IT化の進展が人間社会の未来を決めると思われているが、IT化はその手段であって、進化を左右する考えは分業化にあると言っても良いくらいだ。分業化が人間の暮らしを向上させたことについて異議を挟む人はいないだろう。分業化は人間の生活を「便利」にするために大きな役割を果たすのである。
人類が発生し、進化を遂げていく過程で「分業」が始まった。完全な自給自足社会からの変化である。完全な自給自足社会では、衣食住のすべてを自前で供給しなければならない。衣服は、自分たちが捕獲したトナカイの皮で作り、住居は、近くの木を伐って小枝を集めてその上に泥を塗って作り、食べ物は自分たちが狩猟採集したもので賄っていた。しかし、獲物を捕る道具を自分で石を使って作ることと、もっと上手に作れる人に依頼して作ってもらうこととの間には、獲物の収穫に大きな差が出てくるだろう。その為に、道具を作ってもらったお礼として、獲物を提供する方法が分業の始まりとなった。不慣れな道具作りに時間をかけたその結果、獲物が少ないよりも、上手く作れる人に依頼して、良い道具で獲物を多く捕り、作ってくれた人に獲物の一部を提供する方が、合理的である。道具を作る人にとっても、自分で狩りを行うより、狩りを行った人から食物を得る方が合理的であると思うのは当然であろう。
翻って考えると、今までの生活において分業化が大きな役割を担っていたのは、物の生産に関する分野である。これに対して、近年進行している分業化は、サービス業と呼ばれる分野で行われている。それは、暮らしそのものの分業化と言っても良い。ただし、物の生産についての分業化は暮らしを豊かにするが、サービス業、つまり暮らしそのものの分業化は、暮らしを楽にすると同時に、生活習慣自体に、また倫理観にもより大きな影響を与える。例えば、老親を抱えた中年世代の女性は、親の介護、家事、夫の世話、あるいは子供の支援など、一人で様々な作業を行っている。例えて言えば自給自足の生活だ。このような状態から、介護を社会化し分離することによって、女性の仕事の一部を分業化した。その結果、女性の社会進出を手助けし、暮らしの自由を向上させたのである。対称的に旧来の倫理観(子供が親の面倒を見ること)は変化した。
ところで介護の分業化は、その作業についての「規格」を必要とする。多人数の人が関わり、一定水準の結果を出すために必要だからである。介護の社会化(分業化)に伴い、一般性を取り入れるために、個別性がなくなった介護は、障害を持つ高齢者を分類(規格化)し、その等級によって援助の形態をマニュアル化していった。その結果、認識の一般性は高まったが、反対に個別性は消失した。例えば、認知症も分類(規格化)の結果、一般的な認識が深まった面もあるが、他面ではさらにスティグマ化が進んでいったのである。
同様に考えると、育児の分業化も理解できる。育児は母親の欠くべからざる仕事と見なされていて、いわば母親そのものと言われていたほどである。分業化の始まりは、保育の実施である。母親が現金収入につながる仕事をして、その間に他者が子供の面倒を見ることは分業化の始まりである。保育の分業化は成功体験に後押しされ、さらに進行していった。子供を預かるだけであった保育が教育を行い、しつけも担当する。同時に、各種の塾が、スポーツ、勉強、習い事を親に代わって行うようになった。子供自体の価値を上げるために塾に通うことが動機であるが、その過程で分業化はますます進んでいった。
育児も分業化が進むと、仕事を他者が分担するので、さらなる規格が大切になる。規格が不明確になると、分業の結果について成果が測定できないからなのだ。その結果、工業製品の規格と同じように(工業製品を一貫生産でなく分業化すると、分担した部品の規格が大切になる)、各種の塾は一定の規格に沿った物差しで子供の能力を判定するようになる。学力についてはIQで、運動能力は体力測定などである。そして、その後のプログラムもその規格を満足する目的に沿って施行されるのである。
介護や育児の分業化は、従来家庭内で行われていた作業の社会化を促すので、社会化に伴って基準が生まれる。暮らしのやり方は、個人ごとに異なるが、その暮らしが基準化されるのである。工業製品の基準化は、製品の質を上げる作用があるが、暮らしの基準化は個別性を失わせ、その結果人間の多様性を失わせる。
社会生活において分業化が徹底すると、人々は規格に沿って行動することになる。現在進行している暮らしのIT化は、暮らしの基準化である。例えば、天気予報に従って勧められる服装を整えたり、健康機器が測定した体の状態に沿って行動したり、子供の教育やしつけは個人ごとに行うのでなく、何らかの測定基準に従って行うようになる。AIの進化は、これらを促進する。
この様な社会の到来は間近に迫っている。我々は、単に「便利だから」という理由のみで、分業化を推進し、基準通りの生活を行うか、あるいは、個人の意思に沿った生活を個性的に行うかどうかの岐路に立っていると言える。
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