時間を味方につけた戦略的な集落づくり

諦めかけている厳しい集落のために

時々、明るいニュースを聞くこともあるが、山間地の小集落の現状は非常に難しい。通院や介護の都合により、ぽつりぽつりと高齢者が転出し、ゆっくりと人口が減少している。精神論でこの流れを止めることは不可能と言ってよい。

集落の活性化が必要なことは誰の目にも明らかである。しかし、現実は厳しい。「特産品づくりなど、過去何十年、いろいろと試してきたが、どうにも衰退に歯止めがかからない」「来年や再来年はさておき、次の世代(数十年先)について明るい未来を描くことができない」「一時にぎやかになるだけの散発的な活性化に疲れた」「それでも今できることは従来型の集落づくりのみ」という集落も少なくないのではないか。今回の文章は、そのような集落のために書かれたものである。

ただし、「一発逆転の必殺技」のようなものを紹介するつもりはない。ここでは、活性化が失敗したときの「保険」(無住化への備え)について紹介する。難しい話ではない。人生の生き残り戦略を集落づくりに応用してみよう。ただ、それだけのことである。

人生の「わからない」に対し、わたしたちは、「保険」をかけることが多い。大学入試なら「滑り止め」、大きな病気への備えとして「医療保険」という感じである。当たり前であるが、それがあったからといって状況が劇的に改善することはない。「滑り止め」を受験したところで第一志望の合格確率が向上するわけではない。医療保険に入ったからといって、大きな病気にかかる確率が下がるわけではない。しかし、それがあることによって、わたしたちは一定の安心感を得ることができる。怠惰なほうに流れる可能性も否定はできないが、「一定の安心を伴う危機意識」は、創造的な思考、建設的な思考を促進する、と筆者は考えている。

人口と釣り合わない大きな活力を持つ西俣(にしまた)町

では、それを集落づくりに応用するとどうなるか。具体例として、石川県小松市西俣町を紹介する。「町」といっても町場ではない。西俣町は、小松市の市街地から車で約30分の山間地に位置する小集落である。通年居住は、2018年10月の段階で8戸12人(うち65歳以上12人)、2020年1月の段階で8戸13人(うち65歳以上11人)となっている。

       宿泊可能な西俣自然教室


耕作放棄地も目立つが、町内には、西俣キャンプ場、宿泊可能な西俣自然教室などがあり、通年居住の人口と釣り合わない「不思議な活気」にあふれている。むらおこしの一環として、ドジョウの養殖、ドジョウ料理のレシピ開発も行われている。西俣町の最大の見せ場は、毎年8月14日開催される「西俣ふるさとまつり」であろう。その日は、町内の関係者を含め、多くの人々が集まる。筆者が見たかぎり、子どもたちには「イワナのつかみ取り」が人気のようである。

       多くの人々が集まる「西俣ふるさとまつり」の会場の一角

       子どもたちに人気の「イワナのつかみ取り」


では、西俣町の大きな活力の源は何か。通年居住の住民の不断の努力が大きいことはいうまでもないが、それだけでは説明できない。西俣町では、町外在住の西俣町出身者とその縁者が住民共同活動(草刈り・水路掃除・お祭り)の貴重な戦力、主力級の戦力になっている。また、町外からの参加については、「自分たちの集落や財産を守る」といった責任感のようなものがあるという。「イベントで農作業体験」レベルとは全く異なることを強調しておきたい。

 

無住化保険付きの集落づくり

西俣町の現状をどのように見るかについては、大きく意見が分かれるところであろう。ここから先は筆者の「考え」が大きいことに注意して読み進めてほしい。来年再来年はさておき、数十年先の西俣町については全くの未知数である。通年居住の世代交代が進み、町全体が若返る可能性もあれば、そのまま無住化する可能性もある。しかし、無住化したとしても、西俣町は、町外在住の西俣町出身者やその縁者によってある程度形が維持される、と筆者は考えている。決して容易なことではないが、その状態であれば再興も可能である。現在の西俣町の活動は、万が一、無住になっても再興の可能性は残る「無住化保険付き」の集落づくり、ということになる。

そのような無住集落の持続性については難しいところであるが、悲観的にみても数十年は大丈夫であろう(戦力の世代交代が進めばさらに数十年)。今の時代、この数十年の持つ意味は非常に大きい。30年前、現在のスマートフォンの活躍など誰が想像できたであろうか。技術の進化だけではない。世界的な激変のなか、農林業の位置づけが大きく変化する可能性、見直される可能性もある。それだけの時間があれば、勝機はあるとみてよいのではないか。

「万が一、無住になっても大丈夫」という安心がもたらす効果は計り知れない。人生の場合と同様、それがあったからといって状況が劇的に改善することはないが、創造的な思考、建設的な思考が大きく促進されるであろう。思い切った勝負に出ることもできる。無住化保険の極意は、諦めではなく、後ろの守りを固めることで創造的な前進を促進することにある。

「集落出身者+縁者」の可能性

筆者が期待する集落維持の外部戦力の基本は「集落出身者+その縁者」であるが、縁もゆかりもない大都市の若者の活躍を否定するつもりはない。筆者が主張したいことは、農村独自の慣習(相互扶助の重圧、厳しい相互統制なども含む)への理解、将来的な土地や家屋の継承のハードルなどを考えると「集落出身者+その縁者」を味方につけるほうが楽であり、現実的ということ。ただ、それだけである。

農村を離れた人は少なくないが、「出身地が嫌いだから」という人はごく少数であろう。多くは、仕事、教育、医療や福祉サービスなど、どうしようもない都合があっての転出と思われる。それを否定し、精神論で「農村に戻れ」といっても、無理というものであろう。現在の都市的な利便性を肯定しつつ、「通い」で出身地の維持に貢献できるような仕組みをつくるほうがはるかに現実的である。

