「スローなブギにしてくれ」と聞くと、片岡義男の原作を思い浮かべるか、南佳孝の曲が口をつくか・・・、いずれにせよ、かつての若者に思い出を強く喚起させるフレーズである。
今回は「ブギ」ではなく、「コード」である。コードと言っても、生憎、EとかA7とかいったギターコードではなく、「コードブルー」(フジテレビ系の救命救急やドクターヘリを扱ったドラマ、映画版は2018年7月28日公開予定)の方のコードである。
コードブルー
そうしたドラマのタイトルにもなった「コードブルー(code blue)であるが、これは一般的に、病院内で行われる院内一斉放送の用語とされている。例えば、「コードブルー、東病棟3階」という放送が行われると、その病棟に心肺蘇生の必要な急変患者がいるという意味で、病院内の手の空いた医師や看護師はそこに駆けつけることになる。
このようにコード(code)は、救急処置を指す医療界のスラングとされている。
コード
医師は、蘇生の可能性が少しでもあれば、心肺蘇生を試みる。
リアルな話ではあるが、心肺停止状態で救急センターに運び込まれた時刻が、死亡時刻ではない。心肺蘇生を中止した時刻が死亡時刻になる。では、どういうタイミングで心肺蘇生の中止を決定するのであろうか?通常は、蘇生措置への反応性をみながら、年齢や原疾患、あるいは外傷の状態、さらには、蘇生後の障害の発生頻度等を総合的に判断して、責任者が中止を決定する。
では一方で、蘇生を中止するのではなく、蘇生を開始しない、行わないという判断はどういう根拠に基づくのであろうか。蘇生を開始しないという判断に至らなくても、心肺蘇生を試みる医師の側に、それを躊躇させるものが有るとすれば、それは蘇生可能性が無い場合もしくは非常に低い場合である。しかしだからといって蘇生を行わないかと言われれば、そこは微妙なものが存在する。蘇生中止の場合と同様に、医学的判断だけで決められない要素がそこに入っている可能性がある。それは、家族の気持ちである。
ブルーじゃないコード
ひと昔前は、がんの患者さんが最期を迎える際に、救急蘇生が行われることが多かった。当時であっても、がんという病気の性格上、そうした心肺蘇生はあまり意味がないのではと感じながら蘇生措置を行っていた医師も少なくなかったようだ。しかし一方ではそれが、お医者さんは最期まで手を尽くしてくれた。お父さんのために一生懸命治療をしてくれたという家族の満足感につながっていたことも否定できない。
もっと具体的には、遠くに住んでいる家族が死に目に会えるように何とかして欲しいという要望に応えざるを得なかった面もある。蘇生をあきらめた時刻が死亡時刻とすれば、そうした家族が到着するまで、蘇生を継続することもあったろう。しかしその場合は、本来の蘇生に比べて、弱めでゆっくりとした蘇生(コード)になる可能性がある。
スローなコード
こうした状況を指す否定的なニュアンスをもつ用語として、スローコード(Slow code)というものが有る。スローコードとは、つまり家族のために行われる形式的な心肺蘇生のことである。こうしたことを耳にして、読者はどのようにお考えになるだろうか?そうした患者家族を欺くような行為は、その信頼を損ない、ひいては医師‐患者関係にひびを生じさせるというのが真っ当な考えではないだろうか。
医師の規範とスローコード
そもそも医師の行動規範上、スローコードは禁止されていると言って良い。先程のような状況でも、「残念ながら、心肺蘇生を行っても患者さんが生き返ることはありません。お辛いでしょうが、死を受け入れましょう。」と説得するのが医師の使命であり、それを避けようとして、見せかけの(救命にはつながらないと医師自身が自覚しているような)蘇生を行うことは決して許されない・・・はずである。
スローなコードにしてほしい?
しかし一方で、患者だけでなく、その家族もケアの対象にするのが「緩和医療・ケア」であるとするなら、家族が明示的(「臨終に長男が間に合うまで、何とか生かして欲しい」)に要求しなくても、その気持ちを忖度して行うスローコードが全て否定されるべきかについては、意見が分かれる可能性がある。まして救急センターで、さっきまで元気だった、愛する人の不幸を、にわかには受け入れられない家族を意識して行われる(場合によってはやや形式的な)蘇生は許容されるという考え方も無いとは言えない。
スローか否か?
