生産性とは売り上げ(あるいは付加価値)に対する労働力の投入あるいは資本の投入がどの程度に効率的かを問うものである。
その要素は
①投入する資本額
②投入する労働量
③中間投入材
④及びその残余(生産性)から成り立つ
(生産額=資本量+労働量+中間投入材+その残余(生産性))となる。
これは、ロバート・ソローが提唱した概念である。その場合、この公式が成り立つのは、売り上げが「一定の品質」を担保したものであることが前提だ。通常の製品は品質が悪い場合、市場淘汰によって販売量が減少するので、品質管理の強いインセンティブがある。介護の場合はこの様な品質の判定が難しい。ただ要援助者に優しくすれば良いわけではない。一定の障害を持つ人に対して、どの様な援助を行うかに付いての基準は個別的である。個別的であることは事業者によって、異なる方法を取ることも出来るのだ。
移動に障害がある人の場合に例えると、補助具を使用して、その人に出来るであろう歩行を提案し、自力で移動するように促す方法と、余り考えることなくいきなり車いすを使う場合とでは、入居者のADLは大きく違ってくる。つまり、出来上がりの品質が大きく異なる。食事についても摂取が困難な場合、食事の介助を行う仕方と、自分で食事を取ることを見守る場合がある。日本でよく見られるように口を開けた高齢者に対して、介護者がスプーンを使って口の中に食物を入れる場面がある。一方で、食材を工夫し、かつ、使える手に合った箸なりスプーンを用意し、高齢者が自分で食事を摂ることを見守るやり方もあるだろう。同じような障害を持っていても、介護方法が一定とは限らないので品質(長期的なADL-自立性)も一定ではないし、それに関わる労働力が適切なものかが問われるのだ。これは介護の品質に大きくかかわるが、現在、余り問題視されないのは不思議だ。
自立を促すためと称して、何もしない場合は当然のことながら介護職員は少なくて済み、労働生産性は高くなる。反対にすべてを援助すれば、自立を促しているとは言えないが、良い介護を行っていると言われ、品質は高いと見なされ、介護職員が多く必要となり、労働生産性は下がってくる。
この様に介護サービスでは、そのサービスの基準(製品の基準)が一定でないし、それを確かめることも難しいとされる。この様な品質基準は、ケアマネジメントの内容を以って表わされる。しかし今のところ、ケアマネジメントを起点にして、品質を一定にしようとする試みは無い。というよりも、どの様な状態を以って品質が良いと言うかさえ不確かである。
製造業において製品を作る場合は、製品の品質は自由競争によって決定される。従って品質の一定基準を定め、その製造に関する最も効率的な労働投入を考えれば良いのだが、介護事業の場合は一定基準に品質が決まりにくい。つまり、自立を促すための援助方法とそうでない場合とでは、大きく方法が異なり、どちらの方法をとれば品質がより良いかを市場で決める人がいないのである。従って、一定の品質が不確定となるので援助するためのサービス量も決まりにくい。
これこそがが、まず、ITの導入とか人材のマネジメントとか以前に、介護の生産性を考える上で問題となる点だ。つまり、生産性を議論する場合の品質の基準が必要なのである。これは、ケアマネジメントの領域に入り、学問的な理論とそれを実際に実行した場合の結果とが照合され、一定の基準を作り上げることが必要となるのである。
一定の基準に沿ったサービスは個別のケアマネジメント、つまり製品を個別にチェックするしか方法がないのだ。それゆえ、介護事業においての生産性向上は、個別のケアマネジメントを引き出して、それを公的機関が検討し、不適切なケアマネジメントを指摘して、公表し、製品の改善(ケアマネジメントの妥当性と一般化)を促すしか考えられない。この考えは、非常に地道であり、成果が上がりにくく、個々の企業や団体が個別に取り組みにくいものである。
