加速度的に進む少子高齢化に歯止めをかけ、同時に女性が“活躍”する社会を実現する意味でも、避けて通れないのが、保育所の整備・充実による「待機児童ゼロ」へ向けた取り組みです。そうした、社会のベクトルが徐々に形成されていく中、忘れてならないのは、『障害児保育』という課題です。
これまで、障害のある子どもにとって、保育園はより一層狭き門であり、とりわけ重症心身障害児となると、その母親は、就労など考えもつかないというのが現状でした。こうした状況を、何とか打破したいと奮闘されているのが、今回、お話をお伺いした江田加代子さん。岡山市での障害児を受け入れる“拠点園”の立ち上げに、現場の第一線で参画されたお一人です。
そこで、一定の成果もあげながらも、限界も感じられていた江田さんは、社会福祉法人 旭川荘が初めて開設する重度の障害児も受入れる認可保育園「ひらたえがお保育園」の園長に。
2019年4月の開園から1年を迎え、江田さんの想いが、肢体不自由児や知的障害児の療育で確固たる実績とノウハウを60年以上にわたって積み上げてきた旭川荘のバックアップによって結実しようとしています。
私は、最初、児童養護施設に勤めていました。そこで障害児と出会い、障害児保育の必要性を感じ、また、自ら携わってみたいという想いを抱いていたのです。
そんな時、岡山市が障害児保育を「拠点園」という形で取り組みを始めるということを知りました。これは、岡山市の保育園に、障害児拠点枠を設けて障害児を受け入れ、障害児保育に関する専門知識を高めた保育士が保育にあたるというもの。私は、最初の障害児担当の保育士として採用されました。ただ、最初の施策ですから、何もかもが手探りで、旭川荘はもちろん、県内の様々な療育施設や支援学校など、各施設で1週間から2週間勉強させていただきました。立ち上げに当たっては旭川荘の江草安彦名誉理事長、堀川龍一名誉園長、そして、現在の末光茂理事長などから、かけがえのない薫陶をいただきました。
ところで、この「拠点園」方式の保育は、幼児一人ひとりの特性やニーズに合った保育実践をしていく「統合保育」というもの。受け入れた障害児を、まずは別室で少しずつ指導しながら、徐々に健常児と過ごすようにしていくわけです。発達障害の子どもたちも、健常児と一緒に過ごすことによって、予想以上の成長が見られました。「障害児保育」という課題に際しての成果は、保護者の方達の期待に添える結果を出すことが出来ました。
しかし、岡山市の場合、受け入れるのは中軽度の3・4・5歳児のみ。つまり、重度の障害があるお子さんや、0・1・2歳児のお子さんは、受け入れていません。また、自力で歩けないお子さんの受け入れもしていませんでした。それでも、親御さんとすれば、重度であっても、歩くことができなくても、健常のお子さんと一緒に過ごさせてやりたいという想いをもっていらっしゃる方が多くおられます。そういった親御さんが訪ねて来られて、已む無くお断りをせざるを得ない……そんな時、申し訳ない気持ちを抱くようになっていました。
岡山市の待機児童が最も多かった時期、その対応とで、旭川荘で、認可保育園開設の構想が動き始めました。旭川荘が開設する保育園ですから、長年にわたって培われてきた障害児への療育などのノウハウを活かした保育園を描かれていたようで、その点から、私の経験を評価してくださったのでしょう。末光理事長から、「園長に」というお話をいただきました。
長年重度の障害児や0歳から2歳児の障害児の受け入れを願っていた私は、旭川荘が開く保育園なら、医療、療育など、各方面で専門の方も多いはずと、期待を持ちました。そこで、重度の障害児にも対応していきましょう、そして、0歳児からの受け入れもしていきましょうということになったのです。
保育園づくりにあたっては、建物の設計から、要望を出させてもらいました。
例えば、他では聞いたことがないのですが、相談室を設けています。やはり、込み入った相談をされる保護者の方もいらっしゃるだろうという想定です。また、発達障害のお子さんの個別指導を行ったり、小集団での指導、クラスに入れない子のクールダウンなど、いわゆる“取り出し”保育に対応できる部屋も設けました。もちろん、バギーや車いすのお子さんのことを考えて、スロープやエレベーターも設置しています。
さらに、細かいところで言えば、床を身体にやさしい岡山県産のヒノキ材にしたり、園児用トイレの便座をヒーター付きにしました。感覚過敏の子も含め、子どもたちに、いかにストレスなく過ごしてもらうかという考え方を貫かせてもらいました。また、1階の壁紙はピンクです。ピンクは緊張を和らげ、優しい気持ちを育みむと言われています。2階はグリーンで安心感と癒やしという、情緒面での効果を考えて選んでいます。
