尊厳ある死-自分ならと考える。

「日本尊厳死協会」という会がありますが、そうした一般的な尊くて厳かな死という意味での尊厳死と言うまでもなく、人はその人となりのままに、自分が望む姿での尊厳ある死を迎えることが求められるのではないかと思っています。
そんなことを考えさせられるきっかけとなった患者さんのお話をさせて頂きます。

 

先日、ある病院から80歳代の方が転院して来られました。1年前に脳梗塞を発症され、その時点で既に高度の意識障害となっていて、この時点でお亡くなりになっていてもおかしくない状況でした。その後はいわゆる寝たきり状態だったようです。

入院先の病院で、しばらく居た後、型の如く「リハビリをしてもらいましょう」と、リハビリ専門の病院へ転院となりました。ご家族には、「リハビリをすると少しでも良くなるから」との説明があったと言われますが、元より、医学的には回復する可能性は少なく、送り出す方はお決まりの「ベッドを空けるため」の退院であり、次の病院では「部屋を埋めるため」の入院ということになります。

 

 

さて、予想通りに、次の病院では「リハビリをしたけれども効果はなかった」と言われ、意識の回復も、自発的な体動も戻らないままでした。ただ「リハビリをした」という医療者の満足(?)と、「出来る限りのことはした」というご家族の満足(本当に?)が残されただけで、虚しく時間とお金が使われていっただけでした(これが本音ではないでしょうか)。

この間、自分では噛むことも飲み込むことも出来ないため、いわゆる強制栄養を取らされていました。まずは、高カロリー輸液※1を行うために中心静脈カテーテル※2が内頸静脈から挿入されました。これで、一日に1000~2000キロカロリーの栄養が入ります。しかし、しばらくすると高熱が出始め、カテーテルの感染が疑われて抜去されました。次は、鼻から胃の中までチューブが送り込まれ、経鼻経管栄養(所謂流動食が送り込まれます)が始まりました。これは、見た目にも辛いのですが、やむを得ないと言う他ありません。

ちなみに、最近は例の「胃瘻」を望むご家族が何故か少なくなったと言われており、保険点数が半減したせいか医療者側も積極的には勧めていないようで、この方の場合も胃瘻までは造設されてはいませんでした。

 ※1:高カロリー輸液とは、普通に腕や足の血管(末梢(マッショウ)血管と呼んでいます)から行う点滴とは違って、高濃度でカロリーの高い点滴です。そのため、末梢血管から点滴すると血管炎を起こします。そこで身体の一番太く血液が多い血管である中心静脈までカテーテルを挿入して点滴します。
 ※2:中心静脈カテーテルとは、※1で説明した高カロリー輸液をするために使われる管(カテーテル)の事です。通常、鎖骨下静脈か内頸静脈から挿入されます。ここでいう中心静脈とは、解剖学的名称ではなく、こうした高カロリー輸液が行われるようになってから言われ始めたもので、心臓の右心房の入り口辺りで上大静脈と下大静脈が合流する辺りをそう呼んでいます。結果的に、体内でも最も太い静脈であり、血液も豊富なので、高濃度の輸液がすぐに薄まるということになります。
 なお、カテーテルの刺入部の管理は大切で、ここから、あるいはカテーテル内部からの感染が起こると、いわば心臓に入っているカテーテルですから敗血症のリスクがあり、高熱が出ることになります。そのため、悪くすると1か月ももたずにカテーテルを抜かなければならなくなります。

 

この方の場合、こうした経過中、一度も意識の回復は見られず、ましてや自発的な体動もさえなかったようでした。そして、そうこうするうちに、カテーテルを抜いたにもかかわらず、高熱が続くようになり、ありとあらゆる検査が行われ、結局、ストレスからの胃潰瘍の穿孔による腹膜炎と診断されたのでした。

何しろ、脳梗塞で意識が無いため、腹膜炎で起こってくるはずの腹痛の訴えは元よりなく、さらに筋肉の緊張も無いため腹部の異常所見も見られません。このため、腹膜炎の診断が遅れたようですが、診断が付いたからといっても手術ができるわけでもありません。

実は、「高熱が続く」といった時点で、リハビリ専門の病院から、所謂急性期を扱う病院への転院がなされていました。急性期を扱う病院ですから、当然、健康な方が病気になった時と同じレベルで検査がやり尽くされます。そして、何とか診断が付いても、この方の場合には、この方の役に立つというより、検査した医療者側の満足だけで終わることになります。そうして、当のご本人も苦痛を訴えられるはずもなく、何事も無かったかのように点滴による治療が続けられ、ただただ血液データで治療効果が判断されたということでした。

 

