死に際に起こる痛みや苦しみを別にすれば、死に対しての本当の恐怖は、自分の死後も世界は継続するのに、自分はそれを永久に見ることが出来ないこと、そして無の状態は、永久に続くことに集約されるだろう。この恐怖を紛らわすために、人間は二つの方法を考える。一つは、魂の存在を想定して空のかなた(あるいは草葉の陰)から、自分の死後も世界を見守ることが出来ると考えること。二つ目は、自分の死後には世界も消滅すると考えることだ。魂の存在を信じることが出来れば、死はあまり問題ではなくなる(せいぜい楽しみが減るだけだ)。日本人も意外に魂の存在を信じている人、あるいは信じようとする人が多いようだ。
自分の死後には世界も消滅すると願うのは、甚だ不穏当な考えである。もちろん、そのような現象は起こらない。しかし、自分の死後も世界は続いているよりも、死に直面した本人にとっては少しマシなのだろう。
人間(ホモサピエンス)は、エピソード記憶(自伝的記憶)を手に入れた結果、自分自身の死を、現実問題として突き付けられた。他人の死を見ることによって、それが自分にも起こり得ることを知るのである。エピソード記憶が生じたのは4万年ほど前だろうと言われている。この様な死の問題を回避するために、人間は魂という存在を想定した。魂は、肉体的な身体の消滅後も無くならず、死への恐怖を緩和するために便利な方法だったのだ。魂はその後、宗教に発展した。宗教は、世界中どの場合でも死後の魂と結びついている。しかし、近年になり、科学技術の発展は、魂の存在を否定せざるを得なくなった。世界が続いている一方で、自分の死について考える必要性を突き付けられる羽目になったのだ。甚だ厄介なことである。
魂の存在を抜きにして、この難問を解決することが出来るのは、唯一「無常」「無我」の考えを推し進めることだろう。「無常」の考えでは、世界は常に変化しているし、物自体も一時の休みもなく変化している。この考えは、現代人にも理解可能である。物理法則でも、エントロピーの法則は、「無常」の考えに沿ったものだ。人間は他の動物と同じように、元素から生じて元素に戻るのだ。問題は、自分を「無常」の範囲に含めることが出来るかどうかなのである。つまり、意識レベルでの「自我」が問題となる。アントニオ・R・ダマシオによると、意識は、「原意識」「中核意識」「拡大意識」と進化する。高等生物は、記憶を基にした、「拡大意識」を手に入れている。「拡大意識」は、記憶を基にして、「自我」を作る。眠った後も、麻酔から覚めた後も、不思議に「自我」は継続している。自分が存在し、それに対する世界がある形式だ。この様な、「自我」が発達したのは、生存に都合が良いからだろう(過去に自分が経験したことを自分の安全のために使うことが出来る)。その対価として、人間は「自我」の消滅に悩まされることになった。
「自我」が強い場合は、「無常」で世界は変化しても、それを考えている「自我」は変化しないことになる。つまり、自分は継続しているのだ。そして「自我」の死に対して、理解を超える結果になるのだ。「自我」を、もともと存在しないと、考えることが出来ないならば、自分だけが世界の他の現象と異なり、「無常」の適応を受けられないことになる。では、「無常」の適応を受ける「無我」を想定するには、どの様に考えればよいのだろうか。
「自我」は、個体の分裂を回避して、個体の統合を促すべく作られた。「自我」の解体は、精神病の際にも見られるが、個人がそれを意識的に行う場合には、「自我」を世界へ統合させる必要がある。周囲の環境と自分とを隔てている境界を消失させるのだ。これは論理的に行うことは、甚だ困難である。昔からいろいろの宗教は、大衆向けに分かりやすい考えを説くことと同時に、神秘主義的な行動も取り入れている。これらは、「瞑想」と呼ばれる。周囲の環境あるいは自然と自我が溶け合うことを理性で考えるのは難しい。それは、神秘的な感情レベルになるのだ。「瞑想」の訓練を繰り返し、自我と自然とが癒合して初めて「無我」が生まれる。「無我」の考えは、西欧人の間にも浸透し、「瞑想」は今や西欧人の知識階層で流行になっている。
「自我」は生まれつき、生存を目指している。なぜなら、「自我」はその為に生まれたからである。「自我」にとって、生存を継続することが至上の目的なのだ。従って、生存が脅かされる時には、それを拒否するために、「自我」は、あらゆる努力を行うことになる。その行いが人間にとっての苦悩を生むのだ。西欧において、キリスト教的魂が死後の救いにならないと気づき始めてから、死の問題は、すべての人に重い課題を問いかけた。「自我」の生まれつきの性質と、その性質のために生存に有利に行動が出来ること、そしてまた、その為に死の苦悩と向かい合わなければならないこと、以上の難題を人間は解決しなければならないのである。
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