第二次世界大戦後のいわゆるゴールデンエイジ(戦後の復興と経済成長が高かった時代)を経て、世界的に経済の停滞が見られるようになった1972年、ローマクラブは有名な「成長の限界」を発表した。内容は、資源の有限性から考えると、経済の成長は人口増加や環境汚染などによって100年以内に限界に達するというものだ。これらは、マルサスの「人口論」に基づき、「人は幾何学級数的(2→4→8→16・・・・)に増加するが(つまり、2人の夫婦が4人の子供を作る場合、それを繰り返すと倍数的に増加する)、食料は算術級数的(2→3→4→5・・・・)にしか増加しない」との考えに基づくものである。特に地下資源である石油の採掘は近い将来限界に達するであろうと考えられた。
しかし、この考えは結果的に間違っていて、石油は価格が上昇するに伴い、新規の油田の開発が進み、今や供給過剰の状態となっている。また、危惧された食料生産も、肥料の改良や品種改良によって、現在の人口を賄うことが出来る状態となっている。
ところが、成長の限界は、今日違った意味を持っている。先進国の経済は今では軒並み低成長にあえぎ、人口増加ではなく、むしろ、人口減少が問題となって、資源や生産物は供給過剰となっているのだ。では、経済は成長しないのだろうか?それとも、再びかつての様に力強い成長を取り戻すことが出来るのだろうか?この疑問を解くためには、経済分野の考えのみでは答えを出すことは不可能である。例えば、日本が成長を取り戻すためには、金融システムの改善、企業統治、政府の関与、資本市場の自由化などの経済的方法を考えるが、それらは本質的な問題解決とはならない。では、新自由主義がもたらした所得格差が問題であり、所得の標準化によって新たに需要が生まれ、成長が促されるのだろうか?もしかしたら多少の改善はあるかもしれない。しかし、その事が本質でないことも確かだ。1990年からの経済の低迷に対して、「失われた10年」「失われた20年」などと言われているが、もうその期間は30年近くになる。一時的な低迷でないことは確かである。だが多くの人は一時的な低迷との前提で考えようとする。
組織に例えると、会社の業績不振は、本質的な問題(会社が行っている事業自体が社会で必要とされているかどうか)と、一時的な問題(マネジメントのまずさ、景気の一時的後退)とに分かれるが、当面の業績を立て直すには、一時的な問題(マネジメントの方法)に集中して改善を行わなければならない。しかし、本質的な問題への思考も大切だ。同様に日本経済の低迷を考える際には、一時的な経済運営の問題(マネジメント)ではなく、先進国経済の本質的な成長の限界を明らかにする必要もあるのではないか。
それは、計数的な経済的視点よりも、社会的な視野に立った思考が必要となるだろう。そして、新人類(ホモサピエンス)が20万年前に生まれて以来、生き物としての生理的欲求を満たすことを目的とした生き方から、新しい生き方を選択する過程となるに違いない。要するに、人間の基礎的欲求はすでに先進国においては満たされたと考えると、現在の成長を担っている分野の性格が明らかになっている。
経済の成長は、資本主義の導入によって解放された人間の基本的欲求を満たすことであるとすれば、すでに基本的欲求が満たされた時代において、さらに経済が成長する余地があるかどうかである。確かに、成長の原資となる資源や食料生産は今以上に伸びる可能性はあり、発展途上国は、かつて先進国が歩んできた道を、資本主義的欲求を基にして追求していくだろう。この過程では、資本主義は最も有効な手段になるに違いない。先進国と発展途上国との豊かさの差は、現在急速に縮まってはいるが、この傾向はさらに強くなるだろう。発展途上国は、農業の改良に着手して労働集約的な産業、そして、IT産業と順に技術を獲得していくだろう。
一方で、先進国は、人々の持つ欲求を基にしたかつての資本主義的な原動力を使うことが出来ない。基本的な欲求はすでに大半が満たされているので、これ以上の成長を求めることは、供給側の新しい需要の掘り起こしに期待するほかはない。新しく作られた需要は、それ自体が人間の基本的欲求に基づくものではないので、作り出すことが難しく、また、作る出す必要性も乏しいものとなるだろう。これこそが、成長の限界を示すものである。
先進国においての成長の限界は、資源的なものではなく、人間社会が苦労して作り上げた成果によって制限されるのだ。成長をさらに求める場合は、この様な状態をどの様に見るかによって決定される。貪欲なまでの欲望をさらに追及していくのか、あるいは、欲望をある程度控え、成熟した人間社会を作ろうとするのだろうか。考えてみると経済成長が当然と思われた時代は、人類の20万年の歴史上の200年は極めて短い期間である。成長が無い時代の方がはるかに長いことを考える必要もある。
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