さて、そうこうするうちに、状態が悪化し、心肺停止の事態に陥りました。

しかし、しかしです。この期に及んでもなお、主治医となった循環器内科の医者は心肺蘇生を試み、意識も無い寝たきり状態の方に対して、元気な方が倒れた時と同じ様な濃厚な処置が行われ、「無事に心拍と自発呼吸を取り戻しました」と自慢げに当院への紹介状には、書いてありました。元より、この方の病状と経過を考えれば、一体何を考えてこうした処置をしたのかと疑問を抱かざるを得ないのです。現在行われている「人生の最終段階における医療とケアのガイドライン」の話(人生の終わりが近づいた時の行う相談についてのある種の取り決め、APC(Advanced Care Planning)と言われています)は全く無かったかのような流れであり、この病院での倫理とまでは言わないまでも、どういう指導系統で事が動いているのかという疑問、さらには人体実験宜しく心肺蘇生の技術を指導しているのかとでもいった疑問が湧いてきました。

 

そして、結局、当院への転院となりました。もはやする事が無くなり、興味の対象では無くなったからなのかもしれませんが、いつものパターンの「貴院でのご加療を希望されています」の書き出しの手紙が添えられていました。転院の当日、ご長男とご次男に会って話をした時の事、「病状について、どのような説明を聞かれていますか」と聞く私に、開口一番、「追い出されました」とご長男が言われたのが強烈でしたが、その一言がすべてを物語っているような気がしました。ただただ、「地元」というだけでの紹介だったようでしたが、最初に入院した地元の病院からは受け入れを断られて当院に来られた経緯もあってか、看病疲れからなのか、きつい一言が発せられたのでした。

 

今回の、この患者さんを診させて頂いていると、一医療人として、ただただ「生かす」ことに拘る医療が正しい事なのかという疑問が湧いてくるのを禁じ得ません(そのために、先に書いたガイドラインが作成されたはずなのですが…)。そして、この疑問を全ての医療人に持っていただきたいと強く願うばかりです。医者は、死亡確認をする役割を与えられた唯一の職業であればこそ、「よく送る」ということも大切な考えではないのかと、この方の無残な姿を見せつけられながら、そして疲れ果てたご家族の表情に接するにつけ、改めて感じさせられました。

 

こんなことを言えば、「人を助ける医者ともあろうものが何てことを言うのか」と恐らくお叱りを受けるのかもしれませんが、そうした方々には、この方の姿を見て頂いた上で、「あなたもこうした生かされ方をしても良いということですね」、「あなたのご家族も、こんな無残な姿になっても生かされていたいと思われるのでしょうか」と問いかけたいと思っています。もちろん、私は、自分がこんな姿で生かされることが分かれば、即座に「NO!」と叫ぶでしょう。病を得ることは致し方ないとして、「その時」が来た時には、自分なりの尊厳ある死を受け入れたいと切に願っています。(早速、エンディングノートにこのことを書いておくことに致しましょう。)

 

それにしても、この方の紹介状を書いた先生あるいはその上司に直接お会いして、話し合ってみたいものだと、半分怒り、半分呆れているところです。皆さんなら、ご自分がこのような姿になった時にはどうされたいと願うのでしょうか。一度、真剣に考えてみられては如何でしょう。

 

追記:この患者さんは、当院へ転院後2週間で亡くなられました。若い頃に教わった「患者さんが自力で治ろうとしていることや、静かに逝こうとされている邪魔をするな」との教えを思い出し、それに従いました。
かつて「(病院を)追い出されました」ときつい言葉を発しておられたご長男から「最期は穏やかな優しい顔で逝けました」とおっしゃっていただき、心の底から安堵しました。実際、お元気な頃の事は何も知らないままのケアだけに、辛いことでしたが、最期の最後に私も救われた気がしました。

 

さて、結局は、先の主治医にこんな話をしても、「きっとわからねぇんだろうなぁ…」ってことが、今回の最大の問題なのかもしれません。

今回の患者さんの話は、いくつかの経験を合わせたもので、特定の施設や患者さんの事ではないことをお断りしておきます。

 

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
岡山県倉敷市出身。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
以来、消化器外科、消化器内視鏡を専門として地域医療に取り組んでいます。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
「臨床外科」(医学書院)にエッセイ「1200字通信」を連載中。
2016年11月15日に短編小説集、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)を上梓しています。
2018年5月9日に「看取り請負人 死なせ屋ゴンがゆく」(ルネッサンス・アイ社)を新たに上梓しました。
日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、日本消化器内視鏡学会指導医、日本大腸肛門病学会指導医、日本消化器病学会専門医、
がん治療認定医、日本医師会産業医、ICD認定医、三重県警察医ほか。
趣味は映画、読書、クルマ。小型船舶1級免許取得。
岡山県倉敷市出身。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
以来、消化器外科、消化器内視鏡を専門として地域医療に取り組んでいます。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
「臨床外科」(医学書院)にエッセイ「1200字通信」を連載中。
2016年11月15日に短編小説集、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)を上梓しています。
2018年5月9日に「看取り請負人 死なせ屋ゴンがゆく」(ルネッサンス・アイ社)を新たに上梓しました。
日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、日本消化器内視鏡学会指導医、日本大腸肛門病学会指導医、日本消化器病学会専門医、
がん治療認定医、日本医師会産業医、ICD認定医、三重県警察医ほか。
趣味は映画、読書、クルマ。小型船舶1級免許取得。
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