「死」は死者だけのものにあらず

私は、仕事柄、一般の方々に比べて、さらには同じ医者の中でも「死」を取り扱う機会が多いほうだと思っています。一般の方でも、葬儀屋さんやお坊さんといった「死」を扱う方もおられますが、それはすでに「確定した死」であって、「生から死への移行」というか「ホットな死」(とでもいうのでしょうか)を扱うことはないのだろうと思います。特に若い頃には、救急病院に勤務していたため、まさに「生から死への移行」をたくさん経験しましたし、警察医を拝命してからは「忘れられた死」あるいは「置き去りにされた死」とでもいったものを見せつけられる機会がたくさんありました。

そんな経験をする中で、「死」に関する本を買い集めては読み漁ってきましたが、おかげで20冊近くにもなり、今でも時折読み直すことがあります。と言いますのも、救急病院で勤務していた時代には、いわゆる理不尽な、ある種生々しい「死」に立ち会う機会も多く、まだまだ人生経験の少ない若造には荷が重すぎたからでした。否応なく「死」に興味を持たされていく中で、先輩方に教えを乞うわけにもいかず(当時は、先輩方も教えられるほどのものは持ち合わせておられなかったのだと思います)、書物の中に受け止め方や慰め、自分の心の平安を探したのです。

医学教育の中では、最近になってからは緩和ケアなどが導入され人生の終末期に関する教育もなされているのでしょうが、私が学んだ当時は、法医学で「死」を扱いはするものの、人を病から救い、生かすことばかりを教えられたわけで、「医学にとって死は敗北」といった考え方が根底にあったものと思われます。それが、還暦を過ぎ、また父の死を経験したことで、これまでの(あえて言えば)直接的に関係のある方以外の「死」ではわからなかったことが見えてきたような気がしています(誠にもって、不勉強なことでした)。

その一つが、「「死」は死んで逝く人だけのものではない」ということです。緩和ケアの分野では、死んで逝く人に対するケアだけでなく、その後に遺される方々へのグリーフケア(グリーフGriefとは「悲嘆」という意味)が大切にされています。実際、身内が死ぬであろうとわかってはいても、その死への悲しみの準備はなかなかできないわけで、亡くなられて初めて体験することになるため、遺された方々の心に重い負担がのしかかることになってきます。こうした時に、緩和ケアを担当する医療従事者は、遺された方々に寄り添うことで心のケアを行うことになります。看取りとは、そうした「死」の後にくる悲しみはもちろん、前にある悲しみ(親近者の「死」を意識した時に強い悲しみを感じることがあり、これを「予期悲嘆」と呼んでいます)にも対応していかなければなりません。実際には、前と後と分けるのではなく、一連の流れとして一貫した心のケアが、大きな意味でのグリーフケアとなるということではないかと考えています。

こう考えてくると、「死」を構成するものは、もちろん死に逝く人が主体ではありますが、遺される方々や、その「死」に関わる者たちが形作っているものであるということになるのではないでしょうか。現代における「死」とは、「死を迎える方」、「遺される方々」、そして「その死に関わる医療従事者を中心とする人々」の三位一体のものではないのか、今の私にはそう思えてきています(ひょっとすると、後の二者の方が占める割合が、むしろ大きいのかもしれません)。

ところで、「死」を扱う立場にあって常に心に銘じていることがあります。それは、「死を看取るということに慣れないことに慣れる」ということです。時には、こちらがグリーフケアを受けたいほどに、身内同様に(時にそれ以上に)ダメージを受けることがないわけではなく、他の方々よりは少しだけ多い経験の中で、そんなダメージを受けないような工夫をしてしまいそうになっている自分に気づくことがありました。なんでもそうでしょうが、それを生業としている、あるいはそれを担当している人にとっては日常であり、当たり前のこととして「慣れていく」こともあるでしょうし、ある意味で自分の精神状態を守っていることもあるわけで、そうでなければやっていけないという現実もあるでしょう。しかし、先に言ったように、「死」が三位一体で構成されるとしたら、一つ一つの「死」に自分のこととして向き合うことが求められているという想いが湧いてきて、やはり慣れてはいけないと自分に言い聞かせているのです。

そのうえで、「死」から教えられることもたくさんあります。その第一は、生あるものはいつか必ず滅するものであり、死亡率は誰もが100%だという当たり前すぎる事実です。このことは、いくつもの書物に書かれており、また言葉として言われてはいますが、いずれは己の身にも起こることと覚悟しなければ、ただの空虚な言葉遊びに過ぎないと言わざるを得ません。そして、千万の書物や言葉より、一つの身近な死がすべてを教えてくれるということのようでもあります(もっとも、こちらにそれを受け止めるだけの「感性」というか「心」がなければ無駄ですが)。そのうえで、「死」を受け入れる最善の策は、数多の哲学者や宗教家が言ってきたように、「今をよく生きること」に尽きるという結論に達します。

「今を生きる。そして、いつか死が来る。それだけ。ただ単純なこと」。そう、「死」は「生きている人々に等しく寄り添ってあるもの」ということなのです。


さて、皆さんは、どのように「死」を考え、今を「どう生きよう」と考えておられますか?たしかに、人は一人で生まれて一人で死んで逝くとは言いますが、こうしてみると、決して「死」は自分一人だけのものではないと言っても良いのではないでしょうか(※1)。そう考えると、事前に家族と十分に己の「死」について話し合いをすること(※2)も、抵抗がなくなるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
 
「散る桜 残る桜も散る桜」(良寛和尚の辞世の句)

(※1) 6月24日の朝日新聞朝刊の「折々のことば」に、「我々の社会は、「死」を如何に身近に感じ得るか、という点で、準備が少なすぎるのではないか」とありました。これは、村上陽一郎氏の「近代科学と日本の課題」(「中央公論」7月号)からのものですが、ここでは、戦時下に人命があまりに軽んじられた反動で、命の「至上の価値」を唱えるうちに、「死」を支える体制が手薄になっていたと書いてありました。私も全く同感であり、現場にいる私だけでなく、一般の方々も同じことを考え始めておられるのだと感じ、これまでに書いてきたことに少しだけ自信を持つことができた次第です。

(※2)厚生労働省は、平成19年に「終末期医療」という言葉を改め、「人生の最終段階における医療」として、その決定プロセスのガイドラインを作成し平成30年3月に改訂しており、事前に親近者で終末期について相談しておくことを勧めています。また、「尊厳死協会」では“ Living Will (生前の意思)”として事前の意思表示を行うことを提言しています。私も「リビング・ウイル受容協力医師」として認定をいただいていますが、皆さんもこうしたものを参考にして、一度ご家族で話し合い、「死」を身近なものにしていってはどうでしょうか。

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
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