すべての哲学的問題の根底にあるのは、自分自身の死と世界の継続の問題ではなかろうか。国家主義的な思想では、個人は余り問題とはならないが、自由、人権、多様性が尊重される世界では個人の立場こそがすべてである。
ビル・ゲイツは最も恐ろしいのは何か、と問われた時、自分の脳が働かなくなる時だと答えている。しかし・・・・。
宇宙が出来てから130億年ほどで、地球が誕生したのは45億年余り前と言われている。
人間の一生は短くて数時間、長くても100年程度だ。人生は一瞬の間なのである。また、地球上だけでも生物の数は数億個の数億倍に達する天文学的な数であるし、人間の数も今や地球上で80億人を超える。全体から見ると一人の人間の存在は限りなく短くて小さい。人間一人の矮小さ、儚さが一段と浮き上がる。そうであれば、個人の消滅などは問題にもならないのか。いやそうではない。それは、人間は地球上の他のすべての生物と異なり、過去と現在の記憶、未来の予想が出来るからだ。そして、自分自身の死も予測することが出来るからなのだ。小さな個人と、個人が考える世界の大きさとの矛盾は果てしなく大きい。人間の意識が地球全体や宇宙に及ぶことに対して、それを考える一人の人間の存在は物理的に非常に儚いものだ。
この矛盾を解消するために、人間が考え出したのは「魂」である。体が消滅しても(それは他者を見て明らかである)、「魂」が残ることにすれば、人間の抱える最も大きな矛盾が解決できるのだ。人間は、世界を知るようになってから、速やかに「魂」を考案した。「魂」が設置される場所としての宗教は、人間の知能(主には記憶力)の向上と共に成立した。それ以降、人間は自分の有限性と、それに比べて無限に長い世界との差を埋めることが出来るようになったのだ。自分の「魂」を設定して不滅の位置づけを与え、それらを管理する絶対者を想定し、アミニズムから一神教(ユダヤ、キリスト、イスラムなど)の信仰に至っている(仏教も初期のものから変化して、魂を想定し、絶対者を招き入れることになった)。そこでは、「魂」は天国や浄土などに安住することが出来るのだ。
しかし、この構図を破壊するものが現れた。
それは科学である。科学の目から見ると「魂」の存在は到底説明出来ない。「魂」のエネルギーはどこら来るのか、「魂」の物理的性質はどうなっているのか、などから考えると「魂」は存在理由を失う。科学によって人間は「魂」の無い世界に放り出されたのである。そこで、この様な危険な科学の出現に対して、人間の対処法はというと・・・、将来を考えないようにしたことである。宗教の世界では、死後の運命は想定されるので、自分の死後を考える事が出来る。天国に昇るにしろ、浄土に逝くにしろ、そんなに真っ暗で方向が分からないものではない。ところが、科学が支配した世界では、人間の死後の世界は、何も無い世界になるだろう。普通に考えるとそういうことである。科学によって宗教的な考えを盲目的に取り入れることが出来なくなった人間は、考えることをやめてしまった。考えないほうが無難なのだ。
死後のことを考えなくても、都合の良いことに時間が経てば人間は老化する。死に対する思いは、生のエネルギーであるが、老化によって生のエネルギーは次第に小さくなり、生への意欲も死の恐怖も低下する。死を考えないようにしても、実際には、余り問題にはならないようだ。死んだ人から、「もっと真剣に死を考えておけばよかった」などのコメントはもらえない。しかし、そうとはいかない場合もある。若くして死を宣告され、かつ、時間を限定された場合だ。死までの時間が有限で、生へのエネルギーが強い場合は、死について考えざるを得ない。
この様な場合を除くと、人間の生活において実際には、死を意識する必要は無いかもしれない。死を意識しても生活上は何も良いことはなく、時間の浪費と考えられるだろう。むしろ目の前にある苦しみや楽しみの方がよほどの関心事だ。そして、死の問題は忘れ去られる。いや、忘れたわけではなく、心の底には沈殿しているけれども一旦表面化すると、人間はそれを再び心の底に沈めるのだ。
安楽死や尊厳死が問題になるような状況で、「魂」の問題は出現する。この様な限られた状況に対して、「死の哲学」が語られるが、所詮「魂」の問題に決着がつかない限り、解決はできないだろう。
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