政治とカネの問題に対して、「説明責任」を果たすことが求められている。そして、いつも「説明責任」が不十分であると言われる。まるで「説明責任」と不祥事とはセットになっているかのようだ。これに対して、普段の政策に関しての「説明責任」という使い方はあまりされない。本来、政府の「説明責任」とは、不祥事の際に登場するのでなく、普段の政治において常に行われるべきものなのだ。
フランシス・フクヤマによると、民主主義に必要なことは、「法の支配」と、それに伴って行われる政策についての「説明責任」であると言われる。法を作る場合、あるいは、法に基づいて政策を立案し、それを実行する場合、すべてについて「なぜそうするのか」についての説明があり、議論が行われることが、民主主義政治を行う場合に不可欠な条件なのである。民主主義とは必ずしも多数決政治を意味するものではない。政策を行う際に、「説明責任」を果たしたかどうか、が問われなければならない。従って、「説明責任」とは不祥事の際に言い訳のために説明することではないのである。言い訳は言い訳であり、いくら語ったとしても、真実を語っていると国民が思うわけがない。
かつてアメリカのフランクリン・ルーズベルトやイギリスのウィンストン・チャーチルは、熱意を込めて自身の政策を語った。同様に、岸内閣の後を受け継いだ池田首相は、吉田内閣の考えを受け継ぎ、日本が経済を主とした政策に立ち戻ることを意味する「所得倍増」計画を打ち上げた。最近では、この様に国民に対して政府の考え方を説明するリーダーがいない。
例えば今回のコロナ禍での政策の柱は、医療と経済をどの様に進めていくのかについてである。その為には、新型コロナ感染症の本質的なものに対する考察と、それが国民の間にどの様に伝わるかについての予測が必要だ。エボラ出血熱のような感染症では、死亡率が数十パーセントに上り、経済動向は無視して感染予防策を優先すべきことは当然であるし、反対に、既存のインフルエンザでは死亡率は0.1%以下であるので、経済を回しながらその範囲内で感染対策を行うべきだろう。
今回の新型コロナウイルスは死亡率2%と言われる。非常に扱いにくい数値である。政府は、最初感染の阻止を第一に置き、死亡率が10%以上の感染症と同じ様に対処した。その結果、経済に多大な打撃を与えることになった。日本は欧米諸国に比べて、罹患率、死亡数が格段に低かったにもかかわらず、経済的なダメージは、欧米以上となった。政府がこれに懲りて方針を転換し、経済も重視しなければならないと考えるのは頷ける。その後、Go To Travelなどの事業を進め、経済の回復を試みた。しかし、11月になり、感染が再び拡大すると、経済と感染防止の両立が困難となり、感染の拡大を阻止できない責任を追求された。
この様な過程は、多くの国も同様の難しさを経験している。新規の感染症は、性質を把握することが難しい。対策が後手に回ることは致し方なく、あとから対策を批判することは容易であるが的外れだ。しかし、今回の問題の核心は、対策の遅れにあるのではない。「説明責任」という、民主主義で法の支配とともに最も大切な要素を軽視した点にある。
感染阻止と経済重視とは相反する場合が多い。感染を抑えて経済も抑制しないようにというのは、理想だが不可能な場合もある。従って、昨年3月当初の感染重視の考えから、経済も必要であるとの政策転換を行うとき、さらに、昨年11月、経済重視から感染重視の政策への転換を行う時に、感染状況が変化し、以前の政策では対処できない旨の、今までの政策自体の反省も素直に表明し、国民に同意を得る努力をすべきだったのだろう。説明を十分に自身の言葉で行わず、言い訳のような言動に終始すれば、本当に身命をかけて政策を行っているのか、あるいは、政権延命のために政策を行っているのか分からなくなる。
また、出す情報を選択して、国民を誘導しようとする傾向も相変わらず見受けられる。政府からの情報が少ないのは、情報を出さないようにしているのか、あるいは、情報自体が整理されていないのか不明であるが、情報の制御によって、日本人を「無知な大衆」と考え、世論を誘導しようとする方法はやめたほうが良い。
民主主義国において政策を転換する場合は、その理由を述べ、反省点も自身の責任も明らかにして、その内容を説明する「説明責任」を果たし、国民に協力を求める必要があるのだ。
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