医師の役割ー患者の治療か?公衆衛生の向上か?

医師法 

いきなりで恐縮だが、皆さんは医師法という法律をご存知だろうか?どの法律もその最初の方に、そもそものことが書いているが、医師法もご多分にもれず、第一条に、「医師は、医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする。」とある。

 

医療と保健指導
医師法によると、医師のとりあえずの役割は、医療および保健指導を掌ることである。医療は診断や治療を指しているのであろうが、保健指導は、保健師さんの仕事のようにも見える。「塩分は控えましょうね。」とか、「運動が大切ですよ。」などと患者さんの健康に対して良いと思えることを教えるには、保健指導が相当するように思われるが、これとて、高血圧の食事療法あるいは、糖尿病の運動療法といった治療の一部とも言える。やはり本来の保健指導は、患者ではなく一般住民(病気ではない人)に対して、疾病予防、健康維持、健康増進の目的で、そうした食事や生活習慣について指導を行うことと捉えるべきであろう。

公衆衛生の向上と増進

さらに、その医療と保健指導を通じて公衆衛生の向上と増進に寄与することが、医師の役割である。向上と増進の違いは、平均よりも低いものは並にするのが向上(improvement)、平均よりもよくするのが増進(enhancement, promotion)ということで連ねて書いてあると思われる。いずれにしても、公衆衛生が良くなるように努力することが医師の役目である。国民の健康な生活を確保するのが最終目的であるはずだが、全文を読むと、いつの間にか医療が後景にぼんやりとかすみ、医師の役割は公衆衛生の向上と増進であるように思えてしまう。

医師の一番の仕事は公衆衛生?
知り合いの公衆衛生学者(医師免許あり)は、講義や講演で必ずと言っていい程この医師法第一条を持ち出し、医学生や医師に対して、「皆さんは、医師法を読んだことがありますか?皆さんの役割は公衆衛生の向上だとそこに一番に書いてあるのですよ。皆さんは、そのために仕事をしているんですよ。」と彼らの常識を破壊している。

しかし、医師の大半を占める臨床医の日常から考えると、医療(患者さんの病気を治すこと)が、結果として公衆衛生の向上のつながることはあっても、保健指導を掌ることによって、直接公衆衛生の向上や増進に寄与している実感は余り無いはずである。

もちろん、保健所に勤務する医師が、保健指導を通じて公衆衛生の向上に努めるのは、それはそれで医師の役割の一つではあろうが、それも臨床医の仕事だと言われると違和感がぬぐえない。

憲法25条と医師の役割
ちなみに、最後の「もつて国民の健康な生活を確保する」という文言は、憲法25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」に対応している。さらに同条の後段で、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」つまり、国民には健康な生活を営む権利があり、一方国はそれを保証する義務があるのである。この後段の公衆衛生重視が、医師法の第一条にも反映している可能性がある。つまり、国民が健康な生活を送るために医師には、公衆衛生の向上を図る役割があるということになる。

ワクチンの個別接種と臨床医
保健指導はともかくとしても、臨床医が直接的に公衆衛生の向上の関わる場面は少なくない。ワクチン接種はその最たるものであろう。現在の予防接種の基本は医療機関における個別接種である。患者の医学的背景をよく理解している かかりつけ医だからこそ、ワクチンを接種する際にも、総合的な医学判断ができるというメリットがある。その一方で、一般の外来診療(ここまで論じた医療)との区別が付きにくくなる。

肺炎球菌ワクチンはなぜ必要か?
肺炎球菌ワクチンは市町村の助成や、TV等での積極的な啓蒙活動も奏功し、接種を受ける高齢者が多い。では、高血圧でかかっている患者が、「先生、市から通知がきたけど、肺炎のワクチンは受けた方がいいかなぁ?」と尋ねた際に、「それはそうですよ。絶対受けた方がいいですよ」と全員の医師が答えるだろうと思われる。「副作用が心配なんだけど」と言われたら、「でも、もし肺炎になったら命に関わりますよ。予防に勝る治療はありません」と答えるだろう。このように、患者さんにとって良いことを患者さんに勧めるのは医師の役目である。生命倫理の4原則の中の「善行」義務である。

パターナリズムとインフォームド・コンセント
しかし一方で、臨床の場面では患者がワクチンを拒否した場合、どこまで強く患者にそれを勧められるであろうか?これががんの手術だったら、患者が「手術は受けたくない」と強く抵抗する場合、いくら患者のためを思っているからといって過度に手術を勧めることは、悪しきパターナリズム(父権主義)として、指弾される時代である。インフォームド・コンセントという概念は医療現場に浸透しているが、要は、患者がよく考えて、自発的に同意しない限り、いくら良い治療でも、医師がそれを強制することはできないと言うことを意味している。恐らく外来の場面では、ワクチンは受けたくないと言われたら、「それはしかたありませんね」で終わると思われる。

集団免疫の獲得(社会防衛)
実は肺炎球菌ワクチンの位置付けは、個人の疾病予防、重症化予防であり、集団免疫の獲得は目的とされていない。では麻疹ワクチンのように集団免疫の獲得、ひいては社会防衛を目指している場合はどうであろうか?その際に医師が公衆衛生の専門家として振る舞うなら、相当強い強制を行うべきであろう。少なくとも肺炎球菌ワクチンの拒否と同じレベルで引き下がるわけにはいかない。該当する小児科の医師は特にそうであろう。

再び医師の役割について
医師法を忠実に守り従うなら、集団免疫の獲得のためにワクチン接種を強制に近いぐらい、強く勧めるべきである。しかし、患者の自己決定権を何よりも重視する臨床の現場に身を置いている大半の医師にとって、あなたの一番の役割は、公衆衛生の向上であると言われても、「ハイ、そうですか」という訳にもいくまい。患者(麻疹の場合は親)に強く拒否されたら、引き下がってしまだろう。個人の権利(自己決定権)を最重要視せざるを得ない臨床医に、公益(公衆衛生の向上)を守る役割を同時に課されても、その両立はなかなかに困難なように思われる。

岡山大学大学院保健学研究科 副研究科長 教授齋藤 信也
1983年岡山大学医学部卒業。1987年岡山大学大学院医学研究科修了(医学博士)。
米国ネブラスカ大学外科客員助教授、厚生省中国四国医務局医療課長等を経て、2001年岡山大学医学部講師、2003年高知県立高知女子大学教授、2008年から岡山大学大学院保健学研究科教授(現在に至る)。
2015年から2017年まで医学部副学部長、2017年から保健学研究科副研究科長。
1983年岡山大学医学部卒業。1987年岡山大学大学院医学研究科修了(医学博士)。
米国ネブラスカ大学外科客員助教授、厚生省中国四国医務局医療課長等を経て、2001年岡山大学医学部講師、2003年高知県立高知女子大学教授、2008年から岡山大学大学院保健学研究科教授(現在に至る)。
2015年から2017年まで医学部副学部長、2017年から保健学研究科副研究科長。
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