なぜ認知症を予防しようとするのか

こうすれば認知症を予防できるというテレビ番組は、視聴率が必ずアップして、認知症早期発見の特集を組んだ雑誌ならば売り上げの倍増は必至、というのがメディアでは“常識”らしい。その背景には、「認知症になったら人格も無くなる」「介護で大変なことになる」という否定的な見方の広がりがある。


そこで多くの人が「認知症にはなりたくない」と思い、認知症に対する恐怖心や不安感から、予防法を知りたくて仕方がないらしい。


しかし、考えてみてほしい。認知症のほとんどは医学的に原因不明の病気なのである。治す薬が発見されてノーベル賞候補になったという話もない。原因不明で治すことのできない病気に、確かな予防法などあるだろうか。あるはずがない。大体、認知症は50年前にはほとんど問題ではなかった。当時の平均寿命は70歳前で、認知症になれるほどの歳を重ねられなかったからだ。なぜ今こんなに問題になるかといえば、医学と福祉の進歩でだれもが長生きになったからである。長寿のせいでどんどん増えてきた現代病を、どうやって予防しようというのか。どうしても予防したいなら、時代を50年前に戻して長寿をあきらめる“タイムマシン”が必要なのだ。

 

運動で長寿になり危険?

認知症の予防に運動がいいという研究結果があるではないか、と反論されるかもしれない。その証拠に、いろんな自治体で認知症予防のために体操やウオーキングの教室を展開しているではないか。確かに認知症の一部については運動の予防効果がある。


血管性認知症という生活習慣病(高血圧、糖尿病、高脂血症など)が危険因子となって発症する脳梗塞や脳出血の後に出現する認知症については、生活習慣病を抑える運動が有効だ。しかし、認知症の中で最も多い(6割以上を占める)アルツハイマー病は、最高の危険因子が先述の通り「長寿」であり、それに比べたら生活習慣病の危険度は決定的なものではない。逆に、運動したら長寿は普通延びこそすれ短縮することはない。つまり、運動励行で長生きしたら、アルツハイマー病になる危険は増す理屈になるのである。

 

社会やメディアの見方が根本的におかしいのである。長寿になって増える現象をなぜ「なってはいけない」と否定するのか。良くないことのように見下すのか。それは長寿を否定することにつながるではないか。長寿になればなるほど、高齢者を「おめでとう!」と祝福するのだから、それに必ず伴ってくる認知症も受け入れないとおかしい。長生きしたのだから認知症になっていい。堂々と認知症になればいいじゃないか。認知症になっても治そうなんて思う必要なんてない。もちろん世界中の医学研究者は、認知症を根治させようとして新薬の研究を進めている(現在までのところ、ほとんど成功していない)。しかし、それは医学研究者だけが持てばよい見方だ。その手段も役割もない社会の人々までがなぜ「認知症を治さなくては!」と思ってしまうのか。もはや「社会の病」と言うよりほか他ない。

 

減らす目標を掲げる愚かさ

その「社会の病」が端的に現れたのは、今年5月に政府から発表された「認知症を減らすための数値目標」だ。


「予防」を認知症対策の新たな柱の一つにして、70歳代の認知症の人数を2025年までに6%減少させるとした。根治療法も予防法もないのに、減らせるわけがない。発表では、運動不足解消の活動や保健師らの健康相談などが、認知症の削減の方法として挙げられていたが、それらは従来と何ら変わらないことで、幻想やイメージに頼った余りにも安直な目標としか思えなかった。もちろん、運動不足は身体の病につながりがちでその解消の奨励は大賛成で、高齢者が健康でいるための活動もどんどんやって欲しい。しかし、なぜそこに、「認知症を予防するために」という発想が伴うのだろうか。長寿になればだれもが認知症になる傾向が増えるのは自然なことなのだ。減らすための政策を考えるのではなく、認知症になった人を社会が「そのままでいい」と尊重し認める政策を作ったらどうなのか。


政府のこの発表に対して、認知症の当事者グループが「認知症になる人は予防の努力が足りないという間違った考えが生まれ、新たな偏見の元になる」という批判の声を上げたのは当然のことだ。これまで認知症について悲観的な記事を多く書いてきたマスコミでさえ「認知症に対する否定的なイメージを、助長しかねないと懸念する声がある」「予防に努めれば認知症にならないかのような印象を与える目標の打ち出し方は問題」(ともに朝日新聞社説)と懸念を表した。

 

結局、「認知症削減の数値目標」は6月に撤回に追い込まれた。厚労相は「予防の取り組みは、認知症の人の尊厳を守り、共生の議論の上で進めることが大前提」と述べた(6月5日付朝日新聞)が、「予防」は認知症対策の柱に位置付けられたままだ。予防を強調することは、「認知症は治さなくてはいけない」という社会の思い込みを強め、結果的に認知症の人の自尊心を傷つけかねない。認知症の人が増える社会を、悲しい社会にするのか希望ある社会にするのか、それは人々の認知症の見方にかかっている。

東京医療学院大学保健医療学部教授上田 諭
関西学院大学社会学部卒。新聞記者を経て、北海道大学医学部卒業。都立の高齢者専門病院や日本医科大学精神神経科などで、老年期うつ病と認知症を診療。米国デューク大で「電気けいれん療法研修」修了。2017年から東京医療学院大学保健医療学部教授。
日本精神神経学会および日本老年精神医学会の専門医・指導医。一般病院連携(リエゾン)精神医学専門医。
著書に『治さなくてよい認知症』(日本評論社)、『不幸な認知症 幸せな認知症』(マガジンハウス)。
関西学院大学社会学部卒。新聞記者を経て、北海道大学医学部卒業。都立の高齢者専門病院や日本医科大学精神神経科などで、老年期うつ病と認知症を診療。米国デューク大で「電気けいれん療法研修」修了。2017年から東京医療学院大学保健医療学部教授。
日本精神神経学会および日本老年精神医学会の専門医・指導医。一般病院連携(リエゾン)精神医学専門医。
著書に『治さなくてよい認知症』(日本評論社)、『不幸な認知症 幸せな認知症』(マガジンハウス)。
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