「インドのマイクロファイナンスの母」への追悼-人類の歴史において個人が果たせ得る役割についても想いを馳せる。

2020年2月9日、「インドのマイクロファイナンスの母」とよばれていたヴィジャヤラクシュミ・ダス(ヴィジ)が逝去しました。

 

ヴィジはマイクロファイナンス第一世代の先達です。40年にわたって、インドの女性のエンパワメントに力を尽くしてきました。

 

キャリアの大半を占めたのは、インドの女性に対する金融支援の代表的組織である、Friends of Women's World Banking(FWWB)の経営でした。FWWBの主な業務はマイクロファイナンス機関、農協、女性起業家に対する資金およびトレーニングの提供です。ヴィジによって初めて外部法人からの資金調達ができるようになり、その後成長を実現したマイクロファイナンス機関は数知れません。


彼女はインド中のマイクロファイナンス機関から尊敬されている存在でした。彼女に社外取締役の就任を打診しなかったマイクロファイナンス機関は存在しないとまでいわれています。

 

私がヴィジに初めて出会ったのは2017年8月、場所はインドのグジャラート州のアフメダバドでした。ガンディーの修道場があった都市です。

 

私はヴィジが10年間経営していたAnanya Finance for Inclusive Growth(FWWBがスピンオフして出来た会社です)に資本参加したいというお願いに行きました。私は自分の生い立ちについて説明したあと、自分がなぜこの仕事をしていて、この会社と働きたいのかを説明しました。彼女は快く受け入れてくれました。

 

多くの人たちが、ヴィジを尊敬しつつも恐れていました。彼女は気難しい人だったと評する実務家も多くいます。実際、彼女はよくミーティングで反対の意思表明として席を立ちました。ただ、彼女が気難しくなるのは、いつも相手に計算高さや狡猾さが見えるときに限られていました。

 

私にとってのヴィジは、常にニコニコしていてチャーミングな人でした。私は彼女を心から尊敬していましたし、私の勘違いでなければ、彼女は私にインドを教えようとしてくれました。

 

ヴィジは、インドで最も大変な暮らしをしている人たちと、その人たちに寄り添って働く実務家たちを紹介してくれました。


電波が通じなくなってから、さらに車で1時間かけて辿り着く村に暮らす人々は、男性の出稼ぎ労働に頼って暮らしていました。その出稼ぎ労働も危険かつ不安定なもので、稼いだお金を家に送金するのも一苦労でした。


銀行がほぼ機能していない山岳地帯で出会った、民族衣装を着て暮らす少数民族の人たちのことも忘れられません。この土地で金融包摂に取り組む実務家たちも、嘘偽りのない本物ばかりでした。

 

ほぼ全ての国におけるマイクロファイナンスの第一世代と同様、ヴィジもインドのマイクロファイナンスの現状を憂いていました。
生活向上にとって最も役立つのは往々にして貯蓄なのに、融資の必要性ばかりの話が実務家からされること。貧しい人たちから収益を得ているにもかかわらず、一部のマイクロファイナンス機関の役員報酬が正当化できない水準で高いこと。私が紹介してもらったような、最も大変な状況にある人々に寄り添うマイクロファイナンス機関ほど、経営的には苦しくて周辺に追いやられていること、などなど。

 

亡くなる4日前に、私はヴィジと長い時間様々な話をしました。ミーティングが終わる頃に彼女が話していた「まだまだインドの女性のためにしないといけないことは山程ある」という言葉は強く覚えています。FWWBの人たちによると、最後の2日にも、ヴィジは私宛てに送る資料の準備をしていたそうです。

 

最近、世界史の本を幾つか読んでいるのですが、それに際して、歴史における個人の役割についてよく考えます。

歴史家たちは、社会の劇的な変化における個人の役割について懐疑的です。というのも、ある社会に何らかの大きな変化が起きるときには、既にその前提となる諸条件が整っていることが多いからです。たとえば、「独立の英雄」がいなくても、世界的な趨勢(すうせい)の中、植民地国家たちの独立は遠からず果たされていたことでしょう。また、私が取り組んでいる金融包摂においても、技術進歩や途上国の経済成長に伴い、いつの日か世界中の人たちが比較的安価で便利な金融サービスを使える日は来ることでしょう。私がいなくても、そのような未来は訪れるはずです。

