「引きこもり」が日本特有の現象であると、報道されることがある。これは間違いだ。なぜなら、社会から疎外された個人が、その社会から逃れるために自宅へ「引きこもる」ことは、誰でもどの民族でも、普通に考えられるからだ。問題の核心は、「引きこもる」自宅があるかどうかなのである。従って、「引きこもり」の状態に陥った人を、心理的、精神病的に分析することは、「引きこもり」の支援には意味があるが、「引きこもり」を社会問題として分析するためなら意味がないだろう。
「引きこもり」を社会問題として考える場合は、個人の問題としてではなく、社会的な制度や習慣の問題として論ずるべきである。
厚生労働省は、2018年12月に40歳から64歳を対象とする初めての調査を行い、40歳から64歳で「引きこもり」の人は、推計で61万3,000人に上り、15歳から39歳を対象にした調査で推計した54万1,000人より多くなっている。全国引きこもりKHJ親の会(「KHJ」は、(強迫性神経障害・被害妄想・人格障害)の頭文字をとっている)の統計によると、外出をする程度まで含めると「引きこもり」の人は推計300万人ほど存在し、男女比では男性の方が若干多めとの報告がある。(7対3程度とするものもある)。
この様に多くの人たちが、「引きこもり」状態で苦しんでいることに対して、どの様に考えたら良いのだろうか。一人で家にこもっている人を「引きこもり」とは普通言わない。何らかの援助者の存在が必要だ。この場合、援助者と引きこもっている人との関係は、プライベート空間上にある。両者の関係に第三者あるいは公的機関が介在することは少ない。この様なプライベート空間が存在することが、「引きこもり」の存在を可能にする(もちろん例外はある)。情報がかなり拡散している日本においても、数多くのプライベート空間が残っている。
一般家庭でも、家族関係にパブリックな要素は少ない。家族というプライベート空間には独自のルールや基準があることが認められているのである。家族の間に、公的機関が介在することは、あまり望ましくないと考えられ、暴力などの通報も遅れがちであり、その為に多くの悲劇が生まれている。学校でも同様で、クラスはプライベート空間と見なされ、外部からの介入を望ましくない事と見なしている。その所為でいじめは放置され、不登校などの現象を招き、極端な場合は自殺に至る悲劇を生む。
欧米で「引きこもり」が問題にならないのは、個人の心理的問題の相違ではなく、極めて社会的制度や慣習の問題であるからだ。個人は単独で存在し、何らかのメンバーシップ(学級や家族)に所属するのではない。悪く捉えれば、個人は孤立して生きることを強いられている。社会との距離を取ろうと取るまいとそれは勝手なのである。個人はどこにも所属しないで生活している。従って、「引きこもり」をプライベートに支援する人も余りいない。
アメリカの現代社会を描いた、ロバート・D・パットナムの「孤独なボウリング」では、社会の関係性が1950年代から1980年代で大幅に少なくなり、地域社会が成立しにくくなっていることをデータで示している(従ってアメリカでも1960年代には「引きこもり」が成立したのかもしれない)。個人は孤立し、アトム化しているのだ。この様な傾向にある社会では、「引きこもり」は起こりようがない。つまり、個人で社会から離れるか近づくかは、「勝手にしてくれ」という考えなのである。また、家族も種々雑多な形態が存在していて規定できないので、必然的に社会化される。
例えば、結婚の形態やその有無も社会的な位置づけを持たない。プライベート空間は個人の内部のみであり、家族間には存在しないのだ。学級のいじめも同様で、クラスがプライベートな空間でなく、パブリックな空間であるとすれば、他人に対する苦痛を伴う行動は、パブリックな場で処理されるのである。暴力的ないじめは、直ちに警察に通報されるだろうし、緊密な関係が少ない場合は、コミュニケーション系のいじめの頻度も少なくなる。
しかし、「引きこもり」が成立する日本の方が、「引きこもり」の成立が出来得ない西欧諸国に比べて、社会的に考えると「やさしい」社会なのかもしれない。家族や地域の崩壊がこのまま進んでいくと、「引きこもり」の問題から、社会的暴力や薬物の問題に移行していく可能性もある。
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