人生の終盤を迎え、高齢者が自分の人生への価値を感じるために。

政府は高齢者に対して身体的満足(食事・住居など)と、安全の保障という十分な医療や介護を提供して、一人ぼっちにさえしなければ、高齢者は幸せに暮らすことが出来る、と考えているフシがある。


しかし、それでは不十分だ。

 

介護の必要な高齢者が、老人ホームで食事、遊戯的娯楽、介護、医療を受うけて生活していても、それでは満足できないのである(但し、満足しているように振る舞う高齢者は多い)。何故なら、尊厳が低下して自尊心が低くなった状態は、生きていくことが苦痛であると人間に感じさせるからだ。いかに生理的欲求(食事など)と安全の欲求(医療や介護)、さらには所属欲求(一人ぼっちでないこと)を満たしていても、それでは不十分なのである。


尊厳(自尊心)の問題は非常に厄介だ。しかし、同時にケアにとって大切なものである。ケアに支障を来たす対処の困難な問題の多くも、尊厳(自尊心)が侵された結果によるものが多い。

 

ソクラテスは、近代経済学が認識していないことを理解していた。

 

欲望と理性が人間精神の構成要素と言われるが、第三の構成要素である自尊心(テューモス)は、この2つから完全に独立して働くということが分かっていた。自尊心は自分の内面から生じることもあるが(完全に自立している人はそうだろう)、大部分は周囲の人からその価値を承認されることで実現する。

 

自尊心には他者よりも自分が優れていると感じるもの(これをソクラテスはメガロサミアと呼ぶ)、それと同時に、自分は他者と同等であるとみなされたい気持ち(これをアイソサミアと呼ぶ)がある。しかし、これらは同じようなものだ。自分が内面で考えている人間としての評価基準と、他者がその人に示す評価基準との差異が尊厳(自尊心)と関係する。この関係が食い違った場合、つまり、自分の評価よりも他者からの評価が下回る場合に、自尊心が傷つき場合によると生きることを放棄したくなる。あるいは他者に不満の矛先を向けるようになるのである。

 

自尊心が傷ついた場合の解決方法は、自尊心を引き下げて他者の評価と合わせるか、他者の評価を上げるように努力するか(あるいは怒り狂うか)だが、他者の評価を上げることは難しいため(自分では出来ない)、大抵は、自分の評価をあえて引き下げることが多い。

 

人間は人生の長い年月の中で、自分自身の考える評価と、他者からの評価を一致させるように努力する。


高齢者の問題の多くは、自分の考える尊厳の程度と、他者が与える尊厳の程度とが一致しない事、多くは自分が考えるより他者から受ける尊厳の程度が低い事に起因する。特に障害が発生した高齢者では、他者から受ける尊厳の程度が健康な時期よりも大幅に低下する。自分の尊厳(自尊心)を捨てると、高齢者は「かわいらしい、おじいちゃん・おばあちゃん」を演じるようになる。日本の多くの高齢者施設では、このような演技をする高齢者で満ち溢れている。

 

日本の高齢者は、もともとはある程度の尊敬を受ける前提にあった。
儒教的精神は、年齢によって生じる生理的劣勢を覆すものとして、年長者を敬うという道徳を示した。そして、それに合う社会制度を作った。

 

日本での戦後は、社会制度の変更と共に行われた儒教的な道徳の一新である。その結果、制度の変更に従って年長者を敬う精神は次第に低下し、身体的、認知的能力の上下が、優劣を決定する様になった。しかし、それを非難することは出来ない。儒教的道徳も、仏教的、キリスト教的宗教道徳も、その体系が科学的根拠から否定されている状態では、多くの人を無条件に道徳に従わせるのは無理なのだ。

 

高齢者の自尊心と高齢者の自立心の高さとは比例する。


今までの慣習では、建前上、高齢者を敬うことが前提として考えられているが、現実にはそうではない。高齢者の行動は、特に障害が強くなればなるほど、尊厳を犯される。自立心が失われる時には、社会全体が高齢者を建前上保護する名目で、実は、他者(家族が大部分)が自分たちの都合によって、高齢者の行動を制約している。

 

高齢者の残された日々を、自尊心を持って生きるためには、他者への依存を無くさなければならない。他者に依存すればするほど、自尊心を捨てなければならないのだ。自立心を持ち続けるには、自分の障害と並行して生じる問題に対して(自分自身が最もよく分かるので)他者のケアマネジメントに頼るより、自分自身でセルフマネジメントを行わなければならない。そして、交渉も大切である。障害に対してどの様に援助を行ってもらうのか、常に交渉する姿勢が必要だ。自分が出来ない行動や動作を限定し、それに対して、援助を要請する姿勢を保つ必要がある。

 

高齢者は特に障害がある場合、自分の残りの人生をはっきりと見据え、自分の意志で生活を送ることを表明しなければならない。例えそれが子供との摩擦を生み、配偶者との関係を悪くしても。あるいは老人ホームで煙たがられても、自分の意志を表明する必要がある。その姿勢こそが、高齢者が自尊心を保ち、生きる価値を見出すことを可能にするのだ。

公益財団法人橋本財団 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
  • 社会福祉法人敬友会 理事長、医学博士 橋本 俊明の記事一覧
  • ゲストライターの記事一覧
  • インタビューの記事一覧

Recently Popular最近よく読まれている記事

もっと記事を見る

Writer ライター