【核家族化×高齢化】深刻化する高齢化問題の裏にあるもの

高齢社会になり、ご高齢の方々が増えてきて、色々な問題が顕在化する中で、その裏に有る(あるいは置き去りにされた)問題が絡んでいることに気付かされます。
それは、「核家族化」の問題です。

 

今更何を言うのかと思われるかもしれませんが、実は、この問題は随分前からあったわけで、それだけ「当たり前」になっているとも言えそうです。そして、この核家族のことがあるからこそ、今の「高齢化」の辛い状況が生まれたのではないかと思えるのです。

 

「核家族化」で調べてみると、大正時代には既に50%を超えていたというデータもあるのです。都市化や高度成長と言われ始めた昭和30年代に、注目され始めたようです。昭和50年(1975年)に世代の64%が核家族となったのをピークに、その後は60%以上で推移しているとのことです。

一方で、高齢化社会については、人口に占める高齢者(この時点では65歳以上が対象。最近は、高齢化社会を支える人口減少への対策として、高齢者の定義を70歳以上へと変えようと政府は考えているようです)の割合が7%を超えた状態を指すのだそうです。この状態に日本が突入したのが1970年であり、1994年には高齢者の占める割合が14%を越え、「化」が取れて「高齢社会」と言われるようになりました。

 

さらに、高齢化は、少子化と相まって急速に進み、2007年には高齢化率が21%を越え、「超高齢社会」と言われることになったのです。将来、2065年には全人口の25%以上が75歳以上の後期高齢者になり、高齢化率も38%になると推計されています。(政府の姑息な定義の変更や、突然に言い出した「人生100年時代」で、計算上の高齢化率を下げたいようですが、人間自体が若返るわけではないのですから、この問題は解決しそうにはありません。定義の変更では、数字の辻褄(つじつま)合わせをすることだけになりそうです)

さて、こうして「核家族」×「高齢化」となってくると、誰が高齢者を支えるのかという問題が出てきます。私が医者になった頃には、一見、元気そうなご老人でも自宅に居場所が無い、昼間は家族が仕事で留守などという理由で、病院に入院していたり施設に入所していることが当たり前にありました。しかし、これを「社会的入院」として、医療費高騰の元凶の一つとして取り挙げられるようになり、やがて介護制度の新設と相まって、在宅ケアへと舵が切られたのです。

 

ここで、後に大きな問題となる現象が起る原因になったのです。それは、介護保険を申請しても、それなりに元気な内は充分な補助は無く、かといって自宅に独りで暮らすのには(現実的に)困難な高齢者が増えてきたのです。この頃からでしょうか、認知症がクローズアップされだしたのは・・・。
 (この辺りで、「社会的入院」と言われた人たちの全てではないにしろ、実は正当な入院や入所であったと再認識されることになりはしましたが、時既に遅し、といった感じです。)

 

そして、ついには、そうした介護を必要とする家族を持つ働き盛りの労働者が早期退職に追い込まれ、自宅に戻って親の面倒を看るということが起こったのです。まさに、主客転倒と言いましょうか、貴重な労働力を減じさせ、しかも利潤を生まない介護という「消費」(この点には議論があるとは思いますが、そもそもこの分野に経済理論を持ち込むこと自体が間違いだと思いますがね)に大切な人材を使う羽目に陥ったのでした。

 

そうした反省からか、訪問看護ステーションや介護施設などが、保険点数の誘導で雨後の竹の子のように林立しました。それらが充足した頃には、いつものことながら保険点数が下げられ、人手不足を来たすという状況になっています(俗に、「梯子を外す」というやり方です)。こうなると、何とか二人で暮らしている高齢者の夫婦では、老々介護とならざるを得ません(中には、高齢の子供と超高齢の親という組み合わせもあります)。

 

この時点で、家族に若い人が居たとしても(勿論、別居しています)「子供に迷惑を掛けたくない」ということで、施設のお世話になるわけですが、立派な子供が居ながら、その子(の生活)が大切という理由から、自らの老後資金から捻出して他人様のお世話を受けるということになるのです。

こうして、傍目には立派なお子さんたちが何人もいらっしゃるのに、他人様のお世話になることには何の抵抗も無いという構図が出来上がっていきます。勿論、それがお国のお考えなのですから、それに異存は無いのですが、何かおかしい感じが付きまとうのです。もっとも、先に書いたように、実の子供が世話をしなければならないとなれば、幾ら立派な子供でも、収入が減ってしまうかもしれませんし、それが現実と割り切らざるを得ないのでしょうか。

 

介護制度が始まった当初は、先ずは家族が支えるのが当然だろうという考えが主流でしたが、今では、施設が増えたことと相まって、あくまで(費用を出すのだから)他人の世話になるのが当たり前の状況になってきているように見えてしまいます。

 

親が子を育て、やがて子が親を養うという古き良き時代の流れが断ち切られているように、思えて仕方ありません。こうなると、子は親の面倒を看なくて良いのだと国がお墨付きを与えているように思えてきます。何しろ、自分の父や母が、その親、子供の立場からは祖父や祖母の面倒を看るという行動を親から学ばないのですから、当たり前になっていくのは必然でしょう。あるいは、いずれは子が親の面倒を看る必要はないのだと、自分の親のやり方から学んでいるのかもしれないと言えば、言い過ぎなのでしょうか。

 

国の政策と言えば聞こえはいいのかもしれませんが、金のやりくりからとしか思えない上意下達(「じょういかたつ」と読みます)いわゆるトップダウンではなく、特にこうした個人的な介護や看取りの問題は、やはり現場というか、地に足が着いたところでの議論が必要であり、さらには地域の事情に合わせた下意上達、いわゆるボトムアップで決めていくべき問題ではないかと思うのですが、如何でしょうか。

 

せめて、自分たちだけでも、子供たちや親がそれぞれに離れて住んでいようとも、日頃から連絡を取り合って、互いの健康を気遣うような、ありきたりの家族の在り方を取り戻したいと願っています。先ずは、各家庭で、こんなことから始めるしかなさそうですね。

 

どうも、この問題に踏み込むと、自分一人ではどうにも出来ない問題であるだけに、蟻地獄に落ち込んだような錯覚を起こします。「辛」という字に「一」を足すと「幸」になりますが、今の辛い高齢社会に、一体何を足せば幸せな高齢社会になるのか、国やお役人に任せるだけでなく、自分たちで考えていかなければならないのではないでしょうか。

 

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
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