ホモサピエンスの繁栄は「自己家畜化」から

人類は今から700万年前あたりに、類人猿の系統から枝分かれして、ヒト(ホモ属)が出来たと言われる。それ以降、細々と続くひ弱なホモ属が、なぜ現在のように地球の命運を左右する繁栄を得たのだろうか?現人類の直接の系統であるホモサピエンスは、約30万年前にアフリカで、その他のホモ属から枝分かれしたらしい。そして、少しずつアフリカから世界に広がった。ホモサピエンスは、それまでに世界各地に広がっていた他のホモ属、例えばネアンデルタール人などを消滅させ、現在の繁栄を築いた。その原因は何だったのだろうか?

ドイツの人類学者である、ブルーメンバッハは1795年著書で、人間は他の動物よりも、「家畜化」されていると述べている。その根拠は、他の類人猿に比べ現存する人類は遥かに「おだやかな」種であることだ。

ここで家畜の要件を考えてみよう。ヤギ・ヒツジ、ブタ、イヌ、ネコなどの家畜の特徴は色々あるが、最も必要なことは、気性がおとなしく、人に服従しやすいことだ。「家畜化」された動物と、その原生種との違いは、その攻撃性にある。例えばイヌの原生種はオオカミだが、両者の違いは明らかである。ヒトはチンパンジーなどと比較すると、グループ内の暴力で死亡する率が1%に満たない(少ない)ことがわかっている。戦争などの大量殺人が起こった20世紀でもそれは変わらない。ホモサピエンスは、攻撃性を弱めた結果、付随的に、協調性を獲得した。言葉の発達も協調性に貢献している。

動物が持つ攻撃性には2種類の性質がある。反応的攻撃性と能動的攻撃性だ。反応的攻撃性は感情的、反射的に攻撃する性質であり、他の動物からの攻撃に対して即座に反応する。人間で言うと、いわゆる衝動的な殺人が相当する。これに対して、能動的攻撃性は反射的な反応でなく、計画的に行われるものだ。個人単位の計画的な殺人や部族同士の闘い、近代の戦争がこれに当たる。これは動物には少ない。反応的攻撃性は脳の辺縁系とくに扁桃体の作用が強い。これに対して、能動的攻撃性は扁桃体の作用を抑え、大脳皮質、とくに前頭前野が優位になり、扁桃体で発生する衝動性を抑制した結果である。

つまり、ホモサピエンスの特徴は、反応的攻撃性の低下である。反応的攻撃性が低下した結果としての協調性がホモサピエンスの繁栄を生んでいることは確かだが、協調性は「家畜化」に伴って発達する。家畜は動物が人によって飼育される結果であるが、人を「家畜化」するものはないので、「自己家畜化」つまり、自分自身で「家畜化」することが行われたことになる。人類は「自己家畜化」によって、反応的攻撃性を弱め、協調性を増していったと言える。

「自己家畜化」が起こったとする現象について、リチャード・ランガムは、「善と悪のパラドックス ーヒトの進化と〈自己家畜化〉の歴史」のなかで、家畜化に伴う変化が人間に起こっている、次のような身体的変化をその証拠としている。

1. 家畜は野生種よりも小型になる。骨の太さから見ると人間は200万年前のホモ・エレクトスから体重が減少した。とくにホモサピエンスから小型化が目立つ。
2. 顔が平面的になる。前方への突出が小さくなる。顎も小さくなる。
3. オスとメスの違いが野生動物に比べ小さい。
4. 脳が小さくなる。人間の頭蓋骨は、過去200万年間大きくなっていったが、3万年ほど前から小さくなり、現代人の脳は2万年前の人よりも10%から30%小さい。

「自己家畜化」によって人間は地球上で支配的な地位を得ることができるようになった。しかし、人間の「自己家畜化」は更に進んでいるようだ。その結果、自然状態とかけ離れた特徴が目立つようになる。人間が「自己家畜化」する際には、コミュニティの中で掟を作り、それを破るものに対しては、侮辱、嘲り、追放によって争いを減らし、人々がお互いにコントロールし合うという必要があった。そして、その様な規律が、狩猟採集民にとっては時として暴君の処刑という形になった。つまり、専制的な存在は他の人達によって葬られるのだ。この様に、「自己家畜化」は小さなコミュニティから始まり、コミュニティを守り、体外的な力を持つために、コミュニティの団結を強く意識するようになった。この習慣は、次第に人々の集合が大きくなっても、人間の内部にとどまったのである。

「自己家畜化」が、コミュニティの協調性を目的とするなら、17世紀から始まった自由、人権思想の動きは、集団の慣習(掟)より、個人の自立を目指すものであり、その結果、コミュニティの解体を促すことになり、人類のさらなる高みへの移動か、あるいは、消滅への道かが問われるようになった。自由と人権を主張する動きは、人類が掟からの開放とともに、ユヴァル・ノア・ハラリの言う「人類至上主義」に道をひらく。コミュニティの掟が通用しなくなると、「自己家畜化」の利点も失われる。科学技術にとっては、コミュニティの慣習(掟)は何ら意味を持たないが、社会構造的にはそうとも言えない。

考えてみると、人々がお互いを気にして同調性の強い日本の習慣は、ホモサピエンスの「自己家畜化」による性質を留めているとも言える。自由と人権を獲得し、「人類至上主義」に至っている世界の状況と、日本の「自己家畜化」にとどまる状態とが、今後どの様に進んでいくかが問題となるだろう。ただ、現在言えることは、「自己家畜化」から抜けだそうとしている世界と、「自己家畜化」の状態に留まっている日本と、どちらに経済上の優位性があるかは明らかである。しかし、長期の選択としては、個人主義に基づく資本主義が曲がり角を迎えている現在、どちらの道を進むべきか、判断が難しいことも事実である。

公益財団法人橋本財団 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
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