民主主義における国家の説明責任について

フランシス・フクヤマは、「政治の起源」のなかで、人間社会の宿命である、「万人の万人に対する闘争」を終わらせるには、国家の成立が必要であると述べている。国家が成立すると、完全な独裁体制でない限り、まともな統治者は法を作る。統治者が多人数の人民を効率的に統制するためには、法が必要なのである。中国において、紀元前5世紀には、秦が法を整備し、世界で最初の国家となった。そして紀元前3世紀には中国を統一した(しかしその後中国では「法治」国家はなくなり、儒教を基礎とした国家が多くなった)。

しかし近世になり、国家は産業の進展とともに王権の力が相対的に弱くなり、力を持った民衆の支持を得ることが統治上必須となったために、次第に民主主義に移行していった。民主主義の対象は、現在のように国民すべてを基盤とするのでなく、一部の貴族や富裕層から始まり、次第に拡大していく。民主主義では、「法」に加え、統治者が国民に対して「説明責任」を果たすことが前提となる。政府は単に選挙で多数の人から支持されたことだけでは成立しない。民主主義に基礎を置いている政府は、色々の政策に対して、説明を加えることにより、自身の考えを多くの人に理解させることが出来る。考えが理解されれば、政府に対する信頼感が作られる。この信頼は長い年月によって育成される。国家が行う色々な政策を、国家はなぜそれを行うかについて説明し、国民はそれを議論しなければならない。このような交互作用によって、国家に対する国民の信頼が増加する。その反対に政府の説明がなされない場合には、短期的な政策遂行はできるが、政府への信頼は次第に低下する。

近年日本の政府は、「説明責任」を怠る場合が多い。確かに、政策を迅速に行う場合、余分な議論は邪魔になると考えることは、組織を統制する人たちの一般的な嗜好である。短期的には、説明が不足しても、その政策が有効であれば、国をうまく運営することも可能である。しかし、説明がない世界では、まともな議論が起こらない。そして、政府への信頼感が徐々に低下する。例えば、今回の日本学術会議委員の任命拒否も、政府はその理由を説明しようとしない。任命をするかどうかは、政府の権限であり、その是非については意見が別れ、推薦された名簿の人選を承認するか、あるいは、一部の人の推薦を拒否するか、どちらが正しいかについての意見の相違は仕方がない。しかし、「説明責任」を果たさないことは民主主義の根幹に関わることだ。短期的には説明を行うことによって、政府は議論に巻き込まれ、理論的に追い込まれる可能性もある。その結果不利な状況に陥る場合もある。しかし説明することによって長期的には、少しずつ国家に対する信頼は増していくはずである。

個人の関係においても、色々の理由で物事を行うとしても、説明が伴わない場合には相互の信頼感は作れない。説明を行わない行動が増えると、友人関係は失われる。同様に、説明を伴わない政策が増えるに従って、その都度ほんのわずかであるが、国民の国家に対する信頼が減少する。政府は、短期的な政策については関心が大きいが(国民も同様)、中長期的な政策について比較的関心は乏しい。短期的政策は、政府の支持率に影響するからで、結果的に国政選挙の勝敗を左右するからだろう。しかし、「説明責任」を怠ると、中長期的政策に対しての政府への信頼が低下し、その結果、国民の信頼を得なければ出来ないこと、例えば人口減少対策、移民政策、社会保障政策、あるいは、環境問題などについて国民の合意が出来ないことになる。


国民にとって苦い政策を行う場合(行わなければならない場合も多い)、不都合であると思われる判断を行う時には、「説明責任」を果して、政策に対する反対意見に対しても、政府が堂々と意見を述べると、たとえ反対意見が多くても、政府への信頼は増していくはずである。そして、民主主義が醸成される。

公益財団法人橋本財団 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
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