現在の日本で起こっている多くの問題の背後には、ある考え方が横たわっている。
親による幼児虐待、女性に対するドメスティックバイオレンス、病気等の治療において本人自己決定が守られないこと、里親との養子縁組、社会保険の世帯分離、生活保護の決定、戸籍の問題など、社会においての多くの問題に対して、いったい「コミュニティ(家族)」か「個人」そのどちらを重視して、政策の基本とするのかについての問題が提起されている。
この場合、「コミュニティ(家族)」内は、プライベート空間と見なされ、パブリックな空間から切り離されている。例えば、家庭での幼児虐待は悲惨な現象であり、もっと早くに食い止める必要がある。その際には、従来行政や警察が「聖域」的にあまり介入しなかったプライベート空間である「家庭」への早期介入が必要となる。しかし、この様な介入は、今までの慣習である、「家庭内のことには行政が余り介入すべきでない」との考えを変える必要があるのだ。
家族は最小単位のコミュニティであり、そこでは、社会とは切り離された人間関係が存在することを、これまでは当然のこととされていた。家庭が「聖域」ではないことを前提としなければ、児童相談所も早期の介入が出来ない。つまり、旧態な考え方「理念」を変更する必要がある。
また、高齢者や障害者に対して支援を行う場合、家族が同居しているのだから家族に責任があり家族が援助をすべきであると考え、あるいは、公的な援助が基本になるのであり、家族は「好意」で援助を行う、つまり、社会一般の援助者と同格になるのかを問題とすべきである。
事件が起こった時に言われるのは、「理念」を問題にせず、「やり方」の改善である。例えば、児童相談所の介入方法の見直し、警察との連携などだ。しかし、個人単位で制度が営まれず、家庭というコミュニティをプライベート空間とみなし、社会の最小単位としている以上、介入の方法を多少見直しても、そこには限度がある。最終的には家族の意向が重視されてしまう。
この状態を変えるためには、もともとの「理念」つまり、考え方を見直す必要がある。この様な「理念」の変更が日本では難しい。それは、常日ごろは「理念」を問題にしていないことの表れだ。しかし、それにもかかわらず、それなるが故に、「理念」を変える際には、大きな抵抗を呼ぶ。日ごろ軽く見られる「理念」と、変更が難しい「理念」とは一見正反対のようであるが、その根元は一つだ。つまり、日ごろから「理念」についての議論がなく「理念」を議論する方法が見当たらないので、「理念」はたなざらしにして、ひたすら具体的対処法を検討する傾向が強く出ているのだ。いわゆるマニュアル優先社会である。
「コミュニティ(家族)」重視か「個人」重視かについての議論の中心は、「コミュニティ(家族)」を重視し社会の単位としての家族を置くか、又は、個人が社会の単位になるのかの問題である。さらに家族の意向と、個人の尊厳や安全とのどちらを重視するかの問題である。幼児や児童虐待の場合に、「個人」重視であれば家族の反対があったとしても、直ちに保護することになる。家族は空気のような存在になるのだ。それは、基本的な考え「理念」を変更した結果である。従来通りに「コミュニティ(家族)」を重視し、家庭の内部の問題として、最終的な判断を家族の人たちに任せる考えを継続する以上、マニュアルにて対処法を変えても、悲惨な虐待は収まらないであろう。
最近の傾向として、成人した子と親との同居も増えている。しかし、子供は親の所有物ではなく、社会全体のものであるとすれば、少しでも危険な家庭に子供を置くこと自体が考えられない。逆に子の親に対する暴力があれば、社会での個人対個人の法的問題として取り扱い、子が成人であれば通常の社会人として、司法の対象となるはずだ。
社会の単位を個人とすれば、その他の制度にも大きな変更を必要とする。戸籍、生活保護、医療介護保険の給付、医療行為の承認などで、制度的な変化を必要とするのだ。政府の考えは、社会保障費の減額を大きな目的としているので、家族の関与を「共助」という名前で推奨している。また、保守的な考えからも、家族の大切さを強調する。しかし、個人の権利や尊厳が不十分な日本において、個人の権利と義務とを明確にするためには、家族と個人との関係を見直す時期に来ていると考えられる。
※親が子に対する扶養義務を持っていることと、子供の権利とは共存することが出来る。扶養義務は利害関係の外にあり、子に対する親の関係は義務のみであって、権利は無い。
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