人間は神なき世界で孤立し、さらに自己努力を求められている。
300年前から始まった科学技術に立脚し、経済成長を伴う世界は、人間の欲望を満足させることを是認する資本主義を成長させた。それまでの世界は、欲望に対しておおむね抑制的あるいは抑圧的だったのだ。欲望は開放されてしまった。しかし、300年前に必要とされた欲求(マズローが説く本来人間に必要な欠乏欲求)※は、先進国においてはすでに満たされているにもかかわらず、人間社会はさらなる無限の欲望を求めている。現代は昔から考えると物質的には何ら不足のない社会であるにもかかわらず、である。
ユヴァル・ノア・ハラリ※によると、資本主義的世界観を作ったのは、今までの宗教に代わる人間至上主義である。人間至上主義とは宇宙の構想を持たない、人間の欲望を中心とする考え方だ。科学が未発達であった300年以上前までは、論理的に説明出来ないことが多すぎた。つまり、人間が知りうることは極少で、未知のことが多かった。論理的に説明出来ないものも、「不条理」として受け入れるしかなかったのだ(神のたたりや、自分の悪行に対するお仕置きなどとして)。科学が発達し、多くの「不条理」に対してその原因が明らかになると、人間は「すべてのこと」に対して、因果関係を求めるようになる。
人間の自然に対する知識はさほど多くないにも関わらず、である。実際何らかの事件や現象が起こると、説明が求められる。一昔前であれば、それは「神のなせる技」であるとか、「悪行の報い」であるとかの説明で納得していたのに対し、現在では、科学的説明がその可能性に「関係なく」求められる。可能性に「関係なく」とは、科学的に説明することが、ある程度出来る場合は良いとして、科学的な説明が難しい場合でも、科学の衣を纏(まと)わされるのである。その結果、次のような世界観が生じる。
人間は、一人一人別個の「主観」を持っている。「主観」は、その時点では世界を解釈するための手がかりであり、信用すべきものである。しかし、現代では主観は自分のごく身近で判断するだけのものであり、間違っている可能性が高いとされる。
科学は常に登場して、情報は科学的に説明出来ないことも科学で説明が出来るかのように解釈する。これを客観性と呼ぶ。
主観は、判断の主体から退く。宗教が全盛の時には、自力での判断を停止し、全て神に任せた。同様に現代では、自分が判断する代わりに科学にすがる場合が多い。しかし、主観が地位を失うと、人間の判断は科学あるいは科学の衣を纏(まと)ったものに頼ることになり、その延長線として必然的にAIに依存しているのだ。その結果、人間の身体的感覚に基づく主観は後退し、科学的と言われる他者から伝聞した情報が、あたかもその人の主観であるかのように登場する。
今まで宗教が担っていた役割を科学が代理で果たしている。その理論が正しい場合も正しくない場合も同様だ(ただし宗教と比べると正しい場合が多い)。主観的に何となく思っている事柄について、科学的説明をされると、妙に納得してしまう。これは、中世に教会や寺の僧侶の宗教的説明に納得したのと同じようなものだ。
例えば、地震の予知は今まで成功したためしが無いが、いまだに予測を基にした計画が立てられる。また、魚の不漁の原因は色々な理由が(もっともらしく)語られる。黒潮の蛇行や、外国漁船の乱獲などである(原因の多くは、そもそも資源量に対して日本漁船の漁獲量が多すぎることだろう)
問題は、資本主義の限界が近づいていることとも関係する。資本主義は人間の欲望に根ざしているが、基本的な欲望が満たされると、新たな欲望を作り上げる。現代での個人の欲望は、それ自体自然に発生する欲求から生まれたものではなく、供給側(企業など)が作り上げたものなのである。欲望は主観を装っているが、実際には、他者からの誘導なのである。宗教が支配する世界は、欲望に対して抑制的であったが、科学の優位な資本主義世界はそれを許さず、欲望を促すような世界を作り上げるのである。
一方、自然な身体的欲求に従うことは、資本主義的成長を低下させる。科学が発達した世界においても、身体的欲求に基づく資本主義的成長が限界を示しているのは、当然といえば当然のことであり、その点では日本は先陣を切っているとも言える。
今後の世界は、物質的な知識よりも、社会的、精神的な知識の向上が求められるだろう。その結果として、政治は成長よりも分配を目標として掲げる必要がある。ITの進化と、AIの登場は、科学の大きな成果であるが、従来の考え方を続けると、これらが生み出すアルゴリズムを通じて、主観の領域にまで、科学的な考え、客観性が広がる。
一方で、ITの進化とAIの登場が格差を広げることが明らかになった以上、格差の広がりに対して、どのように分配をし、格差の広がりを阻止するかが必要になる。