公的機関(政府や地方自治体)がこの分野にもっと注目し、予算を配分しない限り、介護事業の品質基準と生産性向上は図れないと考えられる。個別的なケアマネジメントは、異なる個人ごとの生活と、異なる個人ごとの障害の程度、双方を考えて決められる。それゆえ、類型のパターンは相当数多くなる。
介護保険の発足以来、この様な地道な類型の積み重ねを怠ってきたので、今や品質の良い製品(良質の介護)とはどの様なものかがはっきりしなくなっている。この状態で、介護事業の生産性向上を叫んでも、どの方向に向けばよいのか分からないはずである。
Waode Hanifah Istiqomah(ワオデ ハニファー イスティコマー)の記事を見る
芦田 航大の記事を見る
岡﨑 広樹の記事を見る
カーン エムディ マムンの記事を見る
板垣 岳人の記事を見る
蘇 暁辰(Xiaochen Su)の記事を見る
斉藤 善久の記事を見る
阿部プッシェル 薫の記事を見る
黒部 麻子の記事を見る
田尻 潤子の記事を見る
シャイカ・サレム・アル・ダヘリの記事を見る
散木洞人の記事を見る
パク ミンジョンの記事を見る
澤田まりあ、山形萌花、山領珊南の記事を見る
藤田 定司の記事を見る
橘 里香サニヤの記事を見る
坂入 悦子の記事を見る
山下裕司の記事を見る
Niklas Holzapfel ホルツ アッペル ニクラスの記事を見る
Emre・Ekici エムレ・エキジの記事を見る
岡山県国際団体協議会の記事を見る
東條 光彦の記事を見る
田村 和夫の記事を見る
相川 真穂の記事を見る
松村 道郎の記事を見る
加藤 侑子の記事を見る
竹島 潤の記事を見る
五十嵐 直敬の記事を見る
橋本俊明・秋吉湖音の記事を見る
菊池 洋勝の記事を見る
江崎 康弘の記事を見る
秋吉 湖音の記事を見る
足立 伸也の記事を見る
安留 義孝の記事を見る
田村 拓の記事を見る
湯浅 典子の記事を見る
山下 誠矢の記事を見る
池尻 達紀の記事を見る
堂野 博之の記事を見る
金 明中の記事を見る
畑山 博の記事を見る
妹尾 昌俊の記事を見る
中元 啓太郎の記事を見る
井上 登紀子の記事を見る
松田 郁乃の記事を見る
アイシェ・ウルグン・ソゼン Ayse Ilgin Sozenの記事を見る
久川 春菜の記事を見る
森分 志学の記事を見る
三村 喜久雄の記事を見る
黒木 洋一郎の記事を見る
河津 泉の記事を見る
林 直樹の記事を見る
安藤希代子の記事を見る
佐野俊二の記事を見る
江田 加代子の記事を見る
阪井 ひとみ・永松千恵 の記事を見る
上野 千鶴子 の記事を見る
鷲見 学の記事を見る
藤原(旧姓:川上)智貴の記事を見る
正高信男の記事を見る
大坂巌の記事を見る
上田 諭の記事を見る
宮村孝博の記事を見る
松本芳也・淳子夫妻の記事を見る
中山 遼の記事を見る
多田羅竜平の記事を見る
多田伸志の記事を見る
中川和子の記事を見る
小田 陽彦の記事を見る
岩垣博己・堀井城一朗・矢野 平の記事を見る
田中 共子の記事を見る
石田篤史の記事を見る
松山幸弘の記事を見る
舟橋 弘晃の記事を見る
浅野 直の記事を見る
鍵本忠尚の記事を見る
北中淳子の記事を見る
片山英樹の記事を見る
松岡克朗の記事を見る
青木康嘉の記事を見る
岩垣博己・長谷川利路・中島正勝の記事を見る
水野文一郎の記事を見る
石原 達也の記事を見る
野村泰介の記事を見る
神林 龍の記事を見る
橋本 健二の記事を見る
林 伸旨の記事を見る
渡辺嗣郎(わたなべ しろう)の記事を見る
横井 篤文の記事を見る
ドクターXの記事を見る
藤井裕也の記事を見る
桜井 なおみの記事を見る
菅波 茂の記事を見る
五島 朋幸の記事を見る
髙田 浩一の記事を見る
かえる ちからの記事を見る
慎 泰俊の記事を見る
三好 祐也の記事を見る
板野 聡の記事を見る
目黒 道生の記事を見る
足立 誠司の記事を見る
池井戸 高志の記事を見る
池田 出水の記事を見る
松岡 順治の記事を見る
田中 紀章の記事を見る
齋藤 信也の記事を見る
橋本 俊明の記事を見る