ポピュリズムが横行し、いわゆる共和的政治形態が危うくなっている。現代の共和的政治形態とは、民主主義を基礎として急進的な改革ではなく、斬新的な改善を常に図ることによって、多くの人たちを幸福にしたいとする考えである。経験的に得られた知識からすると、社会が幸せになるためには、常に保守的で斬進的な改善が有効である。その為には、指導層の努力と共に、国民みんなが努力する必要もある。社会の問題を誰かのせいにして解決しようと考えるべきではないのだ。
フランシス・フクヤマは、「歴史の終わり」を1993年に著した。その後、「政治の起源」及び「政治の衰退」で、国家に必要な最低限の条件を述べている。彼は「歴史の終わり」で民主主義の勝利を高らかに宣言したが、その後、フクヤマの予想とは異なり、民主主義は危うくなっている。例えば、タイにおいては政権側が国家財政を無視し、民衆に対してバラマキ政策を行い、選挙では常に優勢を誇っていた。これに対して、軍はクーデターを起こし、民主的に選ばれた内閣を打倒した。民主主義は崩壊したが、果たして民衆に迎合し、国家財政を無視する「民主的」政府で大丈夫だったのかどうかについては、疑問が残る。
エジプトでは、民主的選挙によって選ばれた政権が宗教的制約を課し(イスラム教優遇策)、非民主的な政策を行った。結果的にこの場合も、軍のクーデターを誘発したのである。民主的に選ばれた政府による極端な宗教政策か、非民主的な軍政かは、難しい選択だ。また、一度は民主主義的な政府が出来たかに思われた東欧諸国も、その後、独裁的な政権が「民主的」に誕生しているようである。この様に、民主的制度がその国にとって、より良く機能するかどうかに対して疑問が生じている。
フランシス・フクヤマによると、本来人間の本質は、①自己の遺伝子を守ること、②互恵的な関係を取り結ぶこと、この2つである。①自己の遺伝子を守るためには、自分自身及び血縁者を重視する事であり、②互恵的な関係とは、何かをもらうとその代わりに何かを与える関係である。この様な基本的本質には、公共的な考えは入っていない。しかし、多くの人間が自分自身の欲求を満たすことのみを追求すると、結果的に望んだこと自体が実現されないことから、公共的考えは、個別の本質(欲求)を超越した理念を必要とする。例えば、自分の欲求を満たそうとすれば、他者の欲求とぶつかる。それは、個別の解決方法も考えられるが(互恵的な関係)、さらに超越的な理念(一般的ルール)を導き、それに多くの参加者が同意することによって、個別的でない一般的な法則が導かれる。これが、法による支配につながる。
人類学者のエルマン・サーヴィスは、社会進化の4つのレベルを、バンド、部族(トライブ)、首長制、国家に分類した。その中で、狩猟採集生活の基本であった100人以内の集団であるバンド社会の場合は血縁重視の考えが当然とされた。そして、それよりも大きい集団である部族(トライブ)社会が成立した場合も、遺伝子の保持(血縁重視)と互恵的関係で結ばれる社会の原則は守られるのである。結果的にこれらの社会は、血縁によってまとまった社会である家産制国家だ。
さらに大きい首長制社会あるいは国家に移行しても、血縁を重視する傾向(政治指導者が持つ官僚任命などに関する絶大な裁量権)は存続した。これに対して、互恵的関係を主体とする社会もある。互恵的関係では、人から受けた好意に対してはお返しをするという社会的交換が当然と考えられ、恩を受けるとお返しをする社会である。特に互恵的関係は民主主義と大きな関係を持つ。すなわち民主制自体が互恵的関係を内包しているのである(民主主義は選挙で選んでくれた人に有利な政策を行う)。
この様な血縁重視や互恵的関係を基にした社会と拮抗する方法として官僚制がある。中国では秦の時代に官僚制が出来て、それまでのバンド社会、部族(トライブ)社会にある、血縁重視や互恵的関係からの決別が行われた。しかし、人間本来の性向である自己の遺伝子を守ること、互恵的な関係を取り結ぶことからの離脱は簡単なものではなく、何回も引き戻される事態が起こった。
官僚制は古くから存在したが、中国以外の場所では大きく発展することはなかった。産業が発達して中間所得層が増加した後に、民主制が進展するが、民主制が発達する前に、官僚制が出来ている方が歴史的には望ましい。何故なら、中立的な官僚は、民主主義の血縁重視や互恵的関係の弱点を補うからである。しかし、自律的な官僚は、政治から官僚が保護されると、志の高い行政を行うことが出来るが、一方で、官僚制はその地位が安泰ならば、官僚自身の利益のために動く傾向も生む。すなわち自分自身の保身のために動くようになる場合もある。
過度の民主主義は互恵的関係を引き起こし、ポピュリズムを生み出す。これに抵抗するのは官僚であるが、過去の歴史からは、優秀な官僚も一時は政治の互恵的関係に抵抗できるが、長い目で見ると、やはり、民主主義の両面を国民自身がどの程度深く理解しているかによって政治は左右される。「民主主義は最悪の政治形態らしい。ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが」。このウィンストン・チャーチルが述べた言葉のように、当面の選択肢は民主主義以外には無い。その為には、現在の日本では行われていないが、幼い時からの徹底した民主主義教育こそが政治の間違いを正す原動力になるのだ。
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