私たちには自分自身で死ぬ時期を決定する権利が、法的に社会的にあるいは倫理的に保障されているのであろうか?
カナダでは2016年にmedical assistance in dying (医師による安楽死幇助)が合法化された。重大な病状の患者が自分の意思で、医師による致死薬剤に依って死亡の時期を決定出来ることが最高裁で認められたのである。
最近、アルバータ州エドモントンの緩和ケア医と話をする機会があったが、臨床現場への影響は少なくないようである。それに依ると近年、がんの化学療法のファーストライン(最初に行う標準的治療、恐らく薬効が一番高いであろうとされている抗がん剤での治療)で効果が無かった患者さんは、その多くが2次、3次の抗がん剤治療を選択肢に入れているものの、それでも効果が無かった場合には将来的に医師の力を借りた安楽死を希望するとのことであった。現状ではすぐに安楽死を選択するわけではないが、抗がん剤の効果がないと分かった時点で安楽死を選択肢の一つとする人が増えているというのである。カナダの最高裁によって認められた安楽死は
●公的医療サービス適合者
●18歳以上で判断能力のある人
●重大かつ不治の病状がある人
●安楽死を求める時点で要請が自発的である人
●インフォームド・コンセントがある人
を対象としている。今回の審議では9人の判事が全員一致で「人生の最期に関する個人の選択は尊重されるべきだ」と論じた。
これに対してカトリック系の司祭団体は「聖職者は、医師による幇助で安楽死した信徒の葬儀を拒否できる」というガイドラインを出し、安楽死に反対している。安楽死は大罪であり、そのような遺体を教会に安置することはできないとしている。どのような状態にあっても死をもたらすのは神であって、人為的にそれを為すことはできないと言っているのである。日常に深く根付いた宗教が安楽死を公式に否定したという事実は社会的に大きな影響を及ぼすと考えられる。私たちにはいかなる状態にあっても「生き続ける義務」がある、というのである。
その後の1年間で、1982人がこの方法で命を絶ったことが報道された。そのほとんどはがん患者であった。この数は全死因の約2%であり、この数字は国際的な経験値とも一致すると言われている。カナダの一般国民の間では、医師の幇助による安楽死について肯定的な意見が多いと言われている。
一方で、患者を治すことを教育されてきたカナダの医師たちは、戸惑いを隠せない。多くの医師には、薬物を注射したり、致死的薬物を処方したりすることに根強い抵抗が見られる。薬物に対する知識が乏しいこと、倫理的な良心の呵責があることなどが原因とされている。これに対してアルバータ州のmedical assistance in dying担当部署では、医師たちの抱く幇助への偏見を払拭し安楽死を啓発するためのセミナーを各地で開催している。積極的安楽死は緩和ケア同様に終末期医療の一つの選択肢であると捉えるべく啓発活動を行って、今後ともこの活動を継続していく予定とのことである。
[安楽死」「尊厳死」「自殺幇助」などの用語については倫理観、政治的立場によって様々に用いられ混乱がある。少し整理してみよう。
有馬1)は医療従事者の行為によって1)積極的安楽死、2)消極的安楽死、3)間接的安楽死に分類している。ここで1)は致死的薬剤の処方、注射などを含むもの、2)は治療行為を差し控えたり中止したりするもの、3)は緩和医療学的な深い鎮静を用いるものを指している。これらのそれぞれに患者自身の同意があるもの(a;任意)、判断力や意識が欠けていて意向が明らかでないもの(b;非任意)、患者の意向に反しているもの(c;不任意、強制)が存在するため、全部で6類型の安楽死が存在することになる。積極的治療の差し控えや中止などの支持者は「安楽死」という言葉を避けるために「尊厳死」を用いることが多い。さらに「自殺幇助」の場合、「自殺」という言葉を用いるのが躊躇われることが多い。これらをまとめると以下の表になる。
欧米では積極的安楽死についての法整備が、近年進められてきた。2016年のカナダの例も、この積極的安楽死に対する法的な基盤が整備されたものである。
一方、我が国では致死的薬剤の使用については、全く認められていないため、積極的安楽死に関する論議は進んでいない。2)消極的安楽死については老年病学会、日本医学会などにおいて、医療行為の差し控えや中止は適当であるというガイドラインが出されており、一般的に尊厳死として既に臨床的に実施されていると考えられ、国民の間でも次第に論議が深まってきている。間接的安楽死については、「緩和医療は死を早めることも遅らせることもしない」という建前からいうと、これを間接的安楽死と呼称することが適当かどうかの問題が残る。緩和医療の現場では従来から臨床的に薬剤を用いた深い鎮静が実施されている。しかしながら我が国においては、消極的あるいは間接的な安楽死についての法的解釈は示されていない。
ここでは積極的安楽死に対する問題点を、有馬らの論点に従って解説してみる。
安楽死を認める論議としては
●死にたいという人の自己決定は認めるべきである。
●死にたいと思わせるほどの痛みや苦しみから個人を開放すべきである。
●近未来に死亡するまでの延命に要する(苦痛を長引かせるだけで治癒が期待できず意味のない)医療費を有効に活用出来る。
一方で安楽死に慎重な意見としては
●高齢者や社会的弱者、低所得者、機能障害者の命を差別する可能性がある。それらの人に対する社会や周囲の無形の圧迫になる可能性がある。
●人の命はそれ自体が価値があり(内在的価値)それを破壊することは許されない。
がある。
積極的安楽死においては、治癒の困難な病状が存在することが条件となっていることが多い。これについては、今後考慮すべき様々な問題が出てくる可能性がある。従来では治癒不能とされた疾病も、医学の進歩により治癒が可能となる現実が出てきたからである。
例えば、乳児期に死亡するとされてきた常染色体劣性遺伝病の脊髄性筋萎縮症は5億5千万円の遺伝子治療薬で治癒が可能となった。今後、遺伝子治療によって従来は不治とされた病も治癒する時代が来るかもしれない。その他、がん治療においても抗がん剤では治癒が不可能であった進行がんが、免疫チェックポイント阻害剤の使用で、一定の治癒率を示している。このように治癒不能という概念が揺らぐ中では、終末期の捉え方も変わってくることが考えられる。一方で高齢化とそれに伴う認知症はこれからも増加し続ける。高齢者だから、障害者だから、認知症だから負担のかかる治療はさし控えるといったエイジズムの社会における蔓延は個人の意思決定のプロセスに大きな影響を与える。このような中で医療はますます複雑となってくると考えられる。
緩和ケアは生命に危険を及ぼす疾病に対して早期より介入し、適切なコントロールで患者の QOLを高めるケアである。近年多くの薬剤が使用可能となり、疼痛コントロールの技術も進歩してきた。耐え難い痛み、呼吸困難に関しても緩和ケアによりコントロールが可能となり、痛みや苦しみからの開放が現実となってきている。しかしながら、未だに痛みや苦しみからの開放がなされていない割合が半数に近いことが報告されている2)。我が国の喫緊の課題は、緩和ケアの充実により、死にたいと思うような痛みや苦しみから患者を開放することにあると思える。
1) 死ぬ権利はあるか 安楽死、尊厳死、自殺幇助の是非と命の価値 有馬斉 著 春風社
2) 患者さんが亡くなる前に利用した医療や療養生活に関する実態調査。国立がん情報センター 2018年
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