宗教が勢いを失っている以上、主観性を取り戻した理性がその代役になる必要がある。宗教に代わる理性は科学の暴走を止めることが出来る。今やその分岐点に立っているのだ。
※マズローの欲求階層;欠乏欲求(生理的欲求、安全欲求、所属欲求、承認欲求)が満足されると自己実現に至る
※ユヴァル・ノア・ハラリ;イスラエルの歴史学者。世界的ベストセラー『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』、『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』の著者。著書では自由意志、意識、知能について検証している。(ウェキペディアより)
研究助成 成果報告の記事を見る
小林 天音の記事を見る
秋谷 進の記事を見る
坂本 誠の記事を見る
Auroraの記事を見る
竹村 仁量の記事を見る
長谷井 嬢の記事を見る
Karki Shyam Kumar (カルキ シャム クマル)の記事を見る
小林 智子の記事を見る
Opinions編集部の記事を見る
渡口 将生の記事を見る
ゆきの記事を見る
馬場 拓郎の記事を見る
ジョワキンの記事を見る
Waode Hanifah Istiqomah(ワオデ ハニファー イスティコマー)の記事を見る
芦田 航大の記事を見る
岡﨑 広樹の記事を見る
カーン エムディ マムンの記事を見る
板垣 岳人の記事を見る
蘇 暁辰(Xiaochen Su)の記事を見る
斉藤 善久の記事を見る
阿部プッシェル 薫の記事を見る
黒部 麻子の記事を見る
田尻 潤子の記事を見る
シャイカ・サレム・アル・ダヘリの記事を見る
散木洞人の記事を見る
パク ミンジョンの記事を見る
澤田まりあ、山形萌花、山領珊南の記事を見る
藤田 定司の記事を見る
橘 里香サニヤの記事を見る
坂入 悦子の記事を見る
山下裕司の記事を見る
Niklas Holzapfel ホルツ アッペル ニクラスの記事を見る
Emre・Ekici エムレ・エキジの記事を見る
岡山県国際団体協議会の記事を見る
東條 光彦の記事を見る
田村 和夫の記事を見る
相川 真穂の記事を見る
松村 道郎の記事を見る
加藤 侑子の記事を見る
竹島 潤の記事を見る
五十嵐 直敬の記事を見る
橋本俊明・秋吉湖音の記事を見る
菊池 洋勝の記事を見る
江崎 康弘の記事を見る
秋吉 湖音の記事を見る
足立 伸也の記事を見る
安留 義孝の記事を見る
田村 拓の記事を見る
湯浅 典子の記事を見る
山下 誠矢の記事を見る
池尻 達紀の記事を見る
堂野 博之の記事を見る
金 明中の記事を見る
畑山 博の記事を見る
妹尾 昌俊の記事を見る
中元 啓太郎の記事を見る
井上 登紀子の記事を見る
松田 郁乃の記事を見る
アイシェ・ウルグン・ソゼン Ayse Ilgin Sozenの記事を見る
久川 春菜の記事を見る
森分 志学の記事を見る
三村 喜久雄の記事を見る
黒木 洋一郎の記事を見る
河津 泉の記事を見る
林 直樹の記事を見る
安藤希代子の記事を見る
佐野俊二の記事を見る
江田 加代子の記事を見る
阪井 ひとみ・永松千恵 の記事を見る
上野 千鶴子 の記事を見る
鷲見 学の記事を見る
藤原(旧姓:川上)智貴の記事を見る
正高信男の記事を見る
大坂巌の記事を見る
上田 諭の記事を見る
宮村孝博の記事を見る
松本芳也・淳子夫妻の記事を見る
中山 遼の記事を見る
多田羅竜平の記事を見る
多田伸志の記事を見る
中川和子の記事を見る
小田 陽彦の記事を見る
岩垣博己・堀井城一朗・矢野 平の記事を見る
田中 共子の記事を見る
石田篤史の記事を見る
松山幸弘の記事を見る
舟橋 弘晃の記事を見る
浅野 直の記事を見る
鍵本忠尚の記事を見る
北中淳子の記事を見る
片山英樹の記事を見る
松岡克朗の記事を見る
青木康嘉の記事を見る
岩垣博己・長谷川利路・中島正勝の記事を見る
水野文一郎の記事を見る
石原 達也の記事を見る
野村泰介の記事を見る
神林 龍の記事を見る
橋本 健二の記事を見る
林 伸旨の記事を見る
渡辺嗣郎(わたなべ しろう)の記事を見る
横井 篤文の記事を見る
ドクターXの記事を見る
藤井裕也の記事を見る
桜井 なおみの記事を見る
菅波 茂の記事を見る
五島 朋幸の記事を見る
髙田 浩一の記事を見る
かえる ちからの記事を見る
慎 泰俊の記事を見る
三好 祐也の記事を見る
板野 聡の記事を見る
目黒 道生の記事を見る
足立 誠司の記事を見る
池井戸 高志の記事を見る
池田 出水の記事を見る
松岡 順治の記事を見る
田中 紀章の記事を見る
齋藤 信也の記事を見る
橋本 俊明の記事を見る