ダーウィンによる進化論は、現代では生物界のみならず、社会の変化を解き明かす理論として応用できる。
進化論的に社会の変化を見るのが面白いのは、生物界の一般的進化は遅すぎて目に見えないけど、社会の変化は可視化出来るからである。この様な進化論的考え方に対して、社会の変化は一定の知的デザイン(理論に基づいた制度を導入するなど)により作ることが出来るとの考えがある。しかし、知的デザインによる社会の改造は、極めて短期間には通用しても、多くは長い年月には耐えられない。なぜなら、かつて知的デザインによって作られた社会主義(共産主義)理論も、その対極に位置する新自由主義理論(自由放任主義)も、社会に適応すると理論通りには機能せず、大きな失敗を生んだのである。
政府の多くの政策は知的デザインを基に行われることが多い。従って、政策が成功するかどうかは、甚だ不確実であるとい言える。
生物の進化が、自然淘汰、適者生存の原則に沿って行われるのと同じように、社会の変化も何らかの原因によって起こる変化が時代の波によって淘汰され、生き残るか、消滅するかの道を辿る場合が多い。そして、それらの変化は、知的デザインによって作られた変化をも含み、日常的に起こるような小さな変化の積み重ねが望ましい。例えば、フランス革命を筆頭とする革命の多くは、大きな変化を目標としているので、結果的に失敗に終わっている。従って、進化論を社会に応用させるためには、保守的な立場(斬新的変化)を採る必要がある。特に国単位の制度ではなおさらである。つまり、現在と過去の状態が未来を規定するのであり、ある設計図(知的デザイン)が未来を規定するのではないことを理解しなければならない。
ダーウィンが「種の起源」の中で最も強調したのも、斬新的な変化である。突然変異というような大きな変化ではなく、ごくわずかの変化が次第に種の形質を変えていったように、社会も常時一定の変化が常に発生し、それが社会を少しずつ変えていく。しかし、その変化は常に社会が良くなるような進化とは限らない。ある場合には、社会はかえって悪くなり、場合によると、その社会は過去の生物が辿ったように、「絶滅」つまり体制の崩壊を経験するかもしれないのだ。だが、生物的進化の場合は全くの無作為、無目的に対して、人間が社会を変える場合はその都度、合理的な目的がある。意志を持って社会を変えることは出来るが、その場合も、変化は常に起こるので、政策の修正を繰り返す必要がある。
現代の日本では、変化を求める声はあるが、さて変わる時には反対に転じることが多い。進化論的に変化する場合の要点である、絶えず継続して小さな変化を積み重ねることが出来にくい。
一方で、良識ある社会の改革とは無関係に、自己の利益に沿った行動をして、その結果社会が変化する場合もある。問題は、長い期間で社会の変化を捉えようとする時に、人間の幸福のために社会を変える場合と、自分の利益のために社会を変える場合を考えた時、前者では良い社会が生まれ、後者では必ずしも悪い社会になるとは言えない。これが進化論的社会変化と考えられる。
この様に考えると、より良い社会を作るための原則が見えてくる。第一に、変化は常に必要であるが、変化によって問題が生じた場合は、速やかに変えること、つまり、常に修正を行うこと、そして第二に、その変化は「ドラスティック」な大きな変更ではなく、現実的な変化を目指すことなのである。従って、市場を中心にした緩やかな、しかも斬新的な変化が最も望ましいと言えるかもしれない。事実、欲望が変化の基になっている場合は、まさにその通りだ。ところが人間社会は、欲望のみを基軸にした進化を求めるわけではない。自由、平等、人権、多様性などの倫理的な目標は、欲望のみを原動力とした市場によっての変化に大きな影響を与える。倫理的な目標を伴った変化は、まさしく人間社会のみが必要とするものなのである。
