医療とエコ

少し前の話ですが、太陽光発電に興味を持つ友人と話す機会がありました。
曰く、「病院でも太陽光発電を採用されたらどうですか。地震などの災害対策にもなるし、エコで社会的貢献をしているというアピールにもなるんじゃないですか」と。
「なるほど、御説ごもっとも」と拝聴したものの、さて、どうしたものか。

 

民間病院では赤字が出ても資金的援助は無いわけで、例え「エコ減税」や「期間限定補助金」などがあったとしても、院内の電力需要を賄えるほどの設備を購入する余裕はないのが現実なのです。社会的貢献をしたいのは山々ですが、先ずは自分自身が生き残らなければ、それも叶わぬ夢となってしまいます。

最近の「エコ」に関しては、不謹慎の誹りを覚悟で言えば、猫も杓子も「エコ」を口にして、「エコ」と言っておきさえすれば、安心するような錯覚があるのではないかとさえ思えます。「エコ」は結構なことに違いありませんが、それにかかる費用と効果を考えた時、まだまだ(短期間では)元が取れる程のものは無いのが実際であり、無い袖は振れないのも現実ではあります。先の友人は「もう少し待てば、もっと安くて効率の良いものができるだろうというのは分かるが、それを言いだすといつまでもできないことになる」と続けられ、今すぐにでもやりなさいと言わんばかりの勢いでした。しかし民間の「身銭」を切る立場からは、「はい、そうします」とは言えないお話ではありました。

 

ところで、ここまで考えて来て「病院や医療におけるエコってなんなのだろう」という疑問が湧いてきました。
「エコ」は”economy”、「節約」の意味だと思われますが、医療材料や薬といった目に見える物については無駄を省くことはできるとしても、病気を予防し、検査や治療、さらには手術を行うというところまで考えると、ちょっと違和感が出てくることになります。

 

実際、「節約のために、予防的処置はしない」「節約のために、検査や投薬はしない」などというのは、財政面からお国は喜ばれるかもしれませんが、医療現場ではやはり馴染まないことです。もっとも、「無用かつ不必要なことはしない」と言われて久しく、当然、医療人としての良識を持った上で「過剰」なことはしない「エコ」は大切なことです。しかしながら経済学的発想からだけの「エコ」は難しいと考えられます。あまりにも経済効果を優先した「エコ」ともなれば、それは「エゴ」(egoistic 利己主義的)に繋がってしまいそうです。

 

厳密なまでに医療に「エコ」を持ち込めば、治療対効果として、患者さんの治療に掛かる費用と、治ってからその患者さんが亡くなるまでに再生産するであろう経済的効果を勘案して、効果が少ない患者さんの医療は放棄すれば良いという結論になってしまいます。これでは医療の本質に反することになります。「人は必ず死ぬ」のですから、「医療は究極の無駄」とも言えますが、そこまで考え方を「エコ」にしてしまうわけにはいかず、どうやら医療には「エコ」を持ち込まない方が良さそうです。

 

ブラックジョ-クとしての話ですが、「安楽死」を持ち込めば、究極の「エコ」かもしれませんが、そうなると「生きること」も無駄と言われかねませんし、少なくとも「弱者切り捨て」の論理が台頭してきそうで困ることになりそうです。

 

ところで、英国では既に「治療対効果」を勘案して「かかりつけ医」の収入に反映されるQOF(Quality and OutcomesFramework)という成果払い制度を一部組み入れているそうです。これは、地域全体の疾病管理の質をいかに高めたかが加味され、住民が健康になればなる程、かかりつけ医の収入が増えるという仕組みだそうです※。

 

これを進めていくと、費用を掛けるだけの効果が見込める治療(少なくとも保険診療)しかできないということになりそうですが、上手く使えば医療費高騰を抑える手段の一つになるかもしれません。
救急車の有料化などの問題も含めて、こうした「投資に見合う治療効果の判定(判断)」のシステム導入が検討されても良い時期なのではないでしょうか。そうすれば、外国では虐待と言われている胃瘻や経鼻経管栄養で、「ただ単に生きている(生かされている)」という状況も無くなるかもしれません。もっとも、年金問題や心情的な問題など、甘やかされ続けてきた「現代の日本人」が受け入れるかどうかは甚だ心許無いことではあります。ただ、そろそろ自分だけが良ければ良いという時代から脱却する時が来ているように、私には思えるのですが、皆さんはどうお考えになるのでしょうか。

 

※井伊雅子:「費用対効果に劣る日本の医療構造にメスを」Wedge, Vol.29, No.10, 2017より。

 

因みに日本では、住民の方が自分の意志で、住居のエリアに制限されることなく好きな医療施設を受診すること(フリーアクセス)が許されています。しかし、英国の公的医療では、住民は自分が住んでいるエリア内にある医療機関に「かかりつけ医」として登録することが必要です。「救急」か「自由診療」以外では、そうしたかかりつけ医を通してでなければ、大きな医療施設での検査や入院、手術などの医療を受けられないという制限があるため、こうした成果払い制度が導入できたようです。医師は医師で、診療科目ごとに定数が決められており、専門とする科目を選ぶことに制限があったり、好きな地域での開業さえも定数制で制限されているようです。
日本からすればかなり窮屈なシステムのように聞き及んでいますが、翻って我が国の医療制度の(色々な意味での)野放図なまでの自由さが際立ってくるように思えます。

 

蛇足として言えば、何よりも医療を受ける国民自身がこの恩恵について全く無知なようで、その延長線上におかしな民間療法や詐欺まがいの医療がまかり通っているように思えてなりません。本当に、何とかならないものでしょうかね。

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
岡山県倉敷市出身。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
以来、消化器外科、消化器内視鏡を専門として地域医療に取り組んでいます。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
「臨床外科」(医学書院)にエッセイ「1200字通信」を連載中。
2016年11月15日に短編小説集、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)を上梓しています。
2018年5月9日に「看取り請負人 死なせ屋ゴンがゆく」(ルネッサンス・アイ社)を新たに上梓しました。
日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、日本消化器内視鏡学会指導医、日本大腸肛門病学会指導医、日本消化器病学会専門医、
がん治療認定医、日本医師会産業医、ICD認定医、三重県警察医ほか。
趣味は映画、読書、クルマ。小型船舶1級免許取得。
岡山県倉敷市出身。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
以来、消化器外科、消化器内視鏡を専門として地域医療に取り組んでいます。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
「臨床外科」(医学書院)にエッセイ「1200字通信」を連載中。
2016年11月15日に短編小説集、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)を上梓しています。
2018年5月9日に「看取り請負人 死なせ屋ゴンがゆく」(ルネッサンス・アイ社)を新たに上梓しました。
日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、日本消化器内視鏡学会指導医、日本大腸肛門病学会指導医、日本消化器病学会専門医、
がん治療認定医、日本医師会産業医、ICD認定医、三重県警察医ほか。
趣味は映画、読書、クルマ。小型船舶1級免許取得。

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