野生の動物は、不快と認識するものには近づこうとしないし、危険を感じれば逃げる。この至って単純な行動原理は、人類を除くおよそあらゆる動物の野生生活に貫徹している。だから、「いじめ」など起こりようもない。では、どうして人類だけに、「いじめ」は起きるようになったのか? それは我々の祖先が、ある時から遊動生活を捨てた生活を始めたからなのだ。
定住するということは、単にある一定地域にとどまるということではない。その地域の資源を占有することをも同時に意味するのである。定住するために、自分たちが確保しなければならない資源に、「よそ者」がアクセスすることを阻止する必要性が生ずる。つまり「自分たち」と「自分たちでないもの」を明確に区分するようになってくるのだ。共同体の求心力というものを一定以上に保っておくためには、自分たちの占有地域の外にいるという「よそ者」は、果たして今こちらを窺っているのかどうか不確かであり、集団の求心力の低下は免れない。もっと身近にいるように見える「よそ者」という存在が、不可欠になっていったことだろう。自分たちの共同体に所属するメンバーに向かって、共同体秩序維持の目的で「異人扱い」がなされるようになった時、「いじめ」が始まったと考えられる。ただし、「ひきこもり」という現象に関するならば、もう少し時代を下らねばならないのである。
ヒト以外の霊長類でも、人為的影響によって彼らが特定の地域にある資源を占拠することが起こると、社会生活の在り方が大きく変容を遂げるという事実がある。日本列島唯一の固有種、ニホンザルがそれにほかならない。野生の彼らを人間が恣意的(しいてき)に餌(えさ)である場所にとどまるようにしてやると、社会が変わってくるのだ。野生下の動物では原則として「いじめ」は起こり得ない。ところが、いわゆる「餌付け」が日常化すると、事態が変わってくるのだ。餌付けされている高崎山では、集団内には順位制が存在するということである。
これに対して餌付けされていない青森県の下北半島(世界の霊長類の分布の北限とされてる)でのサルの行動は、高崎山のそれとは全く違う。野生下では好物の食物があるからといって、それの優先権が特定の2個体間で一方にあるというような事実は見当たらない。下北のサルは純粋に野性下で生活し、食物の確保を自立的に行っているのに対し、高崎山では、食物が供給される地域を群れ全体が占有し、食べ物を求めて遊動することを辞めてしまっている。彼らにとって重要なのは食物が与えられる「場所取り」をすることであり、群れの個体同士の間に非常に強いあつれきが生じ、順位制と化す。
社会的葛藤も激化し、群れ内の闘争も絶え間なく起きるようになる。問題は、矛先が向けられた方の対応である。攻撃されるのを避けたければ群れを出て行けばよい。しかしそれは同時に、餌付けの餌に有り付くことへの放棄を意味する。そこまでして群れを出るのか否か?
もしあえて、群れにとどまるというオプションを取った時、サルにも「いじめ」が発生することになるのだ。
アユというと「友釣り」を思い浮かべる人も少なくないだろう。あれはアユの縄張りを形成する習性を利用した釣り方で、おとりを泳がせてやると、それを縄張りへの侵入者と確認した「オーナー」が追いかけた挙げ句、ハリに引っかかるという仕組みである。友釣りは流れの速くない川の瀬で行われるが、そういう場所はアユの餌に乏しい。
縄張りの内部では「オーナー」が圧倒的に強く、侵入者を蹴散らし資源を独占する。ところが一方、川の淵に行くと、こちらは深いうえに流れが速くて餌がはるかに豊富に川上からやってくる。すると瀬では互いにいがみあっていたアユ同士がなんと群れで暮らすのである。だからニホンザルにせよ、食物資源の供給のされ方によって、彼らの社会行動が柔軟に変化しても、決して驚くようなことではない。また後述するヒトの場合の「ひきこもり」のように、自分の部屋をなわ張りのように宣言したところで、それは決して病的な行動とは言えなくなってくるのである。
