19世紀プロシアの政治家ビスマルクは次の様に言っている。「愚者は経験より学ぶ、余は歴史より学ぶ」。人間は、周囲の環境からもたらされる経験によって考え方を決定することが多い。例えば、騙された経験から「商売はもうこりごりだ」、反対に成功体験から「商売の秘訣は・・・」などだ。しかし、個人の限られた経験から、他人や世界の法則を導き出せるわけがないし、将来の予想も立てられるわけがない。視野は常に広いほうが良い。それは、横に広く、あるいは、縦に長く取ることだ。横に広い視野は日本中あるいは世界を見て歩くこと、あるいは、それが出来なければ、世界のことを本やネットを元に広く知ることだ。縦に長く取ることは、すなわち歴史を知ることである。歴史では「オリジンストーリー」的な140億年前の宇宙誕生から現在まで、あるいは進化論に従って生物や人類誕生から現在まで、もっと短く、人類の文明誕生(6000年前)から現在まで、さらには、日本の歴史で縄文期から現在まで、あるいは、日本史に記述された600年頃から現代まで、そして明治維新から、太平洋戦争後からなど色々の範囲がある。いずれの歴史を知ることも、見識を広くすることに役立つ(そしてこれらを調査、記述した方々に感謝したい)。
歴史は英雄たちの物語で語られることが多いが、学ぶ為には、社会の移り変わりを知ることが大切だ。特に、現在の色々の問題が、歴史上どの様な経過をたどって生まれてきたかは、非常に興味深い。例えば、民主主義の歴史は世界で、あるいは日本ではいつ発生して、その後どの様な経過をたどったのだろうか? あるいは狩猟採集期の家族と現在の家族の違いはどのようなものか? などの社会制度の違いに焦点を当てて歴史を見ることは、英雄伝説と同じ様に興味をそそることだ。
最近感じるのは、小学校、中学校の歴史教育において、時間不足か、そもそも学校側がやりたくないためにか、明治以降の日本史が省略されやすいことである。特に、太平洋戦争後の日本史は、現代と連結しているので非常に重要であるが、学校で教えられることが少ない。日本の教科書では、歴史的評価が定まっていないので、記述し、解説することさえ難しいのだろう。その点、学校教育とは離れ、書物によって戦後の歴史を知ることが必要であり、時には、外国人によって著されているものも、第三者的視点から戦後の歴史を知るうえで有用である。
ケネス・B・パイル著「アメリカの世紀と日本」は、戦後の日本の政策がどの様に形成されたかについて、一つの見方を与えてくれる。彼によると、最も重大な転換点は、アメリカ、フランクリン・ルーズベルト大統領が固執した、日本に対する「無条件降伏」要求であるという。一般に「戦争は政治の延長である」との考え方は、「戦争論」を著したプロイセンの名参謀クラウゼヴィッツの言葉であるが、第二次大戦前の戦争では、この考え方が普通であった。ナチスのように、極端な考え方を持った思想集団に率いられた国に対してはともかく、日本はそうではない(極端な思想にとらわれている国ではない)、通常の国であったのだから、「無条件降伏」政策は無用であったとのことである。そして、「無条件降伏」方針のために、本土決戦など徹底抗戦を生み、無差別爆撃そしてついには原爆の投下という悲劇を生んだのだという。例えば、終戦条件として、天皇制を温存する確約や、政府の継続、軍備の解体などを条件にしていれば、早期の降伏の可能性があったし、その後の国内の混乱はあったにせよ、政府への反乱、あるいは、場合によれば革命の発生などを経過して、真の民主主義が生まれた可能性を指摘する。
戦後の日本の立ち位置は、「無条件降伏」政策のもとで、アメリカが考える政治形態を押し付けられる形となった。その結果、アメリカ依存が強くなり、そのために、経済的な復興後も、政治的に自立する機会をなくしている。このことは、敗戦後の状況のみならず、吉田茂の非武装経済第一路線を通して、現在の日本の文化にも大きな影響を与えているという。
日本が本当の独立を果たすべきであるということは、右翼的思想とみなされやすいが、現在日本に蔓延っている、依存的な考えの本質が、真の独立にないことも確かである。例えば、保守的傾向が強い人たちも、尖閣等の問題で、常に米軍を当てにする。真の独立がなく、アメリカに依存する状態は、冷戦時ならともかく、多元的な国際関係になった以上は、改めるべきことだろう。
しかし、現状での中国とアメリカの対立が激しくなっていく状態で、真の独立は、勇猛果敢さではなく、双方に対する日本自身の姿勢が問われる。中国とアメリカの間で、独立した主権を保ち、双方の利害を超えて生きていくためには、非常な努力と勇気と決意が必要となるだろう。そのためにも、広く世界の地理的状況を知るとともに、世界の歴史を知る必要がある。例えば、東西冷戦時のフィンランド、スウェーデンの状態や、朝鮮半島の状況、あるいは、東西の狭間にあったドイツ、東欧諸国などである。どちらの側にも一方的に所属せず、一定の地位を保つためには、今まで以上に今後大きな努力を必要とするのだ。
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