少しずつ、一般の市民に対しても実行されつつある。

夏が好きだ、嫌いだの感情は固有のものであるが、気温が高くなると注意すべきことをマスメディア及びネットは声高に注意する。水分は〇〇時間ごとに補給し(まるで機械のよう)、服装は〇〇にして、日が当たる場所は注意(かなり日焼けをするから)、眠るときには冷房を「適切に」使うように促すことなどだ。それらを無視することは出来るが、それは次第に少数派になる。「情動」の自動化は、平均的な人間に対して危険を予防するために良いことかもしれない。しかし、次第に人間は自然に対して、自分がどのように感じるのか、そして、それに対してどのように対処すればよいのかを、自分で感ずることがなくなり、生物的能力を低下させ、すべてのことをスマホに頼ることになるかもしれないのだ。

公益財団法人橋本財団 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
  • 社会福祉法人敬友会 理事長、医学博士 橋本 俊明の記事一覧
  • ゲストライターの記事一覧
  • インタビューの記事一覧

Recently Popular最近よく読まれている記事

もっと記事を見る

Writer ライター