自然界は、ニホンザルが他の種(ヒト)によって食物資源を恵んでもらうような状況が、この世界に出現しようとは、想定していなかった。しかし、その想定外のことが起きてしまった時、自然界で進化したサルの身体内の社会性は、その状況に順位制や血縁原理を編み出す形で対応したのである。人類は生活圏を拡大する中で、食物貯蔵という想定外のことを考案してしまい、ひいては定住まで決断してしまった。この時、ヒトは自然界から一歩足を踏み出した生き物と化してしまった。餌場の太ったニホンザルが家畜であるならば、この段階でヒトも家畜化した。ただし、ニホンザルの場合、ヒトの手によって家畜化したのだが人類の場合、誰であろう自らの手によってにほかならない。それゆえ「自己家畜化」という表現がしばしば用いられる。まさしく「自己家畜化」によって人類にも共同体意識が誕生し、血のつながりが認識されるようになり、さらに、それと同時に異人を排除するようにもなり、「いじめ」がなされるに至ったのである。
古代の日本において、里が共同体の占有域であるのに対し、山は異界であり、そこには「山人」が暮らすとされてきた。里が労働と生活の場であるならば、山は山人という異形の者の棲(す)む異界であった。
8世紀には山へ「亡命」することを禁ずる勅令が発せられている。そうした企てをする人々がいたことを雄弁に物語っている。異人とは、こうした一処にとどまることなく生活する山の放浪者の総称ととらえて構わないだろう。
民俗学者のパイオニアである柳田國男氏によれば、中世における「職人」とは、土地に結び付いた生活を送らない階層に属する人々全体を指す呼称である、という。 ヨーロッパでも共同体での生活に馴染むことが出来ないままに、その外側へと追いやられたヴァルク(人狼)は、仕事を求めて放浪を繰り返す中で職人的技能を編み出し、あるいは源初形態の交易を担う商人の姿になっていったと考えられている。
英国の歴史学者の研究によると、bandit(匪賊)を構成していたのは、過剰人口を抱えた農業共同体の中の、思春期には達しているものの、配偶者を得ることのでき出来ない男子青年年齢集団が主であったことが、明らかとなっている。若者があり余るエネルギーで新しいことを始めたり、あるいはそれを持て余して乱暴に走るというのは、古今を問わず変わらないことなのだろう。
共同体からの排斥が、共同体外部の「異界」によって吸収可能であり、漂泊という知的にクリエイティブでさえあるライフスタイルをもたらしているうちはそれでよかった。ところが排斥がされていても受け皿がない状況になると、「いじめ」が生まれ、「ひきこもり」へと発展するのだと考えられる。抑圧されたエネルギーに対してbanditを形作って発散しようにも、どうすればいいのか。暴走族すら取り締まりが厳しい。せめて成人式の式典の会場で暴れるのが関の山か?
歴史的には日本では、平安期に入ると既に「漂泊できない知識人」という人々が出現し始めていることに気付く。吉田兼好と鴨 長明にほかならない。両人とも周囲に対し深い疎外感を持っていた点では、上述の漂泊人と何ら変わることはない。ただし、後者の人々がみな「鄙」育ちであったのに対し、両人は京生まれの京育ち、根っからの都人であった。何を今さら異界の漂泊生活なんぞ出来ようか。都を出て行きたくても行きようがない。今様なら、同級生から辛く当たられているのに転校したくても出来ない中高生の立場に等しい。すると「いじめ」という状況が生まれる。
昨今の日本には、もう漂泊しようにも物理的にそこにもそんな空間は残っていない。そこで仕方なく自らの居住する最小空間に、非常に追い詰められた場合には結界を張り、そこを異界とみなすことに踏み切った「隠棲者」なのだろう。あたかもサカナのアユが群れから離れ、川の瀬で暮らさざるを得ない時には縄張りを作り、侵入する相手には誰彼なく敵意を向けるのに等しい。但しそういう生き方もまた一つの社会性の表現様式であって、異常とレッテルを貼ることは出来ないのだ。
現代人の社会性ポテンシャリティは1万年前と寸分変化していない。状況に応じて現代人はいつでも1万年前の暮らしに戻る可能性を秘めている。誰もがヴァルクとして暮らせる。そういう人類が時として、「ひきこもり」になるのは異常なことでもなんでもない。現代の私たちが生活する環境が、「逃げられない社会」という特殊な形態のものであるからにほかならないことを、もっと認識する必要があるだろう。
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