水村 美苗さんの「日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で」は、第8回(2009年)小林秀雄賞を受賞しているが、この程(2015年)大幅増補で待望の文庫化がなされた。小学校での英語の必修化が進んでいる現在、この本は今後進むべき考えを提供してくれる。
彼女は、言語を、「現地語」「国語」「普遍語」に分類している。「現地語」は、話し言葉が中心となり、世界中に存在する7000余りの言語は「現地語」だ。そのうえ、言語には方言も数多く含まれる。日本でも、ラジオ・テレビが普及する以前は、各地に方言があった。日本という地理的範囲に住んでいても、東北人と九州人とでは、会話が困難であった。同様に中国においても、各地の「現地語」が存在し、北京、広東、台湾、四川などの地域に使われている「現地語」での互いの会話は難しかったと言われる。
この様な「現地語」に対して、「普遍語」がある。それはヨーロッパでは、古くはギリシャ語であり、その後、ローマの支配に移るとラテン語がその地位を占めた。日本でも、平安期に「かな文字」が発達したが、「かな文字」は当時の話し言葉を漢語に当てはめて、簡略化したものである。しかし、教養人や支配者の間では、漢字を主にした文章を用いた。「漢語」はその意味で、東アジアの人々にとって「普遍語」だったのである。
この様な「現地語」や「普遍語」に対して、「国語」が存在する。「国語」の誕生は、18世紀からの、ナショナリズムの進展と共に生まれた。今でもフィリッピンなどでは、「国語」の普及率が低く、「普遍語」である英語も公用語として使われている。日本は、明治になって「国語」が作られたが、それまでの教育の普及と相まって、「国語」が一般化し、「国語」での文芸作品が数多く作られた。
一方で、グローバリゼーションの進展に伴い、「普遍語」である英語の使用が不可欠の分野があり、それに従事する人も数多く必要だ。英語が「普遍語」としての地位を固めるにつれて、世界で活躍する場合(政治的首脳外交や外国との商取引)には、通訳を介してではなく、英語で直接会話をする必要性が、以前よりも一段と高くなったのは確かである。自動翻訳が普及しても、直接対話の重要性は変わらない。しかし、日本での小学校、中学校での英語教育の目標となっているのは、精々、道を聞かれた時に答えられる会話ができる程度の英語力を目指している。日本語のように英語と文法が全く異なり、ましてや民族の交錯も乏しい地域において、日常的に英語を使うことが出来るようにするには、小学校、中学校の英語教育では困難であることは周知の事実である。英語の、特に会話能力を高めるためには、日常的に英語を使用しなければならない。
そこで水村さんは提案している。限られた人が(外国で活躍する人)が英語を使えればよいのであって、一般の人たちには、英語教育よりも日本語教育が必要なのではないかと。日本国民全体が一律に英語能力を高める必要性は乏しいのだ。「国語」として類のない発達を遂げた日本語は、その美しさを守るに値する。そして、地方の方言(現地語)も無くすべきではない。特に明治時代の日本語で書かれた小説を大事にしなければならないのだ。
従って、英語教育の現状は、「国語」としての日本語を亡ぼすようになされていることは確かであり、これ以上の日本語教育の縮小は止めなければならない(何らかの科目を拡大しようとすれば、犠牲になる科目が出てくる)。そして、英語教育は大学の講義を英語化する、あるいは、積極的な外国留学によって英語を将来使いたい人「のみ」が、英語能力を高めるべきである。何もしなくても、「普遍語」である英語が世界中に浸透している状態は、「国語」の危機である。日本が「国語」を英語化しない以上、現状の教育は改められるべきであろう。
例えば、一つの提案としては、小中高校では日本語の時間を増やして、英語の時間は一定に制限する。大学では、能力ある外国人教師の数を増やして、英語での講義を行う。講義が英語で行われている大学は数少ないが、講義が英語で行われれば、否応なしに英語力は上昇するだろう。それを受講するのは、限られた学生で結構だ。ただし、外国人教師は、あくまでも能力が高い教師を日本に招聘すべきであり、やみくもに外国人だからと言って招聘する必要はない。日本人教師は、日本語で講義をすればよいのであり、その点での軋轢は避けるべきだ。この方法をとれば、優秀な外国人教師による講義と、英語の習得が可能になるだろう。
※(道を聞かれた時に答えられるような会話ができる程度の英語力であれば、自動翻訳で事足りるので、今後英語の習得の意味は低くなる)
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