「技術革新」と「民主主義の確立」がもたらした現代日本の問題点とは。

現代の社会の特徴は技術革新によって社会が豊かになり、共同で助け合わないと社会が成り立たなくなることが「少なく」なったこと、そして、有力者の命令によって動く社会でなく、一人ひとりの意思が反映される民主主義が採用されたこと。この二つの大きな「進歩」のために、その結果として個人は個別化されて孤立し、連帯感が乏しくなったと言える。

これは、上記の「技術革新」と「民主主義の確立」とによって、実現された成果として起こっている。決してネガティブな傾向ではない。人間は自由になったのだ。

しかし、社会生活が個別化したとは言っても、個人が完全に自立的に生活しているわけではない。自立出来ない個人にとって、自立を促される社会では(連帯の必要性が乏しくなった社会では)取り残されることになる。取り残された個人に対して、社会は何らかの援助をしなければならない。残念ながらその為に歴史を元に戻し、連帯感の強い(言葉を変えると自由を制限する)社会に戻すことは出来ない。

高齢者が近所の支え合いで生活出来るのは、昔からの街並みが残っているような、ごくわずかな地域か、優れたリーダーがいる地域に限られる。しかも、それが良い話としてマスコミに取り上げられても、それは一般的にはならない。

 

方法は二つある。
一つは、個人が社会で孤立する傾向は止められないとして、その人たちに社会保障的手段を使い支援することである。これらは、職業訓練や生活相談など広範囲にわたる。ただし、これらは中央政府あるいは地方自治体を問わず、公的責任で行われなければならない。そのうえで民間レベルの「助け合い」が必要なのだ。
二つ目は、個人が社会に適応するために(孤立を防ぐために)、個人の自立を目指す教育を徹底することだ。それには、幼少期からの教育が必要である。自立した個人が集まる社会と、社会から孤立し脱落する人たちを支えることとは、相反すると思われがちであるが、そうとは言えない。
まず、自立した個人は簡単に協調することが出来る。幼少期から支え合いよりも自立の大切さ重視すると、自立的な子供が多くなるのは当然だろう。この面での教育の効果は非常に強いのだ。

 

しかし、自由を強調しすぎると、能力的に自立できない場合は、取り残される可能性があると思われている。一見矛盾する二律背反の事柄を解決するためには、論理的思考から離れ、現象学的な考え方が必要だ。つまり、能力を伸ばすよりも、人間相互の関係性を重視する態度が必要になる。論理で能力を規定し、自由と協調を説明することは難しい。むしろ、自由と協調とは、感情レベルでの理解が必要である。

 

人間には社会的能力の差があると考えられる。だが現在の能力は、現在の社会に対してのみ有効のものだ。12,000年前から4,000年前の、狩猟採集社会では運動能力や環境を認識する能力が重要であった。農業社会では、地道に働く能力が重宝された。工業社会では手先の器用さは有効な能力だった。ところが現在のIT社会では今までと異なる能力が必要とされる。そして、能力はさまざまであるが、一つの能力に秀でて、ある能力は劣る場合もある。さらにいずれの能力も秀でる場合もあるし、いずれも劣る場合もある。幼少時期に能力を育む教育を行い、すべての子供が一芸に秀でたようになればよいが、能力は無情である。教育によってすべての子供が、能力を伸ばせるわけではないことは当然だ。

 

そこで、社会での各個人の能力差を、地位や資産の多さに比例させない、つまり格差を市場レベルで大きくしてはならない。そのためには幼少期に、能力の様々な子供に集団行動の意味を理解させ、能力のさまざまな子供同士が、自由と協調とを感覚的に理解できるような教育が重要となる。その場合、技能的な教育の面にだけ注目し、運動能力や記憶能力(偏差値能力)の優る子供と、能力の劣る子供(障害を持つ子供も含む)との共同生活を否定するのではなく、むしろ積極的に推進することが大切なのだ。能力の異なる子供の集団は、実利的学習(読み書きそろばんなど)では不利に働くが、感情面では有益な面が多くあることを理解すべきだ。能力の優れた子が、能力の劣る子とどの様に協調するか、その反対に、能力の劣った子が、能力の高い子供たちの中でどの様に生活するかは、教育の最も重要な点なのである(この場合教師の役割は重要だ)。

 

現在行われている、能力が劣った子供たちを別枠で教育すること(特別支援学級など)や、能力別の学校や学級を作ることは、その子供たちのためでなく、能力の優る子供たちが、足を取られないための分離教育であると認識しなければならない。知能レベルあるいは運動レベルにおいて能力的に大きな差がある子供たちを、同じ教育の場で生活を同じくすることによって、感情的なレベルでの包容を図るべきだろう。これは、ノーマライゼーションの考えとして、50年前から世界的に普及している。日本においては、ノーマライゼーションの考えが普及していないのはなぜだろうか?


むしろ現在の教育は、その教育そのものの理念により行われているのではなく、教育が子供を少しでも偏差値の高い学校に行かせようとする親たちに、乗っ取られている状態かもしれない。

 

公益財団法人橋本財団 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
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