以下の状況を考えてほしい。列車が線路上を暴走している。その先の線路が分岐しており、列車の進行する先には5人が作業をしていて、だれも列車には気づかない。分岐したもう一方には1人が作業を行い、同じく列車には気づかない状態だ。あなたは線路の分岐器(ポイント)のすぐ側にいる。あなたが列車の進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかし別路線で作業をしている1人は、5人の代わりに列車に轢かれて確実に死ぬ。あなたはポイントを切り替え、列車を分岐線に引き入れるべきかどうか? なお、あなたは上述の手段以外では助けることができないものとする。作業員とあなたとの関係はまったくない。また法的な責任は問われず、道徳的な見解だけが問題にされている。あなたは道徳的に見て列車の行くのを黙って見過ごし、5人が亡くなるのを選ぶか、あるいは、分岐器を切り替え、5人を助けその代わりに1人を犠牲にするか、という課題である。つまり単純化すれば「5人を助けるために1人は犠牲にしてもよいか」という問題である。トロッコ問題と言われる。
トロッコ問題とは、「ある人を助けるために、他の人を犠牲にするのは許されるか?」という形で「功利主義」と「義務論」の対立を扱った倫理学上の問題である。「功利主義」に基づくなら1人を犠牲にして5人を助けるべきである。しかし「義務論」に従えば、誰かを他の目的のために利用すべきではなく、その結果、何もするべきではないとの結論に至る。トロッコ問題の応用として、次のようなものがある。予防注射をしたら1000人のうち1人が副作用で死ぬ。予防注射をしなかったら感染で10人のうち1人が死ぬ。このような場合、現代人の多くが信じている「功利主義」に沿って判断すると、予防注射をしたほうがいいと思われるが、この場合も自発的行動を起こすかどうかが問題だ。自然に起こる災害(10人に1人が死ぬ)と、自発的に行動した場合に起こる災害(予防注射で1000人に一人が死ぬ)とは、単純には比較できない。多くの場合、自発的に行動して、1000人に1人の死者を出したほうが責められる。その結果として、一般的には行動を控えるようになる。世の中では、純粋な論理とは別に、社会的責任が生じる。普通は積極的に行動したほうが、しないよりも責められる。特に日本ではこの傾向は強い(今回のコロナウイルスの対するワクチンの接種でも、同じ様な問題が生じるだろう)。だから、行動を控えることになる。その結果他人頼みとなる。外圧もその一つである。
トロッコ問題で、線路を切り替える分岐器に飛んできた物体があたり、分岐器が勝手に切り替わり、5人が助かり1人が死亡すると、不幸中の幸いだったと言われる。自分で運命を切り開かず、成り行きに任せた方が無難である。何もしない場合は、誰もその後の経過がわからないが、積極的に行動すると行動したその結果が大っぴらになってしまうのだから。課題に対して意見を述べず、他者や組織(政府)の行動に任せ、そして、結果によって他者や政府を批判する人が何と多いことだろう。
日本国民は政府に対して、「自分たちが作った政府」の感覚は少ない。既存の権力のうちどちらを選ぶのか、との段階に留まっている。政府が自分たちのものであると考えれば、政府の行動の一端の責任は自分にあると考えなければならない。西欧の近代史は、リーダーを選ぶ際に、最初は少人数(選ばれた貴族など-代表はイギリスのマグナカルタ)が選考に関与し、紆余曲折を経た後に、選ぶ人たちの数が増え(少数の貴族から、多くの貴族、大商人など)、すべての男性国民となり、その後すべての20才以上の国民を対象とするなど数を増やしていった。上記の選定方法は、地方単位でも同じことが起こっていたのだ。日本の場合、この過程が多少省略されているようである。
民主主義は現在の発展途上国を見ると分かるように、制度を導入したからと言って、簡単に出来上がるわけではない。制度を施行するとそれに伴う弊害が発生し、更に制度を改善することの繰り返しだ。従って、民主主義の成熟にはある程度の期間が必要となる。民主主義の定着に必要なのは、倫理観と論理性だ。倫理観は、トロッコ問題に対する議論を行うこと(つまり何が正しいかとの、正解のない議論を繰り返すこと)によって生まれ、論理性とは、何が合理的な方法か、どうすれば効率よく物事を行うことが出来るのか、つまり功利的な考えである。
倫理観と論理性(合理性)とは、相反する場合も多い。その反対に、どちらかを考える際に、相互に手助けになることも多いのだ。すべては、倫理観と論理性をもとにして、議論を積み重ねることによって、民主主義も成熟するだろう。
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