現代の日本社会は、経済的にも社会的にも停滞して良いわけではない。経済成長率の低下、人口減少と高齢化、財政赤字の増大、原子力をはじめとしたエネルギーの問題、沖縄基地を含む安全保障の問題など、課題は山積である。進化を促進するためには、常に変化を起こすことが大切だ。最近目に付くのは、制度改正を必要としているのに、既存の事業者の抵抗によって変更が進まないことが多い。これは必ずしも規制緩和を意味するものではない。規制を強める変化も有り得るのだ。少ない変化でも、変化にはエネルギーが必要なのである。既存の壁を打ち破るためには、強い意志の力と、不断の対話によるしかないのだ。変化を望む者は、熱意を持って、対話を続ける努力を行わなければならない。
Waode Hanifah Istiqomah(ワオデ ハニファー イスティコマー)の記事を見る
芦田 航大の記事を見る
岡﨑 広樹の記事を見る
カーン エムディ マムンの記事を見る
板垣 岳人の記事を見る
蘇 暁辰(Xiaochen Su)の記事を見る
斉藤 善久の記事を見る
阿部プッシェル 薫の記事を見る
黒部 麻子の記事を見る
田尻 潤子の記事を見る
シャイカ・サレム・アル・ダヘリの記事を見る
散木洞人の記事を見る
パク ミンジョンの記事を見る
澤田まりあ、山形萌花、山領珊南の記事を見る
藤田 定司の記事を見る
橘 里香サニヤの記事を見る
坂入 悦子の記事を見る
山下裕司の記事を見る
Niklas Holzapfel ホルツ アッペル ニクラスの記事を見る
Emre・Ekici エムレ・エキジの記事を見る
岡山県国際団体協議会の記事を見る
東條 光彦の記事を見る
田村 和夫の記事を見る
相川 真穂の記事を見る
松村 道郎の記事を見る
加藤 侑子の記事を見る
竹島 潤の記事を見る
五十嵐 直敬の記事を見る
橋本俊明・秋吉湖音の記事を見る
菊池 洋勝の記事を見る
江崎 康弘の記事を見る
秋吉 湖音の記事を見る
足立 伸也の記事を見る
安留 義孝の記事を見る
田村 拓の記事を見る
湯浅 典子の記事を見る
山下 誠矢の記事を見る
池尻 達紀の記事を見る
堂野 博之の記事を見る
金 明中の記事を見る
畑山 博の記事を見る
妹尾 昌俊の記事を見る
中元 啓太郎の記事を見る
井上 登紀子の記事を見る
松田 郁乃の記事を見る
アイシェ・ウルグン・ソゼン Ayse Ilgin Sozenの記事を見る
久川 春菜の記事を見る
森分 志学の記事を見る
三村 喜久雄の記事を見る
黒木 洋一郎の記事を見る
河津 泉の記事を見る
林 直樹の記事を見る
安藤希代子の記事を見る
佐野俊二の記事を見る
江田 加代子の記事を見る
阪井 ひとみ・永松千恵 の記事を見る
上野 千鶴子 の記事を見る
鷲見 学の記事を見る
藤原(旧姓:川上)智貴の記事を見る
正高信男の記事を見る
大坂巌の記事を見る
上田 諭の記事を見る
宮村孝博の記事を見る
松本芳也・淳子夫妻の記事を見る
中山 遼の記事を見る
多田羅竜平の記事を見る
多田伸志の記事を見る
中川和子の記事を見る
小田 陽彦の記事を見る
岩垣博己・堀井城一朗・矢野 平の記事を見る
田中 共子の記事を見る
石田篤史の記事を見る
松山幸弘の記事を見る
舟橋 弘晃の記事を見る
浅野 直の記事を見る
鍵本忠尚の記事を見る
北中淳子の記事を見る
片山英樹の記事を見る
松岡克朗の記事を見る
青木康嘉の記事を見る
岩垣博己・長谷川利路・中島正勝の記事を見る
水野文一郎の記事を見る
石原 達也の記事を見る
野村泰介の記事を見る
神林 龍の記事を見る
橋本 健二の記事を見る
林 伸旨の記事を見る
渡辺嗣郎(わたなべ しろう)の記事を見る
横井 篤文の記事を見る
ドクターXの記事を見る
藤井裕也の記事を見る
桜井 なおみの記事を見る
菅波 茂の記事を見る
五島 朋幸の記事を見る
髙田 浩一の記事を見る
かえる ちからの記事を見る
慎 泰俊の記事を見る
三好 祐也の記事を見る
板野 聡の記事を見る
目黒 道生の記事を見る
足立 誠司の記事を見る
池井戸 高志の記事を見る
池田 出水の記事を見る
松岡 順治の記事を見る
田中 紀章の記事を見る
齋藤 信也の記事を見る
橋本 俊明の記事を見る