日本の労働市場には、時代と共に変わるところもあれば、変わらないところもある。変わらないところの代表例は、長期勤続・企業別組合・年功賃金の組み合わせ、いわゆる日本的雇用慣行だろう。そして変わるところの代表例が、福祉の分野だろう。この背後には、高齢化という抗し難い流れがある。ただ、福祉の分野自体は昔から連綿と続いており、何もここ最近に新しく登場したわけではない。その意味では、変わりつつあるといっても伝統的な労働市場と何が違うのか、注意しないといけないところでもある。
私たち労働研究者がまず考える福祉の分野の特徴は、対人サービスであることは当然として、何らかの意味で弱者を対象とする点だろう。通常の対人サービスは、少なくとも販売側と対等の顧客を想定しており、希望を聞けば答えてくれるし、説明をすれば(ある程度)理解してくれることを前提としている。顧客がサービスの内容に不満があれば、販売側に変更や調整をリクエストできる。それができなければ、顧客は別の店に行けばよいし、中途で解約してもよい。コミュニケーション能力という、現代の労働社会に必須の技能を使って、顧客との相互のコミュニケーションをつづっていくのが対人サービスの本質だろう。他方、福祉の分野では高齢者や障碍者、経済的困窮者など、何らかの意味での弱者をサービスの対象とする。すなわち、コミュニケーションをとること自体に、一段と難しい技能が求められていると言える。
この難しい特殊技能は、従来は、個人の持つ感情的側面に訴えることで発揮されることが多かったように思える。つまり、弱者を目の前にして自然と起こる「手助けをしたい」という道徳的感情をテコに、通常以上に忍耐が必要なコミュニケーションを克服していくという解釈である。「献身・奉仕」という言葉に集約される人間内面のプロセスを利用する、と表現できるかもしれない。
働く人のモティベーションが道徳的感情に根差しているという側面は、福祉の現場を考えるうえで、実は多くの複雑な問題を生み出している。中でも、道徳的感情は、他者に強制するのが難点でしかも重要である。発揮されるにしても、強度やタイミングが人によってばらばらになってしまうので、サービスの密度を安定させるのは簡単ではない。伝統的には、働き手の育成課程の中で職業倫理を植え付けることで、道徳的感情の発現を「自動化」しようと試みられてきた。医師の「ヒポクラテスの誓い」や看護師の「ナイチンゲール誓詞」を用いた通過儀礼は、工夫の一例でもある。しかし、急速に拡大する福祉の現場では、働き手に職業倫理を植え付けるだけの育成課程が課されているわけでもなく、またそれに見合った金銭的・社会的報酬が用意されているわけでもない。普通の給与水準の普通の働き手に、いかに道徳的感情を発揮してもらうかは、良く言えば現場の創意工夫に任されており、悪く言えば何とかなると考えられるにとどまる。別な角度から見れば、明文化されたルール(つまり、症状から処置への関数)を多用することで、道徳的感情によらないサービスの供給を指向していると言えるかもしれない。
以上のように表現すると、労働研究から眺めた時の福祉の分野の難しさをより深く理解できるだろう。明文化されたルールへの依存は、道徳的感情に根差す献身や奉仕を省略することによって、働き手の精神的肉体的負担を減らせるかもしれない。そして、何よりもキカイ化しやすい。しかし、サービスの水準が保たれるかどうかには疑問が残る。なぜなら、キカイは道徳的感情(つまり倫理)の部分を代替していないからである。
この点、ひとつ整理しておきたい論点がある。よく福祉の現場の特徴として、千差万別の顧客の要望が強調されることが多い。働き手が対応しないといけない状況が余りにフレキシブルすぎるので、一つひとつを数え上げるにはキリがない。すべての場合をあらかじめプログラミングしておくことは難しい。この特徴は確かに重要で、キカイを現場に導入する壁のひとつになっているだろう。しかし、(工学研究ではなく)労働研究の観点でより重要なのは、顧客の要望にそれほどばらつきがなかったとしても、それは自動的に「見える」わけではなく、働く人の能動的な情報収集が欠かせないことなのである。
ヒトとキカイの関係について考える時、人々の注目はヒトの実際の動作や行動がどのようにキカイに置き換わるかという工学的側面に集まりがちである。しかし、キカイ化に対するより厚い壁は、働き手がどのような情報に基づきどう判断しているかを明示することにあり、さらに厚い壁は、働き手がどうやってその情報を得ているかを明示することにある。ヒトの情報収集・処理プロセスをどうデータ化するか、福祉の現場は、その意味でも日本の労働現場の問題を集約していると言える。
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