科学によって「魂」が喪失してから、人間はそれに代わるものを作り出してはいない。魂を失いたくなくて懸命にそれにすがっている人。あるいは、科学を信じているが、否定された「魂」を失うと都合が悪いので、何となく持っている場合もある。日本人にはこのタイプが多い。同じお墓に入る、天国で見守っている、草葉の陰で悲しんでいる、あるいは、千の風になって・・・などを信じるわけではないが、期待を込めて信じる振りをしているのだ。そして、それ以上考えることをやめている。ハイデッガーに言わせるとこの様な態度は「頽落」であり、ニーチェによると「畜群」になるそうだ。しかし、「魂」を信じることをやめてもその代わるものがない限り、仕方がないだろう。
哲学で論じられるような屁理屈ではなく、何か良い考えはないものだろうか。
根本の問題は、「死」をどのように捉えるかである。ビル・ゲイツのように、考えることが出来なくなることを最大の恐怖と捉える人は多い。人間は単なる分子(卵子と精子)から生まれて、分子に帰っていく。その間、人間以外の動物と異なり、何らかの異変によって記憶力を備えた意識を得てしまった(ダマシオの言う延長意識※)。
ダマシオによると、その前の段階である中核意識※(記憶が乏しい、現在のみの立場で生きている状態つまり多くの動物)の段階では、外部の刺激によって身体に異変があれば、異変を正常に戻すために意識は努力を行うが、異変がもとに戻ってしまえば、意識は再び眠ってしまう。欲求は生じるが記憶はない。人間のように何も刺激がなくても、将来のことを考えるような思考はない。本当に人間は困ったものだ。
とすると、唯一の解決策は自分の中に永遠を作り出すことであろう。永遠の時間の中で自己意識は自分自身の消滅を受け入れるのかもしれない。これは、西欧の実存的な考え方と違って、死を耐えるような努力を必要としない。たまたま与えられた自分の命を有益に使おうと考える。自分を粗末に捨てるようなことはしない。現在ある生命と、その生命を使うこと(使った結果無くなるかもしれない)は、今現在自分が持っているお金を、その限度でどのように有効に使うべきかと考えることと同じようなものなのである。
命は分子から偶然に生まれ、その後自我にその管理を一定期間委託されている。自我は、生命を運営し、委託されている間は命を有意義に使うべきだろう。延長意識では、記憶の中にある自己を思い浮かべるが、それがいつかは消滅することを自覚している。自我は自我であると同時に、永遠の世界と融合しているのだ。この様な感覚は「瞑想」を行うと、自分を犠牲にして他の生命を助ける行動によって、生命が尽きかけた時の宿命を理解することが出来る。あるいは、実存的な強い意志で以って生まれるかもしれない。ただし、これらは、他からの強制や、集団的な幻想に従って行われるべきではないし、そうやって出来るものでもない。
永遠を体験するためには、生命の孤独を経験しなければならないのだ。生命の孤独を実感するのは、自分の死や、孤独を正面から受け止める時期を必要としている。
この様な試練を経ない場合は老年期になって、記憶障害、見当識障害が自然の営みとして起こり、延長意識での「死」に関する大きな問題を脇に置く作用が来るのを待たなければならない。その点で、記憶障害や見当識障害が「認知症」として病的なものであり、治療の対象と決められているのは非常に悲しいことだ。記憶障害や見当識障害は「死」の恐怖から人間を守るものと規定し、記憶障害や見当識障害が発生しても訂正しようとせず、その状態に周辺環境を合わせるような努力がなされ、一人の場合、誰からも干渉されず、自由に生きることが出来ればよいのだ。自然になされる死の恐怖から免れることは排除すべきではないのだ。
記憶が損なわれる状態は、部分的である。何も分からないわけではない。部分的な記憶喪失は、実存的に生きようとする人や、リアルなものだけが真実であると考えている人には、大きな苦痛を与える。これは事実である(その為に認知症の人は苦しむ)。しかし、そうかと言って、記憶が再び戻ることを期待し、治療を行ってはかえって苦悩を深めるだけだろう。すべてを自然の流れと考えてその流れに自分を乗せ、ゆっくりと流れていくことが出来れば、死の苦悩を少しでも和らげることが出来るだろう。
※中核意識;現在を生きるための意識。自己を意識はするが、過去を振り返ったり将来を考えることはしない。
※延長意識;中核意識に加えて、記憶能力が大幅に向上したために、過去を記憶し、将来を予測することが出来る。
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