最近のがん治療の進歩は目覚ましい。それに比べると画期的とは言えないまでも、緩和ケアも発展してきている。新たな薬剤の登場もさることながら、緩和ケアが提供される場が広がり、緩和ケアを受けることの重要性が広く認識されつつある。欧米では、がん治療と同時に緩和ケアをも開始することの重要性が認められており、両者の統合(integration)という考え方も提唱されている。
緩和ケアとはどのようなものなのか。WHO(2002年)によると「緩和ケアとは、生命を脅かす病に関連する問題に直面している患者と、その家族のQuality of life (QOL)を、痛みやその他の身体的・心理社会的・スピリチュアルな問題を早期に見出して的確に評価を行い対応することで、苦痛を予防し和らげることを通して向上させるアプローチである」と定義されている。具体的には、がんやその他の疾患を有する患者と家族を対象に「病気をよく理解出来るためのサポート」「治療方法を自分で選べるようなサポート」「身体や気持ちのつらさを和らげる治療とケア」「これまでの日常生活に少しでも近づけるようなケア」などを行う。
実際に緩和ケアを受けると、苦痛が改善し、QOLが高まることが明らかにされている。臨床研究によっては、生存期間が延長することや医療費抑制につながることも示唆されている。こうした根拠は、わが国において積極的に緩和ケアを推進する後ろ盾にもなっており、各地域に設置されているがん診療連携拠点病院には、適切な緩和ケアを実施することが求められている。日本に緩和ケアが導入された当初は、緩和ケアは終末期がん患者を対象としていたが、現在では診断時から開始されることが推奨されている。
緩和ケアの源流を遡ると、中世ヨーロッパまでたどり着く。聖地エルサレムを目指す十字軍遠征の兵士や巡礼者たちにとって休息の場がhospice(ホスピス)であった。その語源であるhospesには、host(主)、guest(客)という意味があり、派生語としてはhospitality(もてなしの心)やhospital(病院)などがある。しかし、hospesにはもう一つstranger(よそ者)という意味も含まれている。しかし、このことはあまり知られていない。拡大解釈をすればホスピスとは、例え見ず知らずの人であっても困っている人であれば、誰でも心温かく迎え入れるための振る舞いや施設を意味することになる。
これについての象徴的な取り組みは、19世紀のアイルランドに見ることができる。当時、アイルランドはイギリスの植民地支配下にあり、貧困や飢えが蔓延していた。そのような環境の中で修道女のメアリー・エイケンヘッドらは、最期は人間らしく世話を受けられる「ホーム」という安息の場を提供し続けた。これが近代ホスピスの原型である。「ホーム」の理念は、階級、主義、国籍を問わずに、全ての人を公平に扱うというものであり、敵国の「よそ者」であるイギリス人に対してもケアを提供していたものと思われる。
がん治療を行うことが出来ないあるいは希望しない患者や、治療を継続することが難しくなった患者に対して、“ベストサポーティブケア(Best supportive care: BSC)”という医療従事者特有の俗語が用いられることがある。狭義の緩和ケアをこのBSCと同じであると考えている医療従事者は多い。もともとは、抗がん剤の効果を確かめるための臨床試験において、がん治療を行わないグループに付けられた呼称であった。“Best”には、がん治療以外の治療(輸血、放射線療法、輸液、抗菌薬)や検査などのあらゆる診療はすべて行うという意味が込められていた。しかし、今の日本で“BSC”と判定されたがん患者は、がん治療医の関心から外れ、居場所が無くなり「よそ者」扱いされていることはないだろうか。いわゆる「がん難民化」してしまい、行き着く先は高額で根拠のない代替療法というのも大いに懸念される。
他院で治療を受けてきた患者を「よそ者」呼ばわりせずに、いつでも受診できる緩和ケア外来や、すぐに入院出来る緩和ケア病棟は日本にどのくらいあるのだろうか。もともとのケアのあり方が、時代や環境の変化に伴って大きく変わってきている事実は否めない。システムの問題やマンパワー不足があるとしても、緩和ケアに携わっている医療従事者は時々源流に立ち戻り、先達が大切にしていたものを振り返ってみることも必要であろう。
本来、医療はいつでもBest supportiveのはずである。その時の患者に適した治療を惜しみなく提供し、最善を尽くすことは医療の根源であろう。緩和ケアも、疾患や病気の時期にかかわらず、医療全般に普遍的に存在するべきではないだろうか。
