「住まいは社会保障の基本である」ことは、社会保障を考える上で必須の問題だ。医療介護などは高齢者にとって切実な問題だが、その前に考えるべきは「どこに住むのか」「その住まいは適切なのか」が重要なのである。現在では意外にこの問題が軽視されている。これは、日本の住宅政策と関連しているかもしれない。日本の住宅政策は、持ち家を基本としている。持ち家率は61.7%と高く、特に高齢者については、65才~70才で79.7%、70才~75才で80.2%、75才以上で81.5%とかなり高い比率になっている(総務省統計局;平成25年住宅土地統計調査)。社会保障を考える場合は住まいを第一に考えること、そして、高齢者の住まいは8割以上が持ち家であることを前提としなければならないのだ。
太平洋戦争後、徹底的に破壊された都市部では、住宅の確保こそが第一に考えるべき問題であった。その為に政府は、住宅政策の3本柱(住宅金融公庫からの融資、低所得者のための公営住宅、その中間に位置する良質な住宅提供を行う住宅公団)に添って行われた。日本経済の進化につれて持ち家率が向上すると、住宅の提供は社会保障を支えるものよりもむしろ、景気を支える手段として使われた。景気が停滞すると真っ先に住宅金融公庫の融資拡大を行い、景気を回復させた。持ち家が増加するにつれて、そして、地方自治体の財政が苦しくなるに従って、低所得者に対する住宅の提供という住宅政策の基本が失われていったのである。
2000年の半ばから、それまでの住宅政策の3本柱が変化し、住宅金融公庫、公営住宅、住宅公団を柱とする住宅建設計画から、住生活基本法に基づく住生活基本計画に変わっていった。これは、高齢者に対する良質の賃貸住宅や、低所得者に対しての住宅提供を進めることが目的であったが、その目的はさほど進展していない。
例えば、1998年には高齢者向け優良賃貸住宅制度(高優賃)が創設された。この制度は、単身高齢者に対して、25㎡以上の良質な賃貸住宅(バス・トイレ・キッチン付)を提供する制度だ。提供される住宅はバリアフリー仕様で、単身高齢者のみならずその他の高齢者にも住みやすい機能を追加し、その為の追加料金と周辺の家賃との差額を税で補填する、まさしく社会保障事業としての住宅政策だった。
しかし、地方自治体の財政難から建設が進まず、2011年にこの制度は廃止された(サービス付き高齢者向け住宅に統合)。この様に、国の政策として、住宅政策は中所得者向け(持ち家促進)が中心となり、景気刺激策が優先され、社会保障政策としての住宅政策は常に後回しにされたのである。
ヨーロッパ諸国での「住まいは社会保障の基本である」との考えは、住宅が確立されなければ、その他の支援が意味を為さないことを示している。つまり、障害の有無に拘らず、高齢者が自立した生活を営むためには、まず、プライバシーが確立された、独自の空間が確保される必要がある。その空間を持って初めて人間は、自分の障害や生活習慣に基づきどのように生きるかを、自分自身で考えることが出来るようになる。どの様に援助を行うかについては、当事者以外の人が決めるべき問題ではなく、高齢者自身がその居住環境を考えて、援助を要請する方がより効率的でもあり、満足感が強いのは当然である。すべてを管理することが問題なのは、1950年代~1970年代、多くの老人ホームを建設し、その結果が芳しくなかった(高齢者の満足が得られなかった)ヨーロッパ諸国(アメリカも部分的に)の反省点である。老人ホームの場合、居住空間が貧弱であり(ヨーロッパ諸国でも13㎡~18㎡が平均的だったし、バス・トイレ・キッチンなどは無かった)、行動は常に監視され、自由なプライバシー空間は無かった。つまり、自立した生活を送ることは、設備的にも施設の運営的にも不可能であったのだ。その結果、依存的で生きがいの無い高齢者を大量に生み出すことが分かってきた。
北欧諸国は1970年代にはこの様な問題に気付き、「住まいは社会保障の基本である」ことを再認識して、改革に取りかかったのである。北欧諸国は1970年代後半から「脱施設化」を進めた。「住まいは社会保障の基本である」であることを基本として、老人ホームの代わりに、自立した生活が出来る住宅を提供したのである。つまり十分な広さ、普通の生活ができる設備(バス・トイレ・キッチン)を備えた住宅であり、施設のような管理をしないで、普通の住まいを提供したのだ。医療や介護は、普通の住まいと同じように、外部から提供されたのである。
1980年代には、アメリカでも、ケレン・ブラウン・ウィルソンの挑戦が始まっていた。ウィルソンのコンセプト(アシステッドリビング)は、老人ホームの代わりに、普通の住まいに近い住宅を提供したのである。入居者には、重度の障害者もいたが、みんな借家人であり、実際にその様に扱われた。各戸にはバスタブ付きの浴室とキッチン、内鍵をかけられる玄関ドアが備わっていた。一方で、進行しつつある障害者にはきめ細かい介護も提供された。障害に対するサービスは、多くの点でナーシングホームと同一だったが、ここの介護者は「自分達はケアのために、他人の家に入っていくのだ」と理解していて、これが入居者と介護者との力関係を根本から変えたのである。
この様な試みは、結局のところ、住まいが生活の基本として設定されたうえで、どの様に生活するかを決める方法が、人間として満足できる生き方であることを示している。そのうえで、援助が必要になれば、ケアマネジメントを行って、当事者と相談しながら適切な援助を行うことが大切である。高齢者の場合、住まいを自宅、集合住宅、あるいは、老人ホームなど選択肢を提供し、まずじっくりと住まいを決めたのちに、医療や介護の提供が始まることを理解しなければならない(必ずしもすべての高齢者が自立を強要されるわけではない)。他者が障害の程度に応じて住まいを決めたり、家族が自分たちの都合によって、障害が発生した高齢者の住まいを決めることは、それ自体がすでに高齢者に対する敬意を失い、尊厳を傷つけていることを認識しなければならないのである。
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