今、国が勧める障害者支援は、どんな障害があっても地域社会の中で暮らせるような社会環境を目指すものです。施設や病院などで長期間過ごすことなく自宅で暮らせるように、在宅ヘルパーさんの充実や、大きな入所施設は建てずに小さなグループホームを増やすなどという施策が進められています。医療的ケアが欠かせないため入院するしかなかった重度障害者や、精神病院への長期入院患者など、やむを得ずに入所・入院を余儀なくされた多くの人たちを地域・在宅に戻す事を『地域移行』と言い、数年経ちました。
1900年に施行された「精神病者監護法」によって、今から69年前(1950)では、精神障害者を自宅の一室や敷地内の小屋などに閉じ込めて監禁する「私宅監置」が行われていました。もっとも届け出をするなど一定の条件の下に認められたのです。しかし多くの精神障害者が治療も受けず、不衛生で非人道的な環境に置かれていました。今のような社会の理解も得られず、ヘルパーや訪問看護師などの支援も無いので「私宅監置」状態が続き、誰にも知られずに亡くなった障害者もかなり居たようです。
それから50年後の1950年に精神衛生法が施行され、「私宅監置」はようやく禁止される事になりました。その頃から、そういう人たちを受け入れるための施設や病院が出来始め、家族介助が難しい障害者はそこで受け入れてもらえるようになりました。これがわずか半世紀前の出来事です。今では重度障害者の多くが、長期に渡って施設や病院で過ごしています。
そして、その施設や病院で長期に過ごしている障害者を地域に戻そう、という施策が始まったわけです。健常者が聞くと(施設や病院で幸せに暮らしているのに、わざわざ今になってなんで?)と思われる方が多いかもしれません。
私も5年前に二カ月間だけ入所施設で暮らした事があります。まず冷暖房が完備され、外出も少ないため、春夏秋冬の感覚が消えてしまいます。田舎の自宅暮らしでは毎年当たり前に季節を感じる機会がありますが、施設や病院に居ると、特に重度障害者は人手が要るので外出機会も乏しくなります。16年間入院生活をしていた人の話だと、1日中やることがないので、壁の模様や点滴の落ちる数を数えて1日を過ごしたそうです。
私は入所施設も通所施設も利用経験がありますが、私が利用した限りでは、入所施設は日中は入所者5人に対して職員が1人ぐらい、夜間は入所者50人に対して職員が2人で、職員数が少ない印象でした。
一方、デイサービスだと利用者2人か3人に対して1人の職員がいます。入所施設におけるこの職員数では毎日食事、トイレ、お風呂の繰り返しで手いっぱいになるでしょう。また昔の入所施設は差別や偏見もあって、山奥に建てられる事も多く、陸の孤島で社会から隔離された感覚になり、私は感情に乏しくなるのでは、と不安になってしまうような毎日でした。
こういった状況を解消するため、国は地域移行を進めていますが、なかなか進まないのが現状です。特に重度障害者の方々の地域移行は本当に難しいのです。
私が住んでいる三重県を例に書くと、今三重県では新しい入所施設が建てられなくなり、代わりにグループホームがかなり増えました。しかし、軽度障害者のためのグループホームしかありません。グループホームの運営には国からの補助がありますが、重度も軽度も補助の割合が同じなのです。車椅子の方が住む場合だと建物の改装に費用がかかりますし、重度障害者の介護にはより人手がかかるのですが、重度も軽度も同じ扱いなのです。結果として、本当なら家で十分暮らせるような軽度障害者が、グループホームに入るだけという地域移行とは逆行した結果になっています。事業所も国も軽度障害者しか頭に無くて、重度障害者は想定してないかのようにも思えます。
とは言うものの、重度障害者でも、支援が整えばアパートを借りて一人暮らしだって出来るのです。私の友達も胃ろうや吸痰が欠かせないけれど、10年前に病院を退院し、重度訪問介護制度を利用してひとりで暮らしています。着替えやトイレなどすべての介助が必要ですが、電車でどこへでも行き積極的に社会参加して在宅生活をとても満喫しています。重度障害者でも友人のように自宅で暮らせるのが最善ですが、私の周りでは、重度障害者で地域移行が出来た人は100人に2人ぐらいでしょうか。
まだ人手不足の施設や病院で、半世紀前から時計の針が止まったような日々を送る方が数多く居ます。一足飛びに『地域移行』が難しいのであれば、まずは施設でも病院でも豊かな生活を叶えるための人手を増やすこと。そして、施設に入所すると、それ迄使えていた福祉サービスが限られるのですが、それを増やし、使えるようにしたりすることが重要かもしれません。
何はともあれ、特に、重度障害者は昔ながらの「社会の一員ではなく保護する人」という考え方が今でも強くて[何が地域移行だ!]と思うのであります。
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