 

だとしたら、歴史の流れの中で、個人の行動に意味はあるのでしょうか。個人が歴史の流れを変えることは不可能なのでしょうか。

 

そもそも、本当に偉大な人たちは、こういった質問そのものが馬鹿らしいと思うかもしれません。というのも、彼ら・彼女らは日々を自分の心に従い生きているのみであって、望んだ変化が結果として実現したら素晴らしいけれども、それが仮にやってこなくても、心は常に満たされているからです。また、数値で測ることが出来るインパクトの多寡によって、人生の意味の軽重を量るのが愚かだとも言うかもしれません。

 

その上でなお、私はやはり偉大な個人の役割を強く信じています。大きく二つの点においてです。

 

まず、時代の流れに根付いた不可避の変化があるとしても、その変化の最終的な性質がどのようなものになるかについて、個人の役割は残っているように思います。例えば、ボールをビルの上から落としたら、いずれにせよボールは落ちますが、落とす人によっては、下にいる人々に迷惑をかけずに落とすことが出来るでしょう。歴史の流れにおける個人の役割はこれに似ていると思います。不可避の変化があるとしても、その変化の行き着く先について微調整を加えるくらいの役割は果たせると思うのです。

 

思うに、マハトマ・ガンディーが居なかったら、インドの独立は全く異なる姿になっていたことでしょう。結局独立後のインドはパキスタン・バングラデシュと分かれてしまいました。しかし、彼が南アジア人たちの精神的統合を成し遂げていなかったら、もっとバラバラの独立がされていた可能性が高いと思います(インドは州別に言語も文化もかなり違うのです)。インドがこの規模で独立したことは、2050年以降の世界史を大きく変えていくことでしょう。

 

偉人が世界に残すことが出来るもう一つの役割は、同時代の人々に与える変化です。ヴィジがそうだったように、善く生きた人は、その人と関わった人々をより立派なものにします。ヴィジがいる間は、商業化が進むマイクロファイナンスセクターにおいても、各社は「ヴィジの前であまり悪いことは出来ないな」と自らを律していました。彼女という精神的な柱が居なかったら、インドのマイクロファイナンス実務家らの精神性は、今とは異なるものになっていたことでしょう。

 

基本的に神様は無情です。功徳を積んだ善人だからといって、その人に長い寿命を与えるとは限りません。それでも、偉人たちは着実に私たちの心と歴史に名を残します。私はよく、自分が生きた結果として、誰かの魂をよりよいものにできているのだろうかと考えさせられます。

 

金融包摂をよりよい形で実現していくという遺志を引き継ぎ、私は私に出来ることを続けていこうと思います。

 

ヴィジ、有難うございました。

 

ヴィジが連れていってくれた山奥の村で。著者撮影

五常・アンド・カンパニー株式会社 代表取締役社長慎 泰俊
1981年東京生まれ。 朝鮮大学校政治経済学部法律学科卒業。早稲田大学大学院ファイナンス研究科修了。モルガン・スタンレー・キャピタル、ユニゾン・キャピタルを経て、2014年7月に五常・アンド・カンパニー設立。仕事の傍ら、2007年にNPO法人Living in Peaceを設立し、代表理事を務める。著書に「働きながら、社会を変える。~ビジネスパーソン『子どもの貧困』に 挑む」(英治出版)、「ソーシャルファイナンス革命 ~世界を変えるお金の集め方」(技術評論社)など。
1981年東京生まれ。 朝鮮大学校政治経済学部法律学科卒業。早稲田大学大学院ファイナンス研究科修了。モルガン・スタンレー・キャピタル、ユニゾン・キャピタルを経て、2014年7月に五常・アンド・カンパニー設立。仕事の傍ら、2007年にNPO法人Living in Peaceを設立し、代表理事を務める。著書に「働きながら、社会を変える。~ビジネスパーソン『子どもの貧困』に 挑む」(英治出版)、「ソーシャルファイナンス革命 ~世界を変えるお金の集め方」(技術評論社)など。
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