その他にも、視覚支援ツールをたくさん用意したり、水道もレバー式にしたりと、とにかく私の想いも詰め込んだ、障害児に優しい園舎が完成しました。
開園は、2019年4月。建設費の一部を、ノートルダム清心学園の前理事長、故 渡辺和子先生の著作権収入による「ほほえみ基金」から拠出していただいたことから、渡辺先生が大切にされた「笑顔」にちなんで「ひらたえがお保育園」名付けられました。
また、大きな補助金をいただける岡山市の「拠点園」には、敢えて申請していません。それは「拠点園」の場合、発達障害のお子さんは10名までという枠があるので、予算的には厳しくなるものの、少しでも多くの障害児を受け入れたいと障害児が定員の15%まで受け入れが出来る「一般園」として開園したのです。つまり、90名の定員のうち、障害児は14名ということになります。初年度は、一般枠でも7名の障害児を受け入れて、計21名でスタートしました。
また、障害児と健常児を別のクラスでスタートし、徐々に同じクラスにしていく「拠点園」方式ではなく、うちでは、障害児も健常児も、同じ年齢のクラスで生活するという、入園当初から「インクルード教育」を採用しました。
そこでは、小さな“奇跡”がいくつも生まれています。例えば、お昼寝の時間のこと。発達障害があって、用意をするのに少し時間のかかる子がいるのですが、私が手伝おうとすると、1人の健常の子が、「園長先生、大丈夫、僕が任されているから」と言うのです。その成果は、障害のある子にはもちろん、健常の子の成長というカタチでも現れているのです。担任が人手が欲しいと思っているとき時、子どもたちはその気持ちを察し、困っているお友達を助けてあげる係を、自ら進んで受けてくれ、優しく友達を助けてあげるという責任感が芽生えています。ですから、障害のあるお子さんの保護者だけでなく、健常児の保護者の方からも、とても喜んでいただいています。
そうした、親御さんたちを巻き込んだ独自のイベントとして、月に1回、親子料理教室を実施しています。これは、私が、前職の時代からやりたかったことなのですが、管理栄養士に1時間ぐらいで作って食べられるようなメニューを用意してもらい、親と子が一緒になって取り組むというものです。
これを実現するために、この園舎には、給食用の調理室とは別に、多目的室にキッチンも設けてもらいました。「初めて包丁を持たせました!」とか、「家では食べないピーマンを食べました!」など、とても好評です。親子で料理を作るというコミュニケーションが愛着関係を育み、虐待の防止に繋がっていくと思っています。
もう一つ、これは、初年度は実現できなかったのですが、「一時預かり」も行っていきたいと考えています。認可保育園への入園は、「保育利用事由点数」の高い家庭が優先されるわけです。これは、保育の必要性を数値化したもので、同居する祖父母がいなかったり、親がフルタイムで働いていれば高くなります。
ところが、特に重度の障害児をもった母親は、ほぼ働くことはできません。つまり、なかなか保育園に預けることが難しい。そこで、そんなお母さんに、月のうち1日でも2日でも、ほっとできるような時間をもっていただきたいという狙いです。
また、孤立しがちな妊産婦の方に来ていただいて、お母さんになる練習、育児の手法などを学んでいただく「すくすく子育て教室」というのもやっていきたいと考えています。
ともかく、この「ひらたえがお保育園」は、旭川荘という基盤があるというのが、やはり大きな強みです。創立以来60年余、肢体不自由児や知的障害児の療育という分野で培ってきたノウハウの蓄積をベースに、様々なバックアップ体制を敷いてくれています。
何より、医療的ケアの必要なお子さんに対して、専門医との連携が取れること。また、看護師も、旭川荘で重度の心身障害児を担当してきた方に異動してもらっています。さらに、この「ひらた旭川荘」の敷地内には、重症児の通園センターや児童発達支援センターなどがあり、また、隣接して岡山県立西支援学校もあるわけで、個別の事例での相談や意見交換、研修も含め、恵まれた体制と言えるでしょう。
とは言え、まだまだスタッフが不足しているのは事実。学生のインターンシップを受け入れることなども含め、私達の取り組みを理解してもらって、人員の確保に努めていきたいと考えています。
また、この「ひらたえがお保育園」が充実しただけでは、障害児のいらっしゃるご家庭のニーズを充たすことはできません。
岡山市の「拠点園」も含め、やはり、それぞれの生活圏に受け入れ可能な保育園がなければ、通園に大きな労力を費やすことになってしまいます。医療的ケアとの連携という部分は、なかなか難しいかもしれませんが、もっともっと公立での「拠点園」を充実していただくことを願っています。
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