はじめに
平成25年度、岡山大学に生殖補助医療技術教育研究(ART)センターが誕生してから5年が経過した。この間、多くの方にご注目を頂き、今年度より文部科学省から基幹経費化が認められ、念願の事実上の永続化が決定した。本誌に記事掲載の機会を頂いたので、当センターの取り組みと課題を記述したい。
世界一の不妊大国ニッポン
内閣府「少子化社会対策白書」によると、先進国の中で日本・ドイツ・イタリアの少子化は深刻で、18歳人口は2016年現在の119万人から2030年に101万人、2050年に73万人へ減少すると試算されている。また、内閣府「子供・子育て白書」によると、我が国女性の平均初婚年齢は29歳を、第1子出産時の母親の平均年齢は30歳をそれぞれ超えており、晩婚化と晩産化が止まらない。30歳代後半から女性の生殖能力は低下すると指摘されているので、我が国の女性が子を授かれる時間的ウィンドウは年々短くなっている。女性の社会進出や活躍は歓迎したいが、残念ながら、この社会的要因や環境要因により、子を授かりたいと願う夫婦が不妊治療(生殖補助医療:ART)に頼るケースが急増している。日本産婦人科学会の集計ではARTによる出生児数は年間四万六千人を超え、実に全出生児の21人に1人の割合に達している。即ち小学校のクラスに1人以上ARTで授かった子がいる計算になり、その数は今後も増加する。我が国は、治療周期数やART施設数共に世界一の不妊大国である。
ART技術の国家資格は未だ整備されていない現状…
ART施設で、医師が患者から回収した卵と精子を用い、顕微授精などにより受精卵を作出し、女性患者の子宮環境が整うまでの期間、それを凍結保存するなどの作業に携わる技術者を生殖補助医療技術者(胚培養士)と呼び、その技術者には絶えず高度で最新の技術力と専門知識、チームワークスキルが求められる。しかし、ARTのニーズが急速に高まったことや技術的バックグランドから、現状として臨床検査技師による代用や農学系応用動物科学専攻の卒業生が抜擢されているが、ARTに必要な技術や専門知識他を、高等教育機関で体系的に学んだ者はいない。また、ARTに携わる技術者については、日本卵子学会が授与る民間資格(胚培養士)等が存在するが、それは業務独占・名称独占資格ではない。医師の指導下といえども、ヒトの生殖細胞を操作処理し、多くの場合、卵に直接針を入れる技術者が国家資格や業務独占・名称独占資格でないことが将来的に問題視される可能性はある。
ARTセンター設立の経緯
上述状況下で、保健科学系学生は、在学中に医学や医療の専門知識・スキルを学ぶが、ARTに必要な技術を習得することはない。一方、農学・畜産系学生は、ARTに必要な技術や専門知識を学ぶことがあっても、医学や医療の専門知識やスキルを学ぶ機会はなく、ARTに必要最低限な技術や専門知識他を体系的に学ぶカリキュラムの構築が待望されていた。
こうした中、岡山大学では、平成23年度から我が国のART技術者養成に高等教育機関がどのように関わるべきかを、医学部保健学科と農学部の教員で検討を始めた。翌年、学内措置経費にてARTに必要と思われる両学部の開講科目を精査して、特別コースを試行的に立ち上げた。さらに翌25年度から文部科学省の概算要求事業として立ち上がり、同年には正式にARTセンターを設立して各種事業を開始した。平成30年度からは基幹経費化に移行し、実質的永続化が決定した。
ARTセンターの活動と課題
ARTセンターでは、学部および大学院レベル双方にキャリア養成特別コースを設置し、それぞれ農学系および保健学系の開講科目と、当センター独自の開講科目を合わせた特別コースカリキュラムを提供している(生命倫理学や遺伝学、感染症知識を含む保健科学基礎、発生工学、生殖補助医療学、基礎技術習得実習、チーム医療体験実習、インターン実習などを含む)。今年度は合計71名が履修するなど、大変な人気で選抜試験を実施するほどである。ところが実習の中に個別指導を必要とする事項が含まれているので、その教育効率の改良が課題となっている。
またARTセンターでは、技術者の養成だけでなく、医師を含む現役生殖補助医療者へのリカレント教育や、中学生など次世代へ向けたARTの現状や職業周知のための活動など、広くARTを知ってもらうための活動も行っている。
研究面でも、医農連携プロジェクトが既に幾つか立ち上がると共に、異分野共同研究チームが形成されつつある。内容によっては大学の倫理委員会の審査だけでなく、日本産婦人科学会への申請・承認を得なければならない程の積極的な研究を行っている。さらに、欧州連合(EU)の研究助成プログラムであるEU2020ホライズン計画の生殖健康科学領域プログラムでは、アジアから唯一のパートナーとして加わり、国際ネットワークの構築と国際的な教育・研究拠点化が進んでいる。今後、本センターを国内のART関係者に積極的に解放して、活発な共同研究拠点とすることを志向している。利用者の増加とARTに関する様々な研究の進展を期待したい。
ART技術の標準化に向けて
また、日本全体におけるART技術の標準化に向けて、その整備にも取り組んでいる。我々のような高等教育機関が、ART技術者の養成に取り組む場合、さらには現在の民間資格の国家資格化を目指す場合、ある程度標準化された生殖補助医療技術教育カリキュラムや教育ノウハウの共有が必要となる。そこで、本学と国際医療福祉大学や近畿大学とで準備会を組織し、平成29年度に「生殖補助医療技術教育カリキュラム標準化懇談会」を設立した。今後、この場を中心に標準化カリキュラムの調査・開発・普及・改善が進み、より多くの高等教育機関がART技術者の体系的な養成教育を実施し、ARTに必要な技術や専門知識等のレベルがより向上することを願っている。
終わりに
ART技術者の役割は、子供を授かりたいと願う患者の貴重な生殖細胞を預かり、受胎可能な受精卵を作出・返却する非常に重要な役割を担っている。また、ART技術の発展は目覚ましく、今後も益々その業務は高度化・多様化することが予想される。高等教育機関によるART技術者養成のための教育体系の普及や国家資格化の議論が待たれる。
岩垣博己・堀井城一朗・矢野 平の記事を見る
田中 共子の記事を見る
石田篤史の記事を見る
松山幸弘の記事を見る
舟橋 弘晃の記事を見る
浅野 直の記事を見る
鍵本忠尚の記事を見る
北中淳子の記事を見る
片山英樹の記事を見る
松岡克朗の記事を見る
青木康嘉の記事を見る
岩垣博己・長谷川利路・中島正勝の記事を見る
水野文一郎の記事を見る
石原 達也の記事を見る
野村泰介の記事を見る
神林 龍の記事を見る
橋本 健二の記事を見る
林 伸旨の記事を見る
渡辺嗣郎(わたなべ しろう)の記事を見る
横井 篤文の記事を見る
ドクターXの記事を見る
藤井裕也の記事を見る
桜井 なおみの記事を見る
菅波 茂の記事を見る
五島 朋幸の記事を見る
髙田 浩一の記事を見る
かえる ちからの記事を見る
慎 泰俊の記事を見る
三好 祐也の記事を見る
板野 聡の記事を見る
目黒 道生の記事を見る
足立 誠司の記事を見る
池井戸 高志の記事を見る
池田 出水の記事を見る
松岡 順治の記事を見る
田中 紀章の記事を見る
齋藤 信也の記事を見る
橋本 俊明の記事を見る