老いの残酷-酷薄な医師達

「先生、それで良いのですね」

「そう言って頂けるとは思ってもいませんでした。肩の荷が下りました」

私の話に、長女に続いて次女も溢(あふ)れる涙を拭(ぬぐ)いながら涙を流され言われた言葉です。部屋に入って来た時の沈鬱な表情は薄らいで、少しだけ明るさを取り戻したかに見えました。

涙と一緒に、これまでの嫌な思いが流れ去ってくれたらと願うばかりでした。

それは、このお二人のお母さんが、その日の午前中に入院されて、外来の診療が終わるのを待って、病状などについてご説明をした時のことでした。

 

90歳になろうとする彼女たちの母親は、数年前から高血圧と不整脈で近くの病院に通院していたのです。そして、1年前になって、腹痛と便秘を訴えるようになり、担当していた循環器内科医から、同じ病院内の消化器内科医に紹介されたのでした。

 

いつもなら、外来の紹介率を上げるためと称して、院内紹介はせず、「一旦地元の町医者を受診して紹介状をもらって来い」と言う病院なのですが、それだけ事態が切迫していたのか、それともその循環器内科医が非常勤でそうした院内独自のシステム(?)をご存じなかったのかなと勝手な憶測ではありますが……。

 

その後、順番に胃腸の検査を行ったところ、S状結腸に癌が発見されたのでした。
そうなると、今度は、さすがに直接外科医への紹介となったようですが、既に認知症の症状も進んできていたため、家族は手術を受けさせることに躊躇(ちゅうちょ)したのです。
母親の癌が見つかる1年前に、長男が亡くなっておられ、一緒に住んでお世話しているのはその長男のお嫁さんであり、長女と次女は嫁いで少し離れたところに住んでいるという事情もあったようです。


そうした家庭の事情も含めて何度も相談をした上で、結局、高齢に加えて認知症が進んできていることが決め手となって、ご家族の総意として「手術は受けません」と返答したという経緯があります。

 

ご家族の決断を聞いた外科医は、手術に対してやる気満々だっただけに、怒りを露(あら)わにして態度を豹変させたと言います。


元々、手術の頻度がそんない高い病院ではありませんし、流儀の違いというだけでは済まされないものです。例え癌の手術であっても1年もすると「通院をしなくて良い」とおっしゃる外科医ですし、術後に腹痛や腸閉塞を思わせる症状があっても、「傷(お腹の表面の?)は治ったので、私の治療はここまでです。近くの内科の町医者で診てもらって下さい」と、まさに放り出すようなことばかりしている外科医なので、単に「切りたかった」だけなのか、「出来ると思った手術が出来なくなった」からなのか、手術への詳しい説明もせず、ご家族の決断を聞いた時にも、ご家族が悩まれたであろうということへの理解も示さないままに、その決断をけなし、とげとげしい態度に変わったというのです。

 

さらには、消化器内科医も一緒になって、高齢で認知症や、ご家族の事情もあって、術後の世話が困難だと訴えるご家族に向かって、それでもなお繰り返し、単純に手術を施行することだけを迫ったようです。


確かに、「近い内に腸閉塞になって苦しむ」可能性もありますが、相手の医者は手術を行うということのみを強調して迫ったのだそうです。


まさに、「病気を診て、人を診ない」典型のようなお話です。

自分の病気も理解出来ないままに、自分の食事や排泄さえも出来なくなり、1日の大半を寝て暮らす女性(の家族)に、手術を迫るとは、どういう了見なのかと問い質したくなったのは、冷静になってからのご家族のご意見でした。そうした強い決意から手術を受けないことを通されたそうです。私でも、しかも同業者であれば尚更(なおさら)に、同じ思いが湧いてくることになりますが、相手にとっては、そうした強い決意表明の態度が余計に腹立たしかったのかもしれません。


