今年の2月18日(日)、「中国残留日本人孤児国家賠償岡山訴訟終結10周年のつどい」が開催された。代表挨拶で国賠訴訟元原告団長の高杉久治氏は、残留日本人孤児が置かれている立場を代弁して、「生活は安定したが、孤児たちが高齢化する中で日本語が十分話せないことによる医療・介護での意思疎通や老人ホームでの孤独といった不安が増している」と指摘した。国賠訴訟元事務局長の高見英夫氏は、妻の認知症からくる「徘徊」・「介護」など具体的且つ深刻な実態を訴えた。中国で育った中国残留孤児二世である山中晴子氏は、日本に帰国して様々な困難を乗り越え、中国語と日本語が話せる介護福祉士となって、母親をはじめとする残留孤児一世、及びその配偶者の直面する高齢化の問題と介護の実態を報告した。
さらに山中晴子氏は、現在差し迫っている最大の課題は、高齢化した「中国帰国者一世」への「医療・介護」という現場の実態だとおっしゃる。厚生労働省が平成21年に実施した「中国残留邦人等生活実態調査」の結果によると、平成21年10月末『中国残留孤児・配偶者』や『中国残留婦人』の平均推定年齢は71.6歳と発表した。9年加算すると、2018(平成30)年平均年齢は約80歳となる。同じ調査で、介護保険制度について知っているか訊いたところ、36%が「知らない」と回答した。介護保険制度が複雑で全体像が掴みにくく、その制度を利用するには分からないし、戸惑いを感じているのが現状である。本来受けられるはずの介護サービスを中国残留孤児・配偶者、残留婦人は十分に受けられていない。
事例① Aさんの配偶者、満蒙開拓青少年義勇軍からの帰国者の方の中国人妻で、日本語は全く話せない。7年前、脳出血によって半身麻痺となった奥さんは、リハビリ訓練の為、3~4キロ離れた病院に車いすで通院している。自分の身体のほとんどが自由にならない。
事例② 中国からの帰国者である日本人のBさんは、日本語は生活レベル程度に理解できる。しかし、肺気腫の持病持ちであった。その後交通事故により高度の聴音障害になった。病院へ受診に行くも自分の病気を伝えることも聞くことも出来なくなり、言語・聴音障害に悩むようになって以来「自閉症」的症状が見られる。
二人とも現在、山中晴子氏の在宅介護サービスを受けている。
多くの中国帰国者にとってやはり「言葉」が一番の「壁」である。言語による意思疎通に支障があるため、介護、医療の利用ができなくて困った状態が続いている。仮に介護施設に入ることが出来ても、言葉によるコミュニケーションが取れず、日本人入居者の輪に入れず、逆に孤独感を感じるようになり、利用サービスを拒否するケースが見られる。
高齢化の波で福祉利用者は増え、もう一方では福祉介護職員の不足が深刻化だ。母国語によるメンタルケアを通して、相互間の信用や信頼が必要と思う。帰国者一人ひとりに対し、きめ細やかな介護事業を円滑に行うための中国語・中国生活様式を備える介護施設の開設があってもいいと思う。中国語が出来、且つ中国の文化(生活・風習等)を知っている介護福祉士やソーシャルワーカーやケアマネジャーを育成することが急務である。せめて、中国語と日本語が自由に話せる介護通訳・社会福祉専門家が必要だ。
ちなみに、現在岡山県内にお住まいの中国帰国者一世およびその配偶者(平均年齢80歳前後)は約50名程度で介護の必要状況についての詳細は把握できていないが、それに対して「岡山県内で中国語で対応できる介護保険サービス事業所」は2か所しかない。実態を少しでも知ろうと思い、そのうちの1か所である「小規模多機能型居宅介護施設こころの里やまさき」を3度に渡り訪問した。まず、本田政勝社長や本田夫人に、この施設には8名の中国残留孤児・配偶者が在籍している事を聞いた。山中晴子介護福祉士による在宅訪問介護を受ける3名と、月・水・金の週3日デイ・ケアサービスを受けている5名の方がいらっしゃるとの説明だった。中国残留孤児・配偶者や残留婦人の高齢化と介護問題は待った無しの状況になっている。そして、どこのデイ・ケアに行っても高杉久治氏が指摘する「日本語が十分話せないことによる医療・介護での意思疎通や老人ホームでの孤独」は深刻な課題である。「こころの里やまさき」に勤務する山中晴子氏のように日本語と中国語が話せる介護福祉士は全国的にほとんど居ないのが現状であることをも知った。
4月25日(水)、2度目は梶田麗子氏(刑麗娟・シンリーシュア)と訪問した。大主上房開拓団から命からがら帰国した梶田栄一・君子氏夫妻との間に生まれた次男の芳正君(長男は満州で亡くなった)と瀋陽出身の梶田麗子氏は18年前に結婚した。しかし、8年前に夫を亡くし、一人娘が高校2年生になる中、一生懸命に働いて育てている。決して日本語がうまいとは言えない。そんな中でも車の運転免許、介護福祉士の免許を取得した。近所の福祉施設へ勤めたが、日本語が不十分であることと日本の老人文化についていけなくなって、数ヶ月で勤務先をやめた。梶田麗子氏を「こころの里やまさき」へお連れすると、残留孤児やその配偶者の皆さんと中国語でいろいろ話し始めた。梶田麗子氏も残留孤児・配偶者も笑顔が絶えなかった。
(写真は、中国残留孤児・配偶者と話す姜波教授)
6月8日(金)には、姜波(キョウ・ハ)川崎医療福祉大学教授と共に「こころの里やまさき」を訪問した。高杉久治夫人は都合により欠席だったが、4名の残留孤児・配偶者がサービスを受けに来ていた。この日は2時間 最初から最後まで見学した。まず看護師によって4人の血圧・体温が計られた。そのあと一人ずつ入浴サービスがあり、入浴後におやつを食べ、軽くテレビ体操をする。そしてカラオケが始まった。「北国の春」「四季の歌」「故郷」や時代劇「水戸黄門」の主題歌である『あぁ人生に涙あり』(♪人生楽ありゃ苦もあるさ♪)を歌った。約2時間はあっという間に過ぎた。
本田社長夫人や介護福祉士の見事なボディ・ランゲージが、日本人介護者15名を含め中国残留孤児・配偶者たちの介護を、明るくし、さらにいっぱい笑いを取る。しかし、中国語ができる介護士の山中晴子氏は在宅介護が中心だからその場にいない。この日、中国ハルビン出身の姜波教授が優しく中国語で話しかけると、何度も4名の残留孤児・配偶者からまた違った笑顔が見られた。言葉の意思疎通は、それほど大切なことだ。言葉は、心と心のキャッチボールである。
中国語と日本語ができるケア・マネや介護福祉士が必要だが、その試験における「医療・介護用語の難解さ」もあって、大変難しいという「壁」がある。
2008年(平成20年)、EPA(経済連携協定)によって外国人介護福祉士の受け入れが始まった。しかし、厚労省の資料によると試験合格率は3割超える程度と言われる。時間的配慮や用語の難しさを解消する「国家試験のあり方に関する検討会」が始まったばかりと聞く。こうした課題に応える配慮を早急にしてもらいたい。
我々ボランティア側としても、何ができるか、何をするか、何をどうしたらいいかを今後考えていきたい。いや「今後」ではなく、「いつするの?今でしょう?」という声が聞こえる。
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