エルサレムを目指す巡礼者への施しは、四国遍路における「お接待」に通ずるものがある。八十八カ所を巡る見ず知らずのお遍路さん(よそ者)に対して、四国の人々は昔から様々な援助を行ってきた。これは、日本における究極のおもてなしと言っても過言ではない。私達の祖先が育んできた他人のためという「利他」の精神は、現代日本人のDNAにも深く刻み込まれている。日本人は、生まれながらにして緩和ケアのマインドに溢れる人種なのかも知れない。
そろそろ海外の緩和ケアに追随することから脱却して、世界に誇れるおもてなし文化に基づいた和風の緩和ケアを醸成させる時期を迎えているのではないだろうか。
東 大史の記事を見る
池松 俊哉の記事を見る
研究助成 成果報告の記事を見る
小林 天音の記事を見る
秋谷 進の記事を見る
坂本 誠の記事を見る
Auroraの記事を見る
竹村 仁量の記事を見る
長谷井 嬢の記事を見る
Karki Shyam Kumar (カルキ シャム クマル)の記事を見る
小林 智子の記事を見る
Opinions編集部の記事を見る
渡口 将生の記事を見る
ゆきの記事を見る
馬場 拓郎の記事を見る
ジョワキンの記事を見る
Andi Holik Ramdani(アンディ ホリック ラムダニ)の記事を見る
Waode Hanifah Istiqomah(ワオデ ハニファー イスティコマー)の記事を見る
芦田 航大の記事を見る
岡﨑 広樹の記事を見る
カーン エムディ マムンの記事を見る
板垣 岳人の記事を見る
蘇 暁辰(Xiaochen Su)の記事を見る
斉藤 善久の記事を見る
阿部プッシェル 薫の記事を見る
黒部 麻子の記事を見る
田尻 潤子の記事を見る
シャイカ・サレム・アル・ダヘリの記事を見る
散木洞人の記事を見る
パク ミンジョンの記事を見る
澤田まりあ、山形萌花、山領珊南の記事を見る
藤田 定司の記事を見る
橘 里香サニヤの記事を見る
坂入 悦子の記事を見る
山下裕司の記事を見る
Niklas Holzapfel ホルツ アッペル ニクラスの記事を見る
Emre・Ekici エムレ・エキジの記事を見る
岡山県国際団体協議会の記事を見る
東條 光彦の記事を見る
田村 和夫の記事を見る
相川 真穂の記事を見る
松村 道郎の記事を見る
加藤 侑子の記事を見る
竹島 潤の記事を見る
五十嵐 直敬の記事を見る
橋本俊明・秋吉湖音の記事を見る
菊池 洋勝の記事を見る
江崎 康弘の記事を見る
秋吉 湖音の記事を見る
足立 伸也の記事を見る
安留 義孝の記事を見る
田村 拓の記事を見る
湯浅 典子の記事を見る
山下 誠矢の記事を見る
池尻 達紀の記事を見る
堂野 博之の記事を見る
金 明中の記事を見る
畑山 博の記事を見る
妹尾 昌俊の記事を見る
中元 啓太郎の記事を見る
井上 登紀子の記事を見る
松田 郁乃の記事を見る
アイシェ・ウルグン・ソゼン Ayse Ilgin Sozenの記事を見る
久川 春菜の記事を見る
森分 志学の記事を見る
三村 喜久雄の記事を見る
黒木 洋一郎の記事を見る
河津 泉の記事を見る
林 直樹の記事を見る
安藤希代子の記事を見る
佐野俊二の記事を見る
江田 加代子の記事を見る
阪井 ひとみ・永松千恵 の記事を見る
上野 千鶴子 の記事を見る
鷲見 学の記事を見る
藤原(旧姓:川上)智貴の記事を見る
正高信男の記事を見る
大坂巌の記事を見る
上田 諭の記事を見る
宮村孝博の記事を見る
松本芳也・淳子夫妻の記事を見る
中山 遼の記事を見る
多田羅竜平の記事を見る
多田伸志の記事を見る
中川和子の記事を見る
小田 陽彦の記事を見る
岩垣博己・堀井城一朗・矢野 平の記事を見る
田中 共子の記事を見る
石田篤史の記事を見る
松山幸弘の記事を見る
舟橋 弘晃の記事を見る
浅野 直の記事を見る
鍵本忠尚の記事を見る
北中淳子の記事を見る
片山英樹の記事を見る
松岡克朗の記事を見る
青木康嘉の記事を見る
岩垣博己・長谷川利路・中島正勝の記事を見る
水野文一郎の記事を見る
石原 達也の記事を見る
野村泰介の記事を見る
神林 龍の記事を見る
橋本 健二の記事を見る
林 伸旨の記事を見る
渡辺嗣郎(わたなべ しろう)の記事を見る
横井 篤文の記事を見る
ドクターXの記事を見る
藤井裕也の記事を見る
桜井 なおみの記事を見る
菅波 茂の記事を見る
五島 朋幸の記事を見る
髙田 浩一の記事を見る
かえる ちからの記事を見る
慎 泰俊の記事を見る
三好 祐也の記事を見る
板野 聡の記事を見る
目黒 道生の記事を見る
足立 誠司の記事を見る
池井戸 高志の記事を見る
池田 出水の記事を見る
松岡 順治の記事を見る
田中 紀章の記事を見る
齋藤 信也の記事を見る
橋本 俊明の記事を見る