ケアを行う場面で大切なものは、傾聴、共感的態度、支持的姿勢であると言われる。この中でも、共感的態度は、ケアを行う上で「当然」必要なことと考えられている。
そもそも、共感的態度が無いとケアにならないのではないか。同じように、母親の子に対する愛情は共感に基づいていて、子が怪我をすると母親は顔をしかめ、子の痛みがあたかも自分に襲いかかったように感じられるようだ。この様な共感が無ければ、愛情を持って子を育てることは出来ないと思われている。ソーシャルワークでも共感は必須のものとして認識されている。カール・ロジャースのクライアント中心療法は、ソーシャルワークの基本的手法として受け入れられているが、その中心は共感である。
しかし、共感が現代においては過大に評価されているのではないか?
つまり、共感は論理的結論を覆すために、あるいは、その意図はなくても、結論が意外な方向に向かう恐れを含んでいる。共感が必要無いわけではないが、過剰に共感性が優先されると問題が生じる場合もある。
1998年、新三種混合ワクチンの接種と自閉症の発症との間に関係性があると指摘する論文が、権威ある医学雑誌『ランセット』に発表された。その後の報道機関、ネット上では、ワクチンの危険性を訴える記事が多数出現し、それらは具体的な個別事例(自閉症で苦しんでいる子供)を挙げて視聴者の共感を得た。その結果、イギリス、アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの国々に於いてワクチン接種が激減した。その所為なのか、麻疹に感染する子供が増加した。この場合、報道に対しての共感が親たちに、予防注射を回避する行動を取らせたのだろう。
日本でも、2013年3月HPV(子宮頸がん)ワクチンの導入に伴って、副反応が社会問題化し、わずか3カ月後の同年6月に、厚労省は積極的な接種勧奨を一時的に差し控えることになった。この場合もワクチン接種の副作用(けいれんや嘔吐、全身の痛みなど、さまざまな報告)を訴える人たちへの共感が、「接種差し控え」に大きな影響を与えたようだ。
2015年、世界保健機関が選出したワクチンの安全に関する国際委員会は、日本の「接種差し控え」の対応を指摘し、WHOなど専門家による報告書では、ワクチン接種との因果関係は無いと日本の対応を非難している。
2つの事例に見られるように、共感は、社会を動かし、政策をも変える力を持っている。一方で、共感による政策の変更は、かえって消費者に不利をもたらす可能性もあるのだ。
共感には、情緒的共感と認知的共感とがある。
情緒的共感は、自動的、無意識的に生じる共感だ。苦痛を自分のことのように感じ、不遇な生活についての話を聞いて、まるで自分がその様な生活をしているように感じるのは情緒的共感である。これに対して、認知的共感は、「それは心情的に十分理解出来る」が、相手の話す境遇を自分で感じる訳ではない。いわば、「思いやり」と同じ様な状態を指す。情緒的共感は、時として、社会を思わぬ方向に誘導する。それに対して、認知的共感は社会を合理的な方向に導く。
共感のもう一つの特徴は、対象が狭い点である。言わばスポットライト的だ。例えば、アフリカの食糧危機についての統計的資料は共感を起こしにくいが、お腹の膨れた幼児の写真は、アフリカの食糧危機を、多くの人に印象づけて共感を呼びやすい。広い災いは統計的な視点を必要とするが、人間一人か数人を対象とする狭い災いは、情緒的共感を引き起こす。
心理学者のポール・ブルームによると、現代では共感こそが災いをなす大きな原因であると言う。共感は、スポットライト的に一隅を照らす。従って、先入観が入りやすい。共感は大勢の人よりも、一人を重視するように私達を仕向ける。それと比べると、事実に近い統計に対して多くの人の共感を呼び起こす効果はない。この点で、情緒的共感はマイナスの効果の方が多いようだ。情緒的共感よりも認知的共感、つまり思いやり、さらには理性を重視するべきかもしれない。しかし、一方で、理性は問題解決の必要条件ではあるが、十分条件ではないことも確かだ。
共感性は幼児に対して一般性を植え付け、道徳的に成長させる効果がある。しかし、大人になるにつれて、共感性はその役目を終えるのかもしれない。特に情緒的共感に対してはその感が強い。その証拠に、多くの人は情緒的に、その立場によって暴力を容認したり否定したりする。死刑は認めるが、戦争には反対などの考えだ。
狭い視野の強い共感は人々を時として暴力行為へと誘導する。
共感性は、人種差別、障害差別、年齢差別を引き起こす可能性もあるのだ。
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