人生の終わらせ方‐終活の勧め

これまで” Opinions “には、高齢者医療に関して、現場で日々直面していることを中心に書き起こしてきました。そして、私が65歳を越えた今、幾ら人生100年時代と言われても、そろそろそうした問題を己自身のこととして考えておく時期が来たのかなと感じています。

先日、あるセミナーに向かう電車内でのことです。若いご夫婦が乗ってこられました。パパが赤ちゃんを抱いていて、ママが赤ちゃんの顔を覗き込むようにあやしていました。そんな仲睦まじい風景を観ながら、30数年前に娘を抱いていた自分の姿を思い出し、思わず笑みがこぼれました(変なおっさんと思われたかも?)。と同時に、既に己の人生における一定のサイクルが回ってしまっていることに気付いたのです。広辞苑によれば、おおむね30年をもって一世代とするようですので、まさに十分な時間が過ぎ去ったのだと実感させられました。

「フーッ!」とため息をつきながら、車窓の風景に目を移したものの、頭の中には、65歳の誕生日を前に買っておいたエンディングノートが浮かんできて、そろそろ書き始めなければと焦りにも似た感情が湧きました。

 

ところで、自分の思い描く最期とは?
案外、自分自身のこととなると難しい問題ではあります。ただ、ここで言う「最期」は、まさに息を引き取る「臨終」の時ではなく、現時点からその臨終に至るまでの、最近言われ出した「人生の最終段階」に向かっていく過程の事とすると考えやすいのではないかと思います。まさに終活※の始まりといったところです。

※出所は定かでないようです。就職活動を就活と短縮して呼ぶのに倣って、終末活動、終焉に向けての準備活動を略したものと思われます。

この答えを求めて、ここ数か月間に収集してきた「死」に関する本を読み返してみたり、新たに資料を集めてみました。結局は、「いかに死ぬるかは、いかに生きるか」に集約されているように思えてきました。勿論、この問題の答えは、生きる時代によっても違ってくるはずでしょうが、他者の人生を生きることや別の時代を生きることは出来ないのですから、今の時代を生きている自分の、あくまで個人的な考えであり、望みとしての、しかも現時点での答えである旨をお断りしておきます。

 

さて、これからの自分の行く先を現実的に考えた場合、幾つかの区切りがありそうだということに気付きました。仏教で言うところの「生老病死」に当てはまるのかもしれません。ともかく偶然にも「生」を受け(そもそもこれが苦労の始まりなのだそうです)、ここまで何とか生きてきて、まずは「老い」を受け入れなければなりません。ただ、この「老い」と「病」の兼ね合いが問題で、健康に老いてゆき、短時間の「病」で「死」に至るのが理想的ということになります。「病」無くいわゆる「老衰」として「死」を迎える場合もあるのでしょうが、多くは「病」が「老い」の前か後ろに寄り添うように付いて来るのではないでしょうか。そして、その「病」と折り合いを付けながら生きていき、「老い」てゆく時間を過ごすことになります。

 

ここまで考えてみると、「死」から逆算して「今」を考えるのが良さそうですし、現実的なようです。そうしてみると、前にも書きましたが、一般的には現代が「死を忘れた時代」であることに思い至り、それが終活を難しくしている元凶であると考えられます。一方で、幸か不幸か、自分は「死」を日常的に扱う医師としてこれまで生きてきたわけですから、この経験を生かさない手はないはずです。(とは言っても、自分のこととなると難しいのが本音です。)

さて、人はこの世に生を受けた瞬間から、いつ来るかわからない「死」へ向かって歩み続けなければなりません。これは、ある意味理不尽で、どんなに努力をして(そうした基準があるのかは不明ですが)良い人生を送ろうとも、結局は、当人にとっては、すべては無に帰するという矛盾を受け入れなければならない覚悟が必要になってきます。そして、いつかは来る「死」を受け入れる覚悟さえできれば、「その時」までを、満足出来るように、あるいは悔いを残さないように生きてゆけば良いのではないかという考えに至ります。古来、何人もの哲学者や偉人たちが語ってきたことも、こうした覚悟をいかに作るのかということに尽きるのではないでしょうか。

 

ガンジー氏は” Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.(明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい) “とおっしゃっておられます。これに倣って言わせてもらうと、「いつ死んでも良いように、今を全力で生きましょう。自分がいなくなった時、次の世代に引き継ぐことが出来る何かを残しましょう」というメッセージになりそうです。

 

こうなると、いわゆる肉体的「死」を意識しつつも、そうした現実的な「死」を忘れることが出来そうに思えてきます。まさに「今、目の前の生を受け入れる」ということになるのではないでしょうか。

 

ここまで考えてきて、少し心が安らぐ気がしてきています。私は、哲学者でも精神論者でもありませんが、これが40年間の医者生活を経た現時点で辿り着いた一つの「答え」だと思えています。

 

今回の「自分の死(というか、行く末)」を考える機会を得たことで、残りの時間を充実させていきたいという前向きな気持ちが生まれたのは確かです。「いかにすれば良く死ねるか」と考えることは、まさに「いかに今を良く生きるか」の裏返しであるようです。

※改めて「死を考える」というと、最終の「臨終」を迎える場面が浮かびますが、こうして考えてみると、それはほんの一部のように思えてきます。最期の時を、あるいはそれに至る人生の最終段階を、病院で迎えるか自宅で迎えるか、さらには心肺蘇生をしないで欲しいのか等の実務的な問題は、日頃からの家族との会話で自然に答えが出てくるのではないかと感じています。これは、極めて個人的な問題ではありますが、実は遺される家族にとっては大きな問題であるため、ある時点で共通の話題として話し合っておく方が良いかもしれません。また、自分の希望を伝える意味では、先に書いたエンディングノートの活用も良いのではないでしょうか。

 

さて、この問題、皆さんはどんな答えを用意されているのでしょうか。また、数年後に、その年齢での答えを探してみませんか。私も、新しい答えが見付かった時には、また” Opinions”に書かせて頂きたいと思っています。

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
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