無住でも維持されている集落の例

無住化保険の話に戻ろう。次は「集落としての形が維持されている無住集落というものが存在するか」という疑問に答えるため、秋田県山本郡三種町田屋の事例を紹介する。田屋(集落)は、緩やかな山間地に位置する無住集落である。戦後最盛期は8戸であったが、1970年から78年にかけて個々に転出し、「現在」(1997年時点)は無住になっているという(※1)。

2015年、筆者は、廃村探索で全国的に有名な浅原昭生氏とともに、田屋を訪問した。以下の2枚の写真は、そのときの状況であるが、人がいる集落と見分けがつかない。浅原氏も「人がいないのが不思議な感じすらあった(後略)」と述べている(※2)。なお、筆者らは、その時期、秋田県の62の無住集落を訪問した。原野に戻ったような集落も多かったが、田屋のような集落は特段珍しいというほどではなかった。

       「無住集落」田屋の耕地

時間を味方につけた集落づくり

冒頭でも述べたように、山間地の小集落の集落づくりは非常に厳しい。しかし、時間を味方につけることができればまだ勝機はある、と筆者は考えている。無住化保険付きの集落づくりは、「時間を味方につけた集落づくり」の好例である。以下、そのような集落づくりに必要な考え方について少し述べておきたい。特段難しいことではない。個々の人生の生き残り戦略でごくふつうに考えることを集落づくりにも応用するだけである。

考え方①:長い時間スケールで考える

当たり前であるが、長い時間スケールで考えることが求められる。ただし、今と数十年先が連続していることが肝要である。目の前の危機を無視して数十年先の好機到来の可能性を語っても意味はない。それは悪くいえば、単なる「現実逃避」である。目の前と数十年先が連続している人なら次のように考えるのではないか。すなわち、「数十年先の好機を活かすために今何をすべきか。何を温存しておけばよいのか。温存するために何を諦めればよいのか」である。

個々の活動についても、その先に何があるのかを常に意識する必要がある。移住促進活動の結果、東京から縁もゆかりもない若者が移住し、IT関連のオフィスをつくった、おしゃれなカフェをつくったとしよう。無論、すばらしいことである。しかし、その種の戦術的局所的な勝利に酔って思考を止めてはいけない。問題はその次に何があるのか、である。高齢者の悩み(買い物、通院・介護、除雪など)がそれで解消するのか。その先にあるものは、単に緑が多いというだけの「都市的な農村」ではないか。常に一歩二歩先の可能性を想定しながら、集落づくりを考えてほしい。

考え方②:「わからない」を受け入れる

時間スケールが長くなると、どうしても未知の要素が増えてくる。「こうなってほしい」「こうなるに違いない」から少し距離を置き、「わからない」を素直に認めることが肝要である。集落内外の長期的な変化について、できるだけ多くのシナリオを想定し、いずれに転がってもどうにかなるような「柔軟な体勢」をつくることが求められている。前述の「保険」もその一種である。

無住化の可能性を直視する

余裕のある大集落はさておき、山間地の小集落の集落づくりでは、今回紹介したような「無住化保険」をぜひ検討してほしい。無論、西俣町の形にこだわる必要はない。要は、無住になっても大丈夫にしておくこと、再興の種火が残るようにすること、である。古くからの「住民のまとまり」、住民の精神的なよりどころ、田畑としての土壌、そこで暮らすための伝統的な技術など、種火の候補として注目すべきものは多岐にわたるが、「集落内外の限られたマンパワーのなかで何をどのように残すか」については集落によって大きく異なると思われる。住民全員で納得できるまで話し合ってほしい。

仮定であっても、無住化を考えることは辛いことである。しかし、無住化の可能性を直視することで、集落の真価、守るべきものの優先順位が明らかになる、ということも考えられる。「我が集落は活性化あるのみ、前進、前進、また前進」という場合であっても、一度、立ち止まって考えてみることをおすすめしたい。

西俣町に関する記述については、同町で集落づくりを進める北光弘氏へのインタビューによるところが大きい。この場をお借りして、ご協力くださった北氏に深くお礼申し上げる。

(※1) 佐藤晃之輔『秋田・消えた村の記録』無明舎出版、1997
(※2) 浅原昭生・林直樹『秋田・廃村の記録―人口減少時代を迎えて(第2版)』秋田ふるさと育英会/秋田文化出版、2019

金沢大学人間社会学域地域創造学類・准教授 、特定非営利活動法人国土利用再編研究所・理事長林 直樹
1972年広島県生まれ。
京都大学大学院農学研究科博士後期課程修了,博士(農学)
横浜国立大学大学院環境情報研究院(産学連携研究員)、東京大学大学院農学生命科学研究科(特任准教授)などを経て現在に至る。
主な著書として『撤退の農村計画―過疎地域からはじまる戦略的再編』(学芸出版社)。
専門は農村計画学。
大学の講義では「農村計画論」や「生態系サービス基礎論」などを担当。
人口が減少するなかでの山間地小集落の生き残り戦略について研究している。
1972年広島県生まれ。
京都大学大学院農学研究科博士後期課程修了,博士(農学)
横浜国立大学大学院環境情報研究院(産学連携研究員)、東京大学大学院農学生命科学研究科(特任准教授)などを経て現在に至る。
主な著書として『撤退の農村計画―過疎地域からはじまる戦略的再編』(学芸出版社)。
専門は農村計画学。
大学の講義では「農村計画論」や「生態系サービス基礎論」などを担当。
人口が減少するなかでの山間地小集落の生き残り戦略について研究している。
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