結局、ご家族は、そうした医者たちの身勝手な横暴ぶりに恐れをなして、医者から入院を拒否される前に、そのままお世話になりたいと思っていたその病院から離れる決心をされたのでした。


そして、当院への紹介となったのです。

 

紹介状には、「いかに丁寧に説明をして手術を勧めたか」が延々と書かれていて、その上で「(親の事を真剣に考えない)家族が、無下に手術を断ったので、当院では入院をさせるわけにいかない」とまで書いてありました。

一体、この病院というか、医者たちは何を考えているのかと、読みながら呆れる気持ちを通り越して怒りさえ湧いてきました。

 

勿論、そんな紹介状ですから、肝心の病状や病気自体に関する詳しい医学的な情報は一切書いてはいませんでした。

入院直後の説明には、息子のお嫁さんは病室でご本人に付き添っていて、実の娘さんのお二人が来られたのでした。

 

いつものことで、患者さんの経過を改めてお聞きしながら紹介状と照らし合わせていくのですが、そんな事情で、ご家族から初めて聴く話が多くて面食らったことは確かです。その上で、こちらからは、紹介状の内容を簡単にお話ししました。

 

「やはり、お気を悪くされたのでしょうね」という言葉が出ていました。

 

「『手術のタイミングをみすみす逃すようなご家族では、今後は診られない(診ない)ので、当院への入院はご遠慮して下さい』とはっきり言われました」とは、長女さんのお話でした。既に60歳を越えた娘さんに、辛い思いをさせたのだなと思うと、同じ医療者として申し訳ない気持ちになりました。どうやら、この病院(医者)では緩和ケアはされないようですが、「緩和ケア病棟」をお持ちのはずなのだがと、首を傾げざるを得ない心境になりました。

こんなやり取りがあった後、当院での療養内容を説明しました。「抗がん剤や手術といった積極的な治療をしないで、緩和ケアに徹して療養し、穏やかに最期を迎えるのも立派な選択肢の一つなのですよ」とお話をさせて頂きました。

 

その言葉を聞いた途端、


「先生、それで良いのですね」
「そう言って頂けるとは思ってもいませんでした。肩の荷が下りました」と、

 

長女に続いて次女も涙を流されたのでした。

 

現在、医療現場では、癌の患者さんが増えているのは事実です。そして、全員が治らないのも事実です。さらに言えば、色々な治療で癌が治って、その癌では死なないことになったとしても、いずれ他の病気で、あるいは病気でないにしても老衰で人は死ぬのです。

 

そして、こうした事情から、国では色々な研修会が催され、医者の全てが緩和ケア研修を修了するよう指導されています。

 

しかし、残念ながら研修のための研修になっているのか、先のような馬鹿な勘違いした医者が闊歩(かっぽ)しているのも今の日本の医療の現実なのです。

 

今回は、老いて病を得た患者さんやご家族を酷い目に合わせた医者の話になりましたが、こんな話、日本中にゴロゴロしているんじゃあないでしょうか。

 

そんな医者にはご退場願いたいところですが、お国の無策の所為(せい)で医師不足状態が続いており、こんなおかしな医者が大手を振って歩ける時代はまだまだ続きそうではあります。

 

先ずは、鏡の中の御仁によくよく言って確認した上で、一般市民の方にも、そんな馬鹿な医者とは闘うように啓蒙(けいもう)していきたいと考えています。

 

※なお、こうしたご家族の意向を無視するような扱いを受けた時には、「セカンドオピニオン」を希望されることをお勧めします。主治医は、その申し出を無視することは出来ませんし、もし無視してくればその担当医の上司(上級医、最終的には院長)に訴えて頂ければよろしいかと思います。

 

その上で、担当医が言うことに納得が出来たらそれに従えば良いのです。さらにセカンドオピニオンの申し出を拒否するような医者(病院)でしたら、命を預けられるレベルではないと考えて、別の病院を受診し直されることをお勧めします。

 

そしてもう一つ、この” Opinions “を読んでいただきたいものですね!

 

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
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