ICから共感的パターナリズムへ

「informed consent (IC)」とは、「医師から十分な情報を得た(伝えられた)上での合意」とされています。1990年に日本医師会生命倫理懇談会で「説明と同意」との表現で、患者の自己決定権を保障するシステムあるいは一連のプロセスであるとされました。その後、1997年に医療法が改正されて、「説明と同意」を行う義務が、初めて法律で明文化されたのです。

この「IC」が叫ばれ始めた根底には、それまでの医師主導による、所謂パターナリズム(paternalism)への反省があったと思われます。パターナリズムとは、強い立場の者が、弱い立場の者の利益のためと称して、本人の意思は問わずに介入・干渉・支援することを指します。親が子のために良かれと思ってすることが由来で、日本語では「父権主義」と訳されます。医療の世界では、強い立場の医師が、弱い立場の患者の利益(生存や健康)を保護するためとして、医者が患者を干渉し、その自由や権利に制限を加えることとされています。特に医療の現場では、医師と患者側の知識や情報量のギャップから、温情を受ける者(患者)が、必ずしも正しい選択が出来るとは限らない、という前提から生じたものです。特に幼児や未成年者、中毒(依存症)に陥っている者、自傷行為や暴力的言動をする者に対しての干渉が認められることが多いのです。

しかしながら、戦後の長きに亘っての、良い意味での「私に任せておきなさい。悪いようにはしないから」といった医師主導の医療行為によって、残念ながら患者に不利益が発生することが問題とされるようになりました。ただ単に欧米で行われているICが導入されることになったというだけでは無くて、導入せざるを得なくなったというのが本音でしょうか。

ご存じでない方もいらっしゃるかと思いますが、1980年に埼玉県で「富士見産婦人科病院事件」が起こりました。医師免許を持たない理事長が、勝手に超音波検査を行い、単純に金儲けのためだけに、癌や疾病のない健康な子宮や卵巣を、妻である院長に摘出させたというもので、当時話題になった事件でした。この他にも似たような事件が起こっていた記憶があります。そうした乱診乱療ともいえる不祥事が続き、それを契機にICの導入へと動き始めたものと思われます。

さて、では、「IC」さえ行っていれば良いのかと言いますと、所謂「丸投げ的IC」の横行が目立ってきているように思えてならないのです。それを私は「形骸化したIC」と呼ばせてもらっています。分厚い資料を渡して、「読んでおいて下さい」という病院が在ると聞きました。若い先生方だけでなく、それなりの経験を積んだはずの中堅医師までもが、「それがICだ」と考えていらっしゃる事案もあって、恥ずかしいというか、情けない気がしたことがありました。結果的に、かなりの知識や経験が必要な最終決断までを、短期間に患者に任せるといった「医師の責任逃れ」、「責任放棄」と思われるような「愚かなIC」が行われているのではないでしょうか。

要は、「医者が決めてはいけないのなら、全てを患者側が決めてくれ」といった極端な「IC論」が出てくるわけです。物事は、振り子のように一度大きく触れないと、元には戻れないという世の習いのせいなのかもしれません。

こうした現状の中で、救急の分野で見直しが始まっていることを知り、嬉しく思っています*。飯塚病院総合診療科の工藤仁隆先生の取組みをご紹介します。その取組みとは意思決定に必要な3つの共有事項を確認したうえで、医師がプロフェッショナルとして一番お勧めの選択肢を提示するという「共感的パターナリズム」(リバタリアンlibertarian(自由意思論者(の))・パターナリズムとも言われている)を行うことで、意思決定をスムーズにし、患者・家族の心的負担を軽減するというものです。共有事項は、①悪い知らせを前にした「感情の共有」、②重症度や予後に関する「情報の共有」、③患者さんやご家族の「価値観の共有」の3つです。担当する医師が、それぞれの共有事項に添って、相手の気持ちを理解しようと努めながら、曖昧な言葉や判断を廃し、患者・家族の意向に合わせて、その時点で最善と思われる選択を提示するというものです。この方法は、患者・家族の心的負担を軽減するだけでなく、担当した医師の心的負担の軽減につながると思われます。

こうした動きは、時間の制限や曖昧な判断が許されない救急の現場だからこそ求められたものであり、救急での事案は、緩和ケアに直結する場面が多々あることから、ここでしか生まれなかった発想と言えるのかもしれません。私の拙い救急の経験や緩和ケアの経験からも、現実的かつ有効なやり方であり、やっと収まるべきところに収まったという感想を抱きました。

当院では、ここで言うところの「共感的パターナリズム」でやってきたと自負しています。それがこうして他の現場からも出てきた現実に満足すると共に、良い意味で広がって欲しいと念じています。一方で、患者サイドでも、ただ「素人なので分からない。先生に全てお任せします」と言うのではなく、こうした説明の仕方があると知ったうえで、医師に説明を求め、自らもできる範囲で「決定に参加する」ことが重要になってくるのではないでしょうか。これは、最近の「人生の最終段階の医療・ケアの話し合いのプロセス」におけるアドバンス・ケア・プランニング(ACP)にも直結しそうです。

それにしても、色々な物事や負の事案が起き、初めて改善されていくという歴史の繰り返しを見るにつけ、忸怩たる思いが有りはしますが、神ならぬ人間のすること故のジレンマとでも言うことなのでしょうか。

ところで、先日ある学会のセミナーで、Shared Decision Making (SDM)なる言葉が紹介されました。「IC」は「知らされたうえでの同意」であり、ある意味一方的なものであるのに対して、この「SDM」は「医師と患者の相互協力での決定」ということのようで、先の振り子が戻りながらも、新たな別の形で望ましい所に落ち着きつつあるのではないかと感じながら帰途につきました。

とどのつまり、医者も患者も、そして家族も、最後の最後はそれぞれの「人間力」に落ち着きそうです。翻って、そうした「人間力」を鍛えるシステムの構築が必要なのではないでしょうか。

*日経メディカル「短期集中連載◎なぜ今『救急×緩和ケア』なのか」4月27日版、「どうする?CPA患者の家族への悪い知らせ 家族面談でつらい経験を繰り返さないために」工藤仁隆(飯塚病院総合診療科)

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
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