緊急特集:新型コロナウイルス感染症を考える-医療・福祉の専門家の視点から-Vol.11「コロナウイルス問題の問題」

4月に入ってから、医療崩壊の問題がよく取り上げられています。すでに個々の医療従事者だけではなく、院内感染と呼ばれる集団的発生が起こり始め、そうした医療施設では、先に書いたように診療自粛が求められるため、ドミノ倒しのように地域の医療体制の崩壊が起こり始めています。

感染症発生時には、まずは「水際対策」がとられ、国内への持ち込みを阻止する対策が基本中の基本、大原則です。しかし、今回の問題では、たまたま日本がオリンピックとパラリンピックの開催国になっていたことや、中国の要人を国賓として招く計画があったことなどから、初期の大事な時期にしかるべききちんとした対策ができなかったのではないかとの議論も出てきています。私もその意見に賛成しますが、政治の常で、真実はすでに闇の中に埋もれつつあるようです。

さて、外国から日本への来訪者については置いておくとして、外国から帰国する日本人に対する扱いは、個人的には二段階に規制されたと思っています。施行され始めた日時までは不明ですが、3月の中旬頃までは帰国した時点で、発熱や症状がなければこれまで通りに入国できたようです。その後、入国後一定の場所(ここでは、その住所を申告しておきます)で2週間の間、人との接触や外出を控えて待機し、症状が出ないかをみることになりました。これが第一段階です。その後、最近になって第二段階として、帰国者全員に発熱や症状の有無にかかわらずPCR検査を義務付けられています。

いずれの段階でも、入国時の検疫の場で、現在禁止されている三密のうちの密閉、密集が起こっていたようですが、お役所仕事のちぐはぐさを見せられたような気がしました(とはいえ、そこにいたらそうするしかなかったというのも現実なのでしょうが)。ご存じの方もあると思いますが、第一段階以降、空港(現在は成田と関空に制限されているはず)で入国した後、2週間の滞在地として記載した場所までの移動には公共機関を使えないということがあります。バスや電車がダメなら、「お金は出すからタクシーで」と思っても、タクシーも公共機関ですので、歩くか家族や知人の車で移動するしかありません。当然、同乗した方は濃厚接触者ということになり、何かあればPCR検査対象になります。帰国者の中には、移動方法や滞在場所を決めていないままに急ぎ帰国したものの、空港近くのホテルなどからも利用を拒否され、思案に暮れた方もいたようです。

最近になって、そうした経験をされた方のお話が耳に入ってきました。昨年の春ころから1年の予定でヨーロッパのある国に留学していたお子さんが、その国でもウイルス問題が発生したため、予定を切り上げて帰国されました。帰国されたのは先の第一段階の時点だったそうで、仕事のあるご主人が感染するといけないので、お母さんだけが自家用車で迎えに行かれました。そのうえで、父親との接触を避けるために自宅へ帰るのではなく、母親の実家に2週間留まることにされたそうです(で、実家のおばあさんは、別の娘の嫁ぎ先に避難されたとか)。この時の入国には、手続きに時間がかかるだろうと覚悟しておられましたが、到着便が激減していたためか(逆に、このため帰りの飛行機のチケットもなかなか取れなかったそうでした)、1時間もかからずに入国できたとのことでした。

お子さんの話では、入国審査の際の検疫では、発熱や症状の有無がチェックされ、異常がない場合には2週間滞在する住所、電話番号を書かされたそうです。そのうえで、「毎日体温を測定し、人との接触を避けることと何か症状が出たら連絡するように」との注意はありましたが、後はすんなりと通れたとのことです。

この方は、パスポートの住所と滞在場所が違うことへの説明をされましたが、他の方々ではいちいち確認している様子はなかったようですし、いったん入国してしまえば、その方自身の良心を信じるだけで、迎えの家族がいるのかいないのかとか、挙句、公共交通機関で移動しようと、何の確認も(ということはお咎めも)なさそうだったとのこと。こんな調子ですから、2週間の待機中もチェックはなく、実際どこかへ出かけていてもわからないのではないかとのご感想でした。


この方の場合は、何事もなく2週間後にお二人で無事に帰宅されましたが、そこでも、どこかへ報告してから移動するということもなかったそうです。空港の検疫場では、対象者が多すぎて実務上困難であると思いはしますが(実際、第二段階になった時点で、4、5時間待たされたという報道がありました)、最終的に人の生き死にも関わるこうした感染症の対策が、いい加減であることへの不安が募りました(もはや、私の中では、怒りが湧いてくるといったレベルではなくなってしまっています)。


こうした水際対策や空港での検疫、入国後の経過観察など、今回の経験で多くの学びや教訓が出てくるはずですが、どこかにも書いたように、喉もと過ぎれば何もなかったかのように、いくつかの報告書が作成されて棚に積んでおかれることになるのでしょうか。これほど、実際に体験し学ぶことがあるのですから、是非にも根本的な所から改革してほしいものです。

今回のような感染症については、短い周期では10年、長い周期では100年で世界レベルの発生があると言われているようですし、感染症の水際対策も含めた日本の法律はずいぶん古いようですので、ここらあたりで改正しても良いのではないでしょうか。

ところで、安倍首相の要請で学校が長期の休校になった時、これ幸いとばかりに休校になった子供と旅行をしたという家族の話が聞こえてきました。行先はヨーロッパで、ここでも感染して帰ってきたと聞いていますが、一体今の日本人はどうなってしまったのか。余程に金と時間があまっているのか、あるいは頭の中が空っぽなのか・・・。

この時点で、不要不急の出国が規制されていなかったことも問題ではありますが(されていても強制権がなかったか)、よほど制度に不備があるのか、現場で対応する考えが及ばないのか、とにかく呆れるしかないお話ではあります。

政府が自粛要請はするものの、命令ではないので強制力がないと言われますが、これには、第二次大戦以前の国による理不尽かつ強権的な国民弾圧があったことへの政治的反省(というか、これもまたちゃんと考えもしないで自虐的自縛になっています)や、戦後アメリカから押し付けられた「平和憲法」が関与しているのだろうと想像しますが、医学に関わる立場から言わせてもらえば、ハンセン氏病などにおける国による不正な差別が行われたことへのトラウマから、本来はなされるべき制限(当然、罰則付きの命令)もできない国になってしまっているのだろうと考えています。国の存亡が関わるとき、一国の舵取りを預かる人間に、あるいはその責を負うべき政府に、それだけの覚悟がないということほど(元より庶民の危機感覚とは違っておられるようですし)、その国にとって危険かつ情けないことはないと思いますが、皆さんはどうお考えになるのでしょうか。

この仕事をしていて、レベルの違いこそあれ、人というものは危機に直面した時にこそ、その人間の本性、価値が現れてくるものと思っています。自分もまた、心して対処していきたいと覚悟しています。

 


※本原稿の内容についての責任は著者にあり、編集局の意向を示すものではありません。

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
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