さらにスローなコードではなく、本格的なコードにして欲しいという要求に対しても、医療者側が蘇生の可能性が無いと思いながら行う蘇生は、形の上では本格コードと区別がつきにくいかも知れないが、本質的にはスローコードであろう。
敢えて誤解を招きかねない例を挙げるなら、高校野球でアウトになると分かっていても全力疾走・ヘッドスライディングをすることは、清々しく、美しい。プロは、ボテボテの内野ゴロだと一塁ベースまで走らないことさえある。もちろん、野手のエラーでセーフになる可能性もあることから、戦略的にも全力疾走をする意義はあるかも知れない。そのアナロジーで言えば、蘇生をする限りはいつ如何なる時も、全力で行うべきというポリシーも十分に有り得る。
しかし、プロ野球選手が明らかに間に合わない一塁ベースに、全力でヘッドスライディングをしてケガをしたら、本末転倒である。似たように、体を大きく傷つけるような本格的蘇生は、蘇生可能性とのトレードオフである。少なくともプロは、こうしたケースで肋骨が折れるほどの強い蘇生は行わないはずである。
最後に(お詫びも含めて)
スローコードの是非を論じるのが、この小文の目的ではない。また、ウェブマガジンという性格上、読者に興味を持って頂けるように、かなり重いテーマを、ポップ音楽や映画と絡めて語り出すやり方には、ご批判もあろうかと考える。特に自ら医師という身分を明かして、このような語り口で、救急医療や終末期医療を語る場合、医師のコミュニティの中に嫌悪感や違和感を生じさせることも充分に予測できる。それは医師同士で真摯に議論すべき話柄であって、このような媒体を使って、患者さんや一般市民に医師への信頼を損ないかねない内容の話を、軽々に取り上げるべきでないという意見が有っても当然であろう。
一方で、医師はこうした重い問題でジレンマを抱えながら、日々の診療を行っていることを一般の人に知って頂くというのも、こうしたオピニオン・ウェブマガジンの役割と思われる。
「スローなコードにしてくれ」という危うげなタイトルが、後者の方向に作用することを願って拙文を締めくくりたい。
研究助成 成果報告の記事を見る
小林 天音の記事を見る
秋谷 進の記事を見る
坂本 誠の記事を見る
Auroraの記事を見る
竹村 仁量の記事を見る
長谷井 嬢の記事を見る
Karki Shyam Kumar (カルキ シャム クマル)の記事を見る
小林 智子の記事を見る
Opinions編集部の記事を見る
渡口 将生の記事を見る
ゆきの記事を見る
馬場 拓郎の記事を見る
ジョワキンの記事を見る
Andi Holik Ramdani(アンディ ホリック ラムダニ)の記事を見る
Waode Hanifah Istiqomah(ワオデ ハニファー イスティコマー)の記事を見る
芦田 航大の記事を見る
岡﨑 広樹の記事を見る
カーン エムディ マムンの記事を見る
板垣 岳人の記事を見る
蘇 暁辰(Xiaochen Su)の記事を見る
斉藤 善久の記事を見る
阿部プッシェル 薫の記事を見る
黒部 麻子の記事を見る
田尻 潤子の記事を見る
シャイカ・サレム・アル・ダヘリの記事を見る
散木洞人の記事を見る
パク ミンジョンの記事を見る
澤田まりあ、山形萌花、山領珊南の記事を見る
藤田 定司の記事を見る
橘 里香サニヤの記事を見る
坂入 悦子の記事を見る
山下裕司の記事を見る
Niklas Holzapfel ホルツ アッペル ニクラスの記事を見る
Emre・Ekici エムレ・エキジの記事を見る
岡山県国際団体協議会の記事を見る
東條 光彦の記事を見る
田村 和夫の記事を見る
相川 真穂の記事を見る
松村 道郎の記事を見る
加藤 侑子の記事を見る
竹島 潤の記事を見る
五十嵐 直敬の記事を見る
橋本俊明・秋吉湖音の記事を見る
菊池 洋勝の記事を見る
江崎 康弘の記事を見る
秋吉 湖音の記事を見る
足立 伸也の記事を見る
安留 義孝の記事を見る
田村 拓の記事を見る
湯浅 典子の記事を見る
山下 誠矢の記事を見る
池尻 達紀の記事を見る
堂野 博之の記事を見る
金 明中の記事を見る
畑山 博の記事を見る
妹尾 昌俊の記事を見る
中元 啓太郎の記事を見る
井上 登紀子の記事を見る
松田 郁乃の記事を見る
アイシェ・ウルグン・ソゼン Ayse Ilgin Sozenの記事を見る
久川 春菜の記事を見る
森分 志学の記事を見る
三村 喜久雄の記事を見る
黒木 洋一郎の記事を見る
河津 泉の記事を見る
林 直樹の記事を見る
安藤希代子の記事を見る
佐野俊二の記事を見る
江田 加代子の記事を見る
阪井 ひとみ・永松千恵 の記事を見る
上野 千鶴子 の記事を見る
鷲見 学の記事を見る
藤原(旧姓:川上)智貴の記事を見る
正高信男の記事を見る
大坂巌の記事を見る
上田 諭の記事を見る
宮村孝博の記事を見る
松本芳也・淳子夫妻の記事を見る
中山 遼の記事を見る
多田羅竜平の記事を見る
多田伸志の記事を見る
中川和子の記事を見る
小田 陽彦の記事を見る
岩垣博己・堀井城一朗・矢野 平の記事を見る
田中 共子の記事を見る
石田篤史の記事を見る
松山幸弘の記事を見る
舟橋 弘晃の記事を見る
浅野 直の記事を見る
鍵本忠尚の記事を見る
北中淳子の記事を見る
片山英樹の記事を見る
松岡克朗の記事を見る
青木康嘉の記事を見る
岩垣博己・長谷川利路・中島正勝の記事を見る
水野文一郎の記事を見る
石原 達也の記事を見る
野村泰介の記事を見る
神林 龍の記事を見る
橋本 健二の記事を見る
林 伸旨の記事を見る
渡辺嗣郎(わたなべ しろう)の記事を見る
横井 篤文の記事を見る
ドクターXの記事を見る
藤井裕也の記事を見る
桜井 なおみの記事を見る
菅波 茂の記事を見る
五島 朋幸の記事を見る
髙田 浩一の記事を見る
かえる ちからの記事を見る
慎 泰俊の記事を見る
三好 祐也の記事を見る
板野 聡の記事を見る
目黒 道生の記事を見る
足立 誠司の記事を見る
池井戸 高志の記事を見る
池田 出水の記事を見る
松岡 順治の記事を見る
田中 紀章の記事を見る
齋藤 信也の記事を見る
橋本 俊明の記事を見る