コロナ禍に対しての中央集権と地方分権の役割

新型コロナウイルス対策を考える場合、日本政府の役割と、各自治体(地方政府)の役割とを整理する必要がある。この関係は、日常的に、あるいは問題が発生したとき、すべての組織で起こることと同様であり、中央支配と地方組織(一般組織なら本部と現場)との関係をどのようにすればよいのかを提起している。例えば、緊急事態を国が管理するのか、もしくは地方が管理し国はその補助を行うのかが問われる。会社組織の場合は、起こったことを末端で処理し中央には報告を行うか、中央に上げその指示で処理するかの違いだ。その場合、国家の誕生とその発展の歴史は、中央と地方の関係を見る上で、大きな参考となる。

国家を初めて作ったのは、中国の「秦」であるといわれる。国家についての定義は、国境線、人民の把握、財政の独立性など、色々と考えられるが、これらをほぼ完全に満足した制度は、紀元前5世紀末から紀元前4世紀なかば(秦の始皇帝が中国を統一する150年前)に、秦の宰相であった商鞅によって考案された郡県制である。これは、小農民を戸籍によって把握し、かれらを等級制の爵位を持つ国家の構成員に編成し帯剣を許し、軍役、徭役(無報酬の労働)、租税を課すことによって、人民全員が「参加」する強力な国家を作ることにあった。辺境の秦はその後中原の国々を従え、初めて中国を統一した国家になった。強力な国家が誕生したのは、世界でも秦が最初である。

秦は郡県制によって、すべての人民を国家が管理し、租税を取り立てることで国家財政は豊かになり、すべての小農民を軍役として徴集することにより強い軍隊を作ったのである。ナポレオンによるフランスの国民皆兵制度の2000年前の話だ。国家が成立し、国民を管理するためには、現代でも、国勢調査(人口調査)と収入(あるいは資産)の把握とが最も重要だ。その上で、「軍役」と「徴税」が課される。現代では徴兵制を取る国は少なくなったが、課税要件は厳密になっている。また現代では、殆どの国が中央集権的に運営されているため、ITの発達は中央集権制度を運営するために大きな貢献を果たしている。しかし今回のコロナ禍で、日本ではITを使った国家管理が未熟であることが露呈された。

秦が行った郡県制は、その後日本で律令制度の手本となった。しかし、この様な中央集権制度は強力な国家を作るが、維持することは難しい。なぜなら、数千万人の個人の登録、収入、資産などを一元的に把握し、そして、個人が毎年変化する状態(誕生、死亡、収入の変化、資産の変化など)をその都度うまく把握することが必要となるからだ。これは現代でも難しいが(国勢調査、納税申告などのデータ管理など)、2000年前では事実上不可能と思われる。それを行ったとすれば、驚異的である。しかし、事実中国でも日本でも、古代に起こった中央集権制度(郡県制、律令制)はその後崩れている。つまり、多くの集団を把握するためには、ピラミッド型の組織が必要であるが、その全体に目を光らせることは極めて難しい。秦は短期間で滅び、制度を引き継いで、その後400年余の長期に渡り中国を支配したのは、「漢」である。しかし、引き継がれた郡県制(中央集権制度)は次第に崩れていく。その当時、中国は5000万人程度の人口に対して、1000から1500の県があり、その上に、20から30の郡が存在した。そして、県と郡の主要官僚は、中央政府からの派遣であった。この様に膨大な人員を管理、任命して、中央集権制度を維持しなければならなかった。それを行わなければ、軍役、徭役、租税を課すことが出来ないのだ。

中国・漢の場合も中央政府の財政や権威の低下によって、次第に中央の統制が効かなくなり、郡や県単位での自立が起こり、中央集権が崩れていった。中央集権制度が崩れることは、地方政権が勝手に徴税や軍役を人民に課すことを意味する。国家が存在する以上、その下部機関である地方が全面的に権限を得ることは難しいので、一応は中央政府の意向は聞きながら、その命令が及ばない範囲で、権限を行使する。そして、この様な傾向が次第に強くなると、中央からの独立性が高まる。

中央政府の権限が弱くなる状態で、地方を中央が掌握することは難しい。結果的に、地方に権限を委ねるような、地方分権的にならざるを得ないのである。中央政府が地方に大部分の権限を委ねた状態を、歴史上「封建制」と呼んでいる。日本では江戸幕府は「封建制」によって全国を統治していた。

現代においても、中央集権制度を維持することは難しいが、ITの助けを借りて制度を維持しようとする国も多い。日本は、もちろん中央集権国家であるが、すべてを中央で把握することは無理な状態だ。日本は、「建前上」中央集権が強い組織であるが、そうであれば、ITを強力に使い、中央集権を強化するか、その全く反対に、地方分権を促進し、中央の権限を縮小するかの選択をすべきだった。その場合、どれを地方に委ね、どの分野を中央で統制するかについての制度設計が必要となる。この様な「システム的」発想が日本には不足している。その原因は、「議論」がないことだ。日本政府の議論は、少人数で決めたものを承認するのみの会議、そして、何も決められない会議のいずれかに陥ることが多い。提案とそれに対する反論を論理的に行い、立場の違いを超えて、論理によって議論をすすめる訓練が必要となる。

会社組織でも同じようなことが起こる。中央はその権限を地方に渡したくない。その結果、財政を中央の管理に留める。地方は財政を中央に抑えられているので、中央の顔色を伺うようになる。会社が現場に権限を移さず、本社が権限を握って管理して、現場が本社の顔色を伺っていれば、業績は低迷するだろう。中央が中央集権的に唯一コントロール出来る方法は、徹底的なデジタル化であるが、企業現場の行動がデジタル化によって中央で把握できるようにするには膨大なシステム化の試みが必要となる。それが出来なければ、現場に権限を委託し、判断を委ねるしか無い。

今回のコロナ禍では、中央が一元的に管理するのが難しいことが明らかとなり、デジタル化が未完成な場合には、地方に権限を移すしかないことがはっきりしたのである。いまのところ、日本政府は、この様な選択を行おうとは全く動いていない。いまこそ、この議論が必要な時期だろう。

公益財団法